古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

これから古文書に挑戦したい方のための読み合わせ会です。また独学希望の方にはメール会員制度もあります。初心者向け教室です。

膝栗毛17 一文銭の通用期間

2016-06-25 01:18:34 | 膝栗毛初編

6月23日(木) 読み合わせ会

 会を重ねる毎に読む力がついて速度も上がってきました。初めのうちたどたどしかった読みっぷりが、この頃は随分スムーズになってきました。あと2回ほどで初編は読了できます。

 今日は会員の平井さんが一文銭を人数分持参され、私も1個いただきましたました。「膝栗毛」にはやたらと銭勘定tが出てきます。茶店で餅を食えば5文、馬に乗れば100文、駕篭に乗れば200文というふうです。ですから銭と円の比較論が絶えず出されるのですが、これにはなかなか答えられません。

 そんなことに触発されてか平井さんが、例のヤフーオークションで一文銭を買ってこられました。皆さんには初めて見る銭でした。文というのは例えば一文無し、早起きは三文の得というような慣用句で知ってはいるので、これがあの一文銭かというある種の感慨に打たれましたが、ヤフオクでは一文150円程度だそうです。

 「この一文銭明治維新後いつ頃まで流通したと思いますか・・?」意表を衝く平井さんの問いに誰も正解を出せませんでした。驚くなかれナント昭和28年まで遣えたそうです。そう言えば私のこどものころ10銭、50銭のコインがあったことを憶えています。その当時1文は1厘という最小の通貨だったそうです。イヤー勉強になりました。

 

 

 

 

 


書翰用文鑑7 端午の文の返辞及び暑中見舞之文

2016-06-24 12:03:39 | 書翰用文鑑

端午の節句にお祝いを貰ったので、その礼状の文例を掲載します。

 候文について

 ここに掲載している文体は和文であってけして漢文ではありません。漢字ばかりの文章ですから漢文と誤解されるのも無理からぬところがありますが、実はこれは和文の中でもとくに候文と呼ばれる文体なのです。

 候文は鎌倉時代に興り、室町時代を経て爆発的な発達普及を遂げ江戸時代に完成しました。江戸幕府がこれを法令等に用いる公式の文体と指定したために、幕政関係、藩政関係等の公用文書は専らこれに拠りました。ために文芸的な文章の外は書簡から借金証書、往来手形、果ては遊女の付文に至るまで候文で書かれました。

 特に書簡体の候文は永く命脈を保ち昭和40年代くらいまでは教養ある年配人(明治生まれ)の書簡はたいていこれでした。吉田茂(元首相)から岸信介首相宛ての書簡のコピーをわたしは所持していますが、なかなか風格のある文体で、現代文ではとてもこういう流麗な文章は綴れません。

 いま私たちが用いている漢字仮名交じりの文章は明治になって興った言文一致体の発展系なのですが、たかだか百数十年の歴史を持つに過ぎません。文体として候文の完成度に到達しているかどうか、今日唯今も未だ進化の途上にあるように思います。

同返辞

御懇書之趣辱拝見仕候

如貴命重五之御祝

儀御同意目出度奉

存候次ニ愚息方へ為御

 同返辞 御懇書の趣辱(かたじけなく)拝見仕り候 貴命の如く重五の御祝 儀御同意目出度存じ 奉り候次ぎに愚息方へ御祝儀として(次ページへまたがる) 

※ 重五の祝いとは・・五が重なる意で5月5日端午の節句の異称。

 

祝儀絹地座舗幟

殊当時高名之浮世

絵師以精画為御画

被下御厚志之段千万

忝仕合奉存候右御移

別製之干鱩任遠来

御祝儀として絹地座鋪幟 殊に当時高名の浮世 絵師の精画を以て御画となし 下され御厚志の段千万 忝く存じ奉り候右御移り 別製の干鱩遠来に任せ

進上之仕候御笑留被下候

ハゞ本懐之至ニ御座候

且毎事御芳恵之

御礼難尽筆紙奉

存候 不具

暑中見舞之文

これを進上仕り候御笑留下され候 はば本懐の至りに御座候 且つ毎事御芳恵の 御礼筆紙に尽くし難く存じ奉り候 不具 暑中見舞いの文

以飛札啓上仕候酷暑

之節ニ御座候得共其御地

皆様被成御揃弥

御清栄被成御座珍重

至極ニ奉存候随而当地

無異儀罷在候乍憚御

飛札を以て啓上仕り候酷暑 の節に御座候えどもその御地 皆様御揃いなされいよいよ 御清栄御座なされ珍重 至極に存じ奉り候随って当地 異儀無く罷り在り候憚り乍ら御

安意可被下候将軽微

之至ニ候得共江戸団

扇三拾本致進覧之候

聊暑中御見舞之験

斗ニ御座候 恐々謹言

同返書

安意下さる可く候将(まさに)軽微 の至りに候えども江戸団 扇三十本これを進覧致し候 聊か暑中見舞いの験 斗(ばかり)御座候 恐々謹言 同返書

※ 恐々謹とは 恐れながらつつしんで申し上げるという意の語。手紙文の結びに記して,敬意を表す

 


書翰用文鑑6 端午の文

2016-06-19 14:09:37 | 書翰用文鑑

今回は端午の文例を紹介します。

       端午の文

端午之御祝儀目出度

奉存候随而御子息様へ

錺兜菖蒲太刀与存

候處年々御手置宜

端午の文 端午の御祝儀めでたく 存じ奉り候随而って御子息さまへ 錺兜、菖蒲、太刀と存じ 候處年々御手置宜

敷品々与思当候故浮

世絵師歌川豊国並

国貞両画之武者絵

則絹地ニ為仕立乍麁

末御座鋪幟掛御目

申候誠初幟之御祝

敷き品々と思い当たり候故浮 世絵師歌川豊国並 国貞両画の武者絵 則ち絹地に仕立てたる麁末 乍ら御座鋪幟お目に掛け 申し候誠に初幟の御祝

賀之験迄ニ御座候 頓首

賀のしるしまでに御座候 頓首

「同返辞」以下は次回とします。読めた方コメント欄へどうぞ。


書翰用文鑑5 花見催す文の返辞

2016-06-18 11:36:32 | 書翰用文鑑

 文鑑4で宿題としていた読みですが、難しかったようですね。投稿はありませんでした。今回は「花見催す文」の「同返辞」を読むことにします。

同返辞

春遊之思召寄拙子

御誘引被下千万

奉多謝候何時成共

御供取希候先地方ハ

同返辞 春遊の思し召し寄り拙子 御誘引下され千万多謝奉り候何時なるとも 御供取希い候先ず地方ハ

何方与被思召候哉上野

飛鳥山等至極宜敷候得共

些変風候而御殿山歟

或ハ隅田川之辺

山水全備ニ候而一段之

眺望与奉存候尤桜

何方と思し召され候や上野 飛鳥山など至極よろしく候得ども 些か変風候て御殿山歟 或いは隅田川の辺り 山水全備に候て一段の 眺望と存じ奉り候尤桜

※ ここでは上野・飛鳥山・御殿山・隅田川の辺りなど江戸の花の名所が出てきますが、こういうところが古文書を読んでいて最も楽しいところです。

花賞翫御座候間

近来流行之大井

之桜なと如何可

有之哉是又山水

之勝地与及承候無

御覆蔵方角被仰

聞可被下候御答

草々不備

花賞翫御座候間 近来流行の大井 の桜など如何 これ有るべきや是又山水 の勝地と承き及び候 御覆蔵なく方角仰せ聞かせ下さるべく候 御答え 草々不備

※ 2行目に「近来流行之大井之桜」とありますが、どこにある桜なのでしょうか、ご存知の方教えて下さい。

聞かせ下さるべく候 御答え 草々不備

「端午之文」以下は次回とします。読めた方はコメントをどうぞ。

 


熊本新老人の会 俳句会6月例会

2016-06-17 15:43:17 | 俳句

震災のために4月5月と休会を余儀なくされていた句会が再開しました。会員の皆様それぞれに未曾有の揺れを体験されて、再会一番その体験談に一頻り。ともかくも無事に再会できたことを喜び合いました。

句会日時   2016-6-17  10時

句会場        パレア 9F

出席人数   5人

指導者    山澄陽子(ホトトキス同人)

出句要領  6句投句 6句選  兼題「行く春」

世話人    近田綾子 096-352-6664 句会出席希望の方は左記へお電話ください。

次回兼題  「白南風 (シラハエ)」 黒南風が吹いて梅雨に入り白南風が吹いて梅雨

        が終わる。そのころに吹く南風をいう。

 

杜若静かに古代思はする★          茂子

梔の花の匂へる朝散歩

著莪の花友の訃報を聞きし朝

行く春や親子それぞれ転勤す       武敬

行く春や車の免許返しけり

行く春や残れる寿命いくばくぞ

一匹の蛍に闇の動きけり★         安月子

一ト群の雀沈めり麦畑★

水匂ふ蛍の里に着きにけり

花屑の散り敷く庭の白さかな        綾子

地震(なひ)跡にブルーシートとあぢさゐと★

行く春や天気次第の旅プラン

校庭に春の月あり車中泊★         礁舎

行く春やマネキンあらぬ方を見し★

湧くやうに蝙蝠飛べり宮の杜

濃紫陽花溢れて咲けど地震禍憂し     陽子

方丈記真実(まこと)となりぬ春の闇

天日の水にもありて白菖蒲

                   印のある句は山澄陽子選に入選の句

 


書翰用文鑑4 上巳之文の返辞及び花見催す文

2016-06-14 18:47:48 | 書翰用文鑑

同返辞

御紙上辱拝開仕候

如仰春暖相催候處

弥御堅勝奉恐寿候

然者曲水之御祝儀

与御座候而姫方へ麗布

同返辞 御紙上辱(かたじけなく)拝開仕候 仰せの如く春暖相催候處 弥(いよいよ)御堅勝恐寿奉り候 然れば曲水之御祝儀 と御座候て姫方へ麗布

内裏雛被饋下御懇情

不浅辱奉存候別而為

致饗応可申候乍憚

御内君様へ宜敷御礼被

仰伝可被下候愚妻も

厚御礼申上度旨申

内裏雛饋(おくり)下され御懇情 浅からずかたじけなく存じ奉り候別して為に 饗応致し申すべく候憚りながら 御内君様へ宜敷御礼仰せ 伝えられ下さるべく候愚妻も 厚く御礼申上度旨申

上候心緒貴顔之

節与万端申残候右

貴酬申上度如此ニ御座候以上

花見催す文

四方八方之桜花開も

不残散も不肇唯今

上候心緒貴顔之 節万端申し残し候右 貴酬申し上げ度此の如くに御座候以上 花見催す文 四方八方の桜花開も 残らず散るも不肇唯今

真盛之由貴賎群集

之時候両三人申合候

上幕提重抔之古風

成事打捨一日御供

申度奉存候日限之定

前日被仰越可被下候

真盛の由貴賎群集 の時に候両三人申し合わせ候 上幕提重など古風 なる事打ち捨て一日御供 申し度存じ奉り候日限の定め 前日仰せ越され下さるべく候

※ 提重・・・携帯用重箱

草々不一

※ 同返辞以下は次回に繰り越し。以下4行は宿題とします。読めた方はコメント欄へどうぞ。


書翰用文鑑3 初午の文及び上巳の文

2016-06-13 01:10:41 | 書翰用文鑑

初午の文

打続天気快晴殊ニ

初午当日至極穏ニ而

一段大慶仕候然者

如兼約之王子稲

荷へ社参可仕奉存候

初午の文 打ち続く天気快晴 殊に初午当日は至極穏やかにて 一段大慶仕候然れば 兼ねて約の如く王子稲荷へ 社参仕るべく存じ奉り候

尤昼食者如例之

福寿布袋之内相

定可申候勿論帰

路之程者瀧之川

より肇候而至道

灌山及日暮之里若

尤も昼食は例の如く 福寿布袋の内に相 定め申すべく候勿論帰 路の程は瀧之川より肇候て道 灌山及び日暮れの里に至り若し

※ 2行目に「福寿布袋之内相定・・」とありますが、これはどういう事でしょうか。北区中央図書館の学芸員の方に教えていただいたのですが、福寿というのは福禄寿のことで田端東覚寺に祀られている神様のこと、当時の人々には福寿と言えば通じたそうです。

 また、同様に布袋と言えば西日暮里の修性院をさし両寺の間は900mほどで街道が通じており沿道には料理茶屋、水茶屋などが軒を並べていたそうです。

 

夕陽ニも及候ハゞ

可傭辻駕篭事

与御覚悟可然奉存候

先者御案内旁草々

御入来奉待入候不一

上巳之文

夕陽にも及び候はゞ 辻駕篭を傭うべき事 と御覚悟然るべく存じ奉り候 先ずは御案内旁草々 御入来待ち入り奉り候 不一

上巳之文

春暖日々相催候處

弥御安全被成御座珍

重之至御座候随而江戸

細工人原舟月作之内

裏雛一対並京都玉山

作之囃子かた禿人形

春暖日々相催し候ところ いよいよ御安全に御座なされ珍 重の至りに御座候随って江戸 細工人原舟月作の内 裏雛一対並に京都玉山 作の囃子かた禿人形

 

 

五人揃且庭前之桃花

相添御愛女様致進上

之候聊上巳御祝詞之

験迄御座候御笑納被

下候ハゞ幸甚之至奉

存候 頓首

五人揃い且つ庭前の桃花を 相添え御愛女様へこれを進上 致し候聊か上巳御祝詞の しるしまでに御座候御笑納くだされ候はば幸甚の至りに存じ奉り候 頓首


書翰用文鑑2 年賀

2016-06-09 08:57:03 | 書翰用文鑑

今回から書翰の文例に入ります。先ずは年賀の挨拶状

新春之御吉慶目

出度申納候先以其

御地御家内様御揃

被成御越陽奉恐寿候

次ニ当方無異儀加年仕候

新春のご吉慶めでたく申し納め候 先ず以てその御地御家内様御揃い御越陽なされ 恐寿奉り候 次に当方異儀なく加年仕候

※ 越陽という語は辞書にありませんが、一陽来復の陽と解釈して新年を迎える義と理解しました。

加年仕候乍憚御安意

可被下候右年頭之御

祝詞申上度如此ニ

御座候 猶期永日之

時候  恐惶謹言

同返事

加年仕候憚り乍ら御安意下さるべく候 右年頭之御祝詞申し上げたく此如くに御座候 猶永日の時を期し候 恐惶謹言

※ 永日 春の日の永いこと。 春になって日が永くなったらお会いしましょうとの意。

華翰忝拝読仕候如仰

春陽之御吉兆何方も

御用意目出度申籠候

弥御清栄御迎陽被

成候由珍賀之至ニ奉

存候右御祝詞申上度

華翰忝く拝読仕候 仰のごとく春陽の御吉兆 何方も御用意めでたく申し籠め候 いよいよ御清栄御迎陽なされ候由 珍賀の至りに存じ奉り候 右御祝詞申し上げたく

 

且御礼旁貴酬如此ニ

御座候猶永陽万

喜可申上候恐惶謹言

初午之文

打続天気快晴殊ニ

初午当日至極穏ニ而

且つ御礼かたがた貴酬此如くに御座候 猶永陽万喜申し上ぐべく候 恐惶謹言

初午の文 打ち続く天気快晴殊に 初午当日至極穏やかにて

 


神奈川宿台町の疑問解ける 膝栗毛初編16

2016-06-08 07:26:43 | 膝栗毛初編

 膝栗毛初編13で広重の絵の右側に家はなかったのか?・・という疑問を呈しておきましたが読者の方からお答えを戴きました。

 上の錦絵がその解答です。画面右側の坂道に人々の往来が書き込まれていますね、ここが神奈川宿台町です。ちゃんと右側にも家並みがあります。台町は片側町ではなかったということです。

 汽笛一声新橋を・・の蒸気車が横浜方面から走ってきました。人々は振り返って見物したことでしょう。そしてある感慨に打たれたはずです。最早将軍様の世に戻ることはない・・・と。


書翰用文鑑1 表紙及び試筆

2016-06-06 13:21:47 | 書翰用文鑑

 会員の平井さんがヤフオクで購入された古文書を読んでみることにします。著作権を気にしなくても良いので全文を掲載できます。

 和綴じで46枚もある長文の古文書ですが、項目毎に区切りをつけて連載物として掲載するつもりです。それなりに中身のある文書ですから古文書好きの方にはよろこんでいただけるものと確信します。

 中牧岸之助という人物がこの著作の作者と推定されますが、全く無名の人のようでネットの検索にはヒットしません。冊子の終わりに大平郷藤尾村という居住地らしい文字が記されていますが、これも地図上に特定できません。

 江戸時代後期から明治にかけて手習いの師匠として世渡りをしていた一人の武士を想像しますが、その人が遺した古文書であるという以上のことは何も分かりません。

慶応四戊辰年

書翰用文鑑

蘭月吉祥

 蘭月というのは陰暦七月の異称です。この表題の冊子は慶応四年七月に作成されたということです。また左側の崩し字は「鶴」とおもいます。露に似ているのですが微妙に違います。四字も書いてあり、それも一字は裏側から書いています。

 これは文字の練習なのです。どこかへ提出した正文の扣などにこうしたことがよく見られます。紙が貴重だった時代においては珍しいことではありませんでした。こういうことからこの冊子が板行を意図した物でなく個人の雑記帳的文書であったことが窺えます。

試 筆

楽民之楽者

民亦楽其楽

みやこぞはるのにしきなりけり

正月元旦 中牧岸之助

年徳大善神

 試筆というのは筆ならしという程の意味でしよう。楽民以下は孟子の言葉です。ネットで検索可。みやこ・・は古今集和歌集にある歌の後半部です。後に出てくる。

 正月元旦は恐らく慶応四年の正月元旦なのでしょう。その二日後の三日には京都に於て鳥羽伏見の戦いが勃発。日本史の激動が始まります。

 年徳(としとく)の神は陰陽道から来たことばで恵方神のこと。ウィキ情報にあります。

試 筆

佳辰令月歓無極

万歳 千秋楽 未央

みわたせば柳桜をこきまぜて都ぞ春のにしきなりけり

正月元旦 中牧岸之助

年徳大善神

 佳辰の「佳」は嘉の当て字でここは嘉辰でなければなりません。と言うのはこの成句は「和漢朗詠集」下巻「祝」からの引用だからです。朗詠集には「嘉辰令月歓無極 万歳千秋楽未央」とあります。「祝」の題からここはめでたいことばを並べてあるのです。それぞれの意味はネットで検索できますよ。

 みわたせば・・の和歌は古今集にある素性法師の歌です。これもネットで簡単に見ることが出来ますが、終七のむすびが、ここでは「なりけり」と終止形を採っていますが、原歌では「なりける」と連体形になっています。歌人はこういうところに細心の注意をはらうのであつて、「けり」とされては面目なしというところでしょう。

 この古文書を雑記帳的と言ったのはそういう雑なところが散見されるからです。

奉 牽牛織女

風従昨夜声弥怨

露及明朝涙不禁

秋立ていくかもあらねとこのねぬるあさけの風ハなをもすずしき

      星 夕

            中牧岸之助

 これも「和漢朗詠集」上巻秋七夕からの引用です。次のように読みます。

風ハきのふの夜より声弥(いよいよ)怨み、露ハ明朝に及びて涙禁ぜず。怨という字をまちがえています。死に心などいう漢字はありません。

秋立ちて幾日(いくか)もあらねばこの寝ぬる朝明(あさけ)の風は手本(たもと)寒しも 安貴王

万葉集にある歌ですが、これも正確な表記になっていませんね。