写生自在6 桜 島 四句
桜島夜々月をあげ猫の恋 迦 南
繕ひし垣に裾揚げ桜島 〃
春潮や裾ひろやかに桜島 〃
月上げて何時しか低し桜島 〃
迦南の鹿児島仮寓は昭和15年から19年までの4年間でした。その地にどんな知る辺があったのか、句集には何も記されていません。また、その後の多良木町移転も、さらに三角町転居についても同様です。
迦南は元々名古屋の人であり、名古屋には横井姓が多くかの横井也有も尾張藩の俳人でした。迦南もそういう血筋の人ではないかと想像するのですが、これは確認のしようもありません。
さて、桜島を詠んだ句で句集に収められているのはこの4句のみです。日々桜島を望みながら4年間で4句とは少ないですね。句稿の散逸が考えられます。
迦南は生前に句集を出していません。そのつもりがなかったのだと思われます。そのため転居の度毎に散逸したのでしょうが惜しまれます。
1句目は恋猫の句、早春の皓々たる月明かりの中に狂おしい恋猫の啼き声が毎夜のように耳に付く。一方桜島は黒々とした山容を見せてこれも夜ごとに月を上げている。大きなものと小さなものとの対比を描出して、恋猫の哀れに心を寄せているのです。
2句目、繕ひし垣というのは生け垣でも柴垣でも、どちらでもよいのですが、それがきれいに繕われた。破れほうだいであったときとは見違えるほどに桜島に精気が甦った。まるで裾上げをしたようだというのです。裾上の一語で句が溌剌としました。
3句目、今度は裾が広いという把握です。錦江湾に漲り寄せる春潮、もうそれだけで桜島の山姿が彷彿とします。
4句目、いつしか低しという、これは発見ですね。そして言われて見れば誰にも思い当たることなのです。写生の目が捉えた一句です。