享保四年九月四日
一、下益城塚原村小木大明神之祭礼 九月九日にて候 前々より宮下の氏子共神前に於いて笹踊り仕 神事勤め来たり候 当年も旧例之如く軽ク笹踊りにて神事相勤め度由 御惣庄屋廻江彦左衛門書付御郡奉行衆より相達せられ候に付例書相添へ御家老中へ相達し願いの如く仰せ付けられ候事
塚原村というのは塚原古墳群で知られる所で、現在は熊本市と合併して所在の名称は熊本市城南町塚原である。塚原の小字に小木という集落がありそこに小木大明神はある。現在の社名は小木阿蘇神社。上記古文書は御郡方役人の起案による紋切型の文章であるのだが一カ所だけ単調を破る修飾語がある。「当年も旧例の如く軽ク笹踊りにて・・」という箇所の「軽ク」である。公文書に似つかわしくない主観語でよくも見過ごされたものだと思うのだがこの欠点があるために後世の者には却って面白い。