
東の空に満月
201012/20 pm18:21
2000/09/24
午前5時16分
永眠。
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看護士さんのエンゼルケアを受けた父はストレッチャーに乗せられ
地下の霊安室に安置された。
担当医と看護士の弔問を受けてほどなく葬儀社の車が迎えにきた。
黒いワゴン車の後ろに父が乗り、かたわらに母が付き添った。
自宅前で近所の方の出迎えを受け、父は1階の居間に安置された。
線香がともり一膳飯が供えられた白木の祭壇が枕元に置かれている。
梱包を解いた新しい介護ベッドに横たわった父は、両脇と胸とお腹に
大量のドライアイスを置かれ、真っ白い掛け布団の上に守り刀を置く。
髪を整え、ヒゲを剃り、こけた両頬に脱脂綿を含んだ。
オヤジ、約束は守ったよ。
これからの3日間は家族と親戚と親しい人たちと一緒に過ごす。
最初の夜は身内と親しい人だけで蝋燭の火を絶やさず朝を迎え、
2日目の夜は近所の人たちと一緒に賑やかな仮通夜を営んだ。
3日目の夜、
母は「おまえたちは帰れ」と言い出した。
最後の夜くらい二人きりで過ごしたい...それが母の望みなら。
もしやの不安を抱えながら、少し離れた空き地で車中泊をした。
まんじりともしないで迎えた4日目の朝、
フロントウインドウから差し込んだ朝陽が忘れられない。
夜明けと共にもどかしく玄関をあけ、居間の襖を開けた。
母は父の傍らに座り、頭を撫でながらぶつぶつ呟いていた。
「少しは寝た?...なにしてたの」
「お父さん口もきけなくなっちゃったからね。
あの世にいってもさびしくないように畑のことやいろいろ話したの」
納棺をすませ、また黒いワゴン車に乗り、近所の方たちが手を
合わせて見送ってくれるなか、葬祭場に向け自宅をあとにした。
葬祭場でのお通夜が終わった夜、会場の左奥にあるバス、
トイレ付きの広い和室に家族5人で宿泊した。
部屋に入って右側の引き戸を開けるとそこに祭壇と柩が見えた。
この部屋は2枚の大きな引き戸で会場と仕切られていた。
夜通し扉を開け放ち、線香を絶やさず、オヤジの前で酒を飲む。
母は夜中に何度もオヤジの顔を覗き込む。
覗くだけではあき足らず、背を屈めてオヤジの顔を撫でていた。
会場に入ったときは足元もおぼつかず、頼りなげに見えた母が
髪を結い、喪服を着て帯を締めると見違えるようにシャンとした。
やはり母も戦前・戦中・戦後を生きた大正の人。
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父が亡きあと母はひとりで実家を守った。
その母も3年前に病を得てわずか3ヶ月、延命治療をかたくなに拒み、
最後は家族に看取られ「ありがとう」の言葉を残しあっけなく逝った。
彼岸と此岸をゆく船に 吾も乗りたや 声聴かむ
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