睡蓮の千夜一夜

馬はモンゴルの誇り、
馬は草原の風の生まれ変わり。
坂口安吾の言葉「生きよ・堕ちよ」を拝す。

雨の日は十指に余る訃報をひもとく掃苔簿

2021-03-13 12:45:13 | 逝ける人々



雨の雫が造る王冠を撮るのに熱中したことがある。
いま思えばどうでもいいことだが、
いま思うにどうでもいいことに熱中するのことが
少なくなってきた、なぜだろ?

つまらないことに熱中して喜ぶのは自分の取柄だし、
空いた時間を作らないのは貧乏性だと思っていた。

同窓生にすごく頭がよくてスカしてるヤツがいて、
彼は常々おれは勉強きらいとのたまっていた。
でもぼくは知っている。
学校から帰ると彼は夜遅くまで勉強していることを、
勉強でも趣味でも嫌いなことには没頭できないはず。

母親つながりで彼が勉強好きと分かっているのに
彼は仲間やぼくたちにも勉強ギライを通していた。
それが彼の矜持であり美学なんだろう、
彼に倣いぼくも最後まで彼に弱みを見せなかった。

秀才の彼とやんちゃな自分、
一見⊕と⊖に見えるが、本質は⊕と⊕のぶつかりあい、
ベクトルが違うだけで互いに競い合うのは同じこと。
互いに嫉妬を感じたらもう離れるしかなかった。

早々と泉下にくだった彼の命日は3月28日、
西行の風流を求める人ではないのに桜3月に逝くとは、
旧友との世間話で彼の急逝を知ったときにそう思った。

敦盛の人間五十年を過ぎてから受け取った訃報は十指に余る、
雨の日はそのひとつひとつを紐解き偲んでみよう。

家族を除いて、
失ってから存在の大きさを知るのはせつないことだ。
いつもそこにいて、酒を呑み、野山に遊び、麻雀をする、
音楽の好みが一緒、豪快に笑い、夜の焚き火を好み、
郷愁とセンチメンタルを知る人。

あの唄のあのセリフが
いつもアタマに流れてくる
「いいやつばかりが先にゆく
どうでもいいのが残される」


こんな日は、
雨の日ぐらいいいよな
墓参にもおいそれと行けないぼくは
雫の冠がナミダの冠にならないよう
掃苔録ならぬ掃苔簿ということで。


空が明るくなってきた
よい週末を
Have a nice day!





見た目うまくできた青椒肉絲
食べてもうまかった。昨日の夕飯は青椒肉絲、ほうれん草のおひたし、漬物きんとき煮豆、ワカメと豆腐の味噌汁。材料はタケノコ細切り水煮1袋、ピーマン4個、肉は冷凍してある牛ロースを半解凍......




今日のブランチは炊飯器で作った
オレンジピールの蒸しパンにバターをのせて




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