古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

これから古文書に挑戦したい方のための読み合わせ会です。また独学希望の方にはメール会員制度もあります。初心者向け教室です。

迦南俳句を読む 3   横井迦南句集より

2017-04-18 21:34:02 | 横井迦南

写生自在 1

建て増して軒端の梅となりにけり     迦 南

道々に戦果のラジオ初詣           〃

春雷や主人の座なる熊の皮         〃

▽ 建て増しての句、こういう何でもないような句材は、ついつい見落とし

てしまい勝ちですが、詠まれてみるとなかなか面白いですね。こちらの

闊さを思い知らされたような、そんな心持ちがします。朝鮮での自宅

増築時の詠句とすれば昭和12年の作。

▽ 道々にの句、これは昭和17年正月の句。前年12月8日に米英に対し

宣戦布告をして日本軍が破竹の勢いを示していた時期。萬歳、

の声が聞こえてくるようですね。この時迦南は朝鮮を引き払って鹿児

島市に住居を移していたしていたので、このラジオ放送は鹿児島で

もの。戦意高揚の句と言えぬこともないのですが、今となってみれば資

料的価値で評価できます。

▽ 春雷やの句、こういうのは春雷と熊の皮との取り合わせが巧くかみ合っ   

ているかどうかで評価がきまります。春雷というのは吃驚りするような

を出すこともありますが、大抵は1,2回で終わり、もっと鳴って欲し

いと耳をすましたりもするもので、夏の本格的な雷に比べると優美と

言っよいらいのものです。ですからここへ虎の皮などを持って来る

と、雷の優美の間に乖離を生じて失敗作となり、熊の皮くらいで

ぴったりと調和するのです。また、狐や狸では春雷に対して位負けであ

るのと同時にの貫禄落としてしまいます。

 


迦南俳句を読む 2    横井迦南句集より

2017-04-18 14:59:21 | 横井迦南

    迦南の死

横井迦南は昭和二十八年二月九日、宇土郡三角町の下宿先において

十三歳の生涯を閉じますが、それは普通の死ではなく睡眠薬による

服毒自殺でした。

枕許には遺書と遺詠が並べて置いてあり、遺書には

「係累のない自分のような人間は生きていても仕方がない。年老い

て他人様に迷惑をかけるようになる前に身の始末を付けておきたい。

けして自分は世の中に絶望して死ぬのではい。これは病妻に死別した

きから、画していたことである。」

という意味合いのことが記されていました。鰥寡孤独という言葉があり

すが、迦南夫妻には子がなく夫人の死とともに、迦南はまさに鰥寡孤

独の境涯に落ち入っていたのです。

 

遺 詠

わが命ここに極まり冴返る      迦 南

春炬燵安楽往生うたがわず      〃

嘘いうて心で詫びて春こたつ      〃

明日はまた夜伽も嘸や寒からん    〃

死魔と詩魔かたみに徂来春灯下   〃

春灯の今はのきはに明るくて      〃

あら可笑し炭火に酔へる心地して   〃

やがてなき身とも思はず炭をつぎ   〃

 

その年の秋宗像夕野火氏等によって『迦南句集』が編まれ虚子が序文 

を寄せ、「阿蘇」主宰の阿部小壺氏が後記を書きました。虚子序文の一

部と小壺氏の後記を抄録しておきます。

 

   序

横井迦南君が死を選んだ。その詳報がもたらされたので、状況も明ら

かになった。私はその死んだ心持ちに同情するところもあつたが、不可

解なところもあった。(中略)

私は何故迦南君が死を選んだか、それには細君に死別されたといふ

事もあらう。又実子の無かつたといふ事もあらう。自分の俳句が自分の

ふやうにならなかつといふ事もあらう。又自ら言ふ如く、生きて世

益なき自分であるから此の上生きて人に迷惑をかけるにしのびぬか

ら、といふ意味も勿論あつたのであらう。が、何故に死を選んだかとい

ふ事は、私にはまだ合点のゆかぬ節がある。唯君は自ら己を殺した事

によつて、自己満足を得たといふ事だけは認めねばならぬ。

  昭和二十八年五月二十六日

                      鎌倉草庵

                          高浜虚子

 春来ること疑はず逝かれけん  虚 子

  

  後 記

迦南先生の死について如何に発表すべきか如何に処置すべきか、私

の非常に苦慮したことであつた。

先生の死は崇高であり厳粛であり、私共は私共の主観を挿むことな

く、ありのまゝに取扱ふことが妥当であると考へた。

先生の霊をいさゝか慰めるための句集の発行、先生を偲ぶところの句

碑の建設とを考へたが、これも果して個人の意思に副ふやいなやはわ

らないが、残された者としての止み難きものであつた。

本書の発行については、ホトトキスに載録されたもの全句を宗像夕野

火氏の編集に基き、年譜については同氏及び佐藤寥々子氏の調査に

よつたものであることを付記して謝意を表する。

序文を頂いた虚子先生、装幀を煩はした獨立美展の海老原画伯に対

して心から感謝の意を表し、特別の協力をされた石田印刷石田巌氏に

たいしても感謝したい。

  昭和二十八年晩秋

                        阿部小壺