写生自在15 朝鮮時代1
戦前の朝鮮は日本の植民地にされて朝鮮の人達は民族的苦難を余儀なく
された時代であったでしょうね。しかし此処ではそういう事には深入りしません。
わが迦南はその時期の朝鮮に職を得てその地に35歳から60歳までの25年間
を過ごしています。龍山鉄道で管理職にまでなった人のようですが、職歴等につ
いては年譜にも詳しい記載がなく、職業人としての迦南像は不明確です。ただ、
俳人としての迦南なら相当数の俳句が残っており、作品を通してその人となりを
窺い知ることができ、また句に詠まれた風物をとおして朝鮮の往時を偲ぶことも
できます。しばらく、朝鮮時代の句を鑑賞していきます。
ここにいう朝鮮とは李氏朝鮮以来の朝鮮のことで南北に分断される以前の朝
鮮国のことです。
旅かさね来し国境の春の雪 迦 南
こういう句の面白さを俳句初心の方へ説明するのはなかなか骨の折
れることですが、わたしは得も言われぬ叙情味を感じています。
国境というからには日本国内ではなく、朝鮮とか満州とか、或いは
もっと遠くモンゴルのことかもわかりません。要するに当時の言葉で言
えば外地における国境なのです。
そういうところへ内地から遙々と旅を重ねて来たものだ、という感慨が
まず感得され、もとより観光などではなく、何か任務を帯びた旅行のよ
うに思えます。ある国境の駅へ降り立ったら春の雪が積もっていて、そ
れを目にしてちょつとの間だけ緊張感から解放されたというのです。な
ぜそう言えるのかと言えば、それは季題「春の雪」の働きで、これが「吹
雪」、だったらそういう効果は生まれないでしょう。
また、駅へ降りた場合ではなく、国境を通過する車窓の雪景色かもし
れません。それはどちらであってもこの句の趣に影響はないのです。し
かし初めの解の方が作者の思いによく寄り添えるものと思います。
そしてもう一つ、これが最も重要なことですが、叙法のことです。 こ
の句には「切れ」がありません。「旅かさね来し国境の」まで一気に読ん
で、このフレーズ全体が「春の雪」の連体修飾語となっています。
この叙法によってこの句に力強さが付与されました。ここは見逃すこ
とのできぬところです。