睡蓮の千夜一夜

馬はモンゴルの誇り、
馬は草原の風の生まれ変わり。
坂口安吾の言葉「生きよ・堕ちよ」を拝す。

風雪のビバーク「最後まで戦ふも命 友の辺に捨つるも命 共に逝く」松濤明

2009-09-28 00:38:58 | 逝ける人々





〔風雪のビバーク〕
特選山岳名著シリーズ  松濤 明 二見書房


「○○も地獄、○○も地獄」みたいな言葉が目につく。
それを聞くたびに「最後まで戦ふも命友の辺に捨つるも命共に逝く」
遺書を思い出す。だが、彼の名前を思い出せずなんとも気にかかる。
猛吹雪に閉ざされた雪山で友を見捨てられず逍遥と死を選んだ山男。

かなり昔に読んだ本で記憶が曖昧だが、厳冬期の槍ヶ岳でビバーク
するも、先に凍死した友を見捨てることが出来ず共に逝くことを決意し、
意識が遠のくまで遺書をつづった。
その最後の一文が上記の内容だったような気がする。

遺書はカタカナ?、場所は北鎌?

その疑問を解決するために5連休の半分を読書に費やしたのに、
お目当ての本はあの15冊の中になかった。
ひょんなことから本の題名「風雪のビバーク」を思いだし、
東京登歩渓流会の松涛明氏と分かった。
遭難場所は北アルプス槍ヶ岳北鎌尾根・千丈沢。

 1月4日 フーセツ   
 天狗ノコシカケヨリ ドッペウヲコエテ 北カマ平ノノボリニカカリテ

 ビバーク、カンキキビシキタメ有元ハ足ヲ第2度トウショウニヤラレル、
 セツドーハ小ク、夜中入口ヲカゼニサラワレ、全身ユキデヌレル。
 テング○:(八・一五)-ドッペウ(一一・○○)-小○:(一五・三○)

 1月5日 フーセツ
 SNOWHOLEヲ出タトタン全身バリバリニコオル、手モアイゼンバンドモ

 凍ッテ、アイゼン、ツケラレズ、ステップカットデヤリマデユカント
 セシモ有元千丈側ニスリップ 上リナホス力(ちから)ナキタメ共ニ千丈ヘ
 下ル、  カラミデモ ラッセルムネマデ、15時SHヲホル

 1月6日 フーセツ
 全身凍ッテ力ナシ 何トカ湯俣迄ト思ウモ有元ヲ捨テルニシノビズ、
 死ヲ決ス オカアサン アナタノヤサシサニ タダカンシャ、
 一アシ先ニオトウサンノ所ヘ行キマス。
 何ノコーヨウモ出来ズ死ヌツミヲオユルシ下サイ ツヨク生キテ下サイ

 手ノユビトーショウデ思フコトノ千分ノ一モカケズ モーシワケナシ 
 ハハ、オト-トヲタノミマス

 有元ト死ヲ決シタノガ六時 今一四時 仲々死ネナイ 漸ク腰迄硬直ガキタ

  全シンフルヘ 有元モHERZ、ソロソロクルシ ヒグレト共ニ凡テオワラン
 ユタカ、ヤスシ、タカヲヨ
 スマヌ、ユルセ、ツヨクコーヨウタノム  

 サイゴマデ タタカフモイノチ 友ノ辺ニ スツルモイノチ 共ニユク

 我々ガ死ンデ 死ガイハ水ニトケ、ヤガテ海に入り、魚ヲ肥ヤシ、
 又人ノ身体を作ル、個人ハカリノ姿 グルグルマワル 
 松ナミ

かたわらに眠る友の遺体の横で、彼はみずから壮絶な死を選んだ。
友がすでに死んでいるのなら、なぜ彼1人でも山を降りて救援隊を
呼ばなかったのか、と疑問を持つ方もいると思うが、
1949年厳冬期の北鎌尾根、ツェルトもない時代の装備、アイゼンも
付けられないほどバリバリに凍りつく厳しい寒気、
空身でも胸までのラッセル、目の前で友が千丈沢に滑落、ああ想像に
余りある。

白い悪魔に魅入られたものがその身を捧げても、
記憶だけは私たちの胸にいつまでも生きている。合掌。


〔カヌー犬・ガク〕 野田知佑 ISBN4-09-411021-6 小学館文庫

3938年生まれ・カヌーイストの野田知佑氏が元気。
1997年にフィラリアでガク(not椎名誠の息子)を失った野田氏。
「カヌー犬・ガク」を書くことによって、野田氏流の「おとしまえ」
がついたということなんだろうか。そうであって欲しい。 

  ある日、ガクは森の中に入ったまま、帰ってこなかった。
  そこは匂いの強いスプルース(トウヒ)の森の中なので、

  その匂いに鼻をやられたの
  だろうかと思い、ぼくは一時間おきに銃を撃った。

  次ぎの日も彼は帰ってこず、ぼくは
  本気になって心配しだした。もし森の中で迷ったのならニ、

  三週間はいてやろうと思った。
  三日目、ぼくがご飯を炊いていると、横の薮の中からガクが

  ひょいと顔を出した。
  ぼくと目が合った瞬間、ガクはほっとした表情になり、

  次に頭を下げて尻尾を激しく振り  ながらぼくの方にやって来た。
  ぼくに怒られるのが判っていたのだ。
  ガクはニ、三発ゲンコツをもらい、それでも嬉しそうに尻尾をちぎれ

  るように振っていた。
  ・
  最近ガクはぼくをじっと見つめることが多く、気になる。
  ・
  今日、病院に遺体を引き取りに行った。
   
  二つのダンボール箱を張り合わせてつくった棺の中に、
  花に埋まってガクはいた。
  ガクは口を少し開けて横たわっていた。
  いつもぼくに「ガク、口が開いてるぞ。口をちゃんと閉めろ」

  といわれ、あわてて口を閉めていたが、もうそんな注意を受け
  ることもないわけだ。
  ・
  家に帰ったが何もする気にならず、ビデオの映画を観たが少しも

  画面に入っていけない。
  ガクの息子たちを連れて川原に行った。

  ゆっくりと歩いていたガクを見慣れた目には、若い息子たちの
  動きは残酷なほど激しく生命力に満ちている。

  川原を走り回る二匹の犬を見ながら、ぼくは草の上に腰をおろし

  ぼんやりしていた。帰る途中、ガクはもういないのだという事実が
  胸を衝き、喪失感で田のあぜ道に立ちすくむのである。

最後の二行で野田氏の深い喪失感が手に取るように分かる。
野田氏のガクを自分にとっての千衣子(猫)に置き換えたとき、
不覚にもはらはらと落ちた。



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