私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

自覚を始められる方へ

2014年12月13日 21時37分13秒 | 自覚ワーク等の紹介
◇自覚を始められる方へ◇

自覚に初めて取り組もうとしておられる複数の方から、コメントやメールでのアクセスを頂きましたので、いい機会だと思いまして、自覚のガイダンス的なことを少しご案内したいと思います。

自覚がどういうものかや、そのやり方の基本的なところにつきましては、このブログカテゴリの自覚ワークの紹介カテゴリに入っている下記の文章をご参照頂きたいと思います。
「自覚」という言葉を初めて聞かれた方は、何だかよく分からない感じとか、簡単には理解できない深淵な何かがあるのではないかとか、いろいろ感じたり考えられると思いますが、「自覚」とはとてもシンプルで簡単なことなのです。
「自覚」の基本は、まずは自分に関心を持ち、自分に意識を向けることなのです。
本当にそれだけなのです。
そうして、自分に意識を向けているうち、自分の意識の動きが見え始め、それを観察するようになっていきます。
そして、自分が何か考えを握りしめ、それに囚われていることに気づくようになります。
そうやって、握りしめている考えにひとつひとつ気づいていけば、自ずと悟りの道を進んでいくことになります。

それと、強く申し上げたいことは、自覚はひとりでも十分にできるということです。
確かに、既にある程度上手に自覚をやっている先人と会って、対面で直接教えてもらうと早く習得できる場合もあるかとは思いますが、ひとりでも十分にやれます。
現に、このブログや掲示板に来られる方々の中には、誰からも教えてもらうことなく独力で自覚を習得しておられる方や、このブログに書いた私の文章等を参考にして自覚を習得され、上手に自覚をやってられる方が複数おられます。

自覚ワークの基本的な内容や、やり方については、まずはこれらの記事からお読み頂きたいと思います。
「私に意識を向ける」
「自分を観るワーク」
「自分を愛するワーク」
「進捗の自己確認など」
「自覚のポイントやコツなど」
「改めて自覚ワーク(1)」
「改めて自覚ワーク(2)」
「自覚ワーク:創造主としての実感を深めていく」
「自覚ワーク:私を愛し、本来の私を取り戻していく」

そして、ある程度上手に自覚ができるようになられた方は、これらの記事を参考にしてみて頂きたいと思います。
「自分に意識を向けるワーク」
「「私」に意識を向け続ける」
「「判断」について吟味し、検証する」
「ハートの自覚ワークについて(1)」
「ハートの自覚ワークについて(2)」
「大悟を得る(天から梵天へ)(2)」

自覚に関するガイダンス的なことは以上です。

最後に、自覚に取り組んでいく上で実はとても重要なことがありまして、そのことについて書かせていただきたいと思います。
その重要なこととは、「集中力」なんです。
自覚を進めていかれるうちに自ずと集中力も磨かれていくのですが、私の周りの方々の例を見ておりますと、どうやら自覚を始める段階でどれだけ高い集中力を持っているかがとても重要であるようなのです。
集中力が弱いと、仮にある程度自覚ができるようになっても、自覚が弱いため、浅い自覚のままそれ以上進まなくなってしまうのです。

そのため、私としては、まだ集中力が不十分な方については、自覚と並行して呼吸瞑想等の集中力を養う瞑想をやられたらいいのではないかと思っています。
例えば、呼吸に意識を向けて瞑想する数息観等をやられたらどうかと思います。
あるいは、私が昔やっておりました呼吸瞑想のようなものでも結構です(私が昔やっていた呼吸瞑想はこの記事をご参照ください)。

それで、どの程度の集中力があればいいのかと言いますと、これもケースバイケースではありますが、集中力を高めて自分に意識を向けているときや、呼吸瞑想等により深い瞑想状態に入っているときに、少なくとも数秒程度はしっかりと思考が停止するようになっているのが好ましいと思います。
また、意識の集中が高まったときに、呼吸が停止するほど集中が高まっているようであれば、十分な集中力を持っておられると思います。

以上、ご質問等がありましたら、ブログコメント、掲示板、メール、なんでも結構ですから、ご連絡いただきたいと思います。


コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。

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45 コメント

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この記事はありがたいです。 (21さい)
2014-12-14 03:17:47
一時期諦めムードになってたんですが何とか粘りました/ _ ;
どうも掲示板に書き込みさせてもらうと(掲示板に限らず他の人とやり取りしだすとですね)宇宙等の事に興味が向かい出して意識が自分に向かなくなるんですよね。掲示板でやり取りしてくれた慧空さんはもう僕のクセみたいなものをわかってくれてるかもしれませんが他の人とやり取りさせてもらうとふらつきますね。用は自らの考えに翻弄されてしまって自覚が出来なくなるんですよね。それをわかって慧空さんは僕に自覚が上手くいってない雰囲気を感じられたんだと思います。実際上手く自覚出来てませんし。でも人とやり取りしなくなると落ち着いてくるんです。学生時代も勉強は一人でやる方が成績も伸びていたのを思い出しました(関係ないか…)

ここでいう「真我」っていうのが全く理解できないのですが記事を読み返させてもらったりまだ読んでない記事を見ることで理解でくるのでしょうか普段から自分に意識を向けていればおのずと理解できるのでしょうかまだまだわからないことだらけですが全然諦めてませんよ(^ ^)これからも辛いでしょうが粘り続けます。記事ありがとですm(._.)m
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Unknown (21さい)
2014-12-14 05:40:29
今まで自分の将来とか色んなことで不安定で中途半端な自覚しかできませんでした。そもそも発心が湧いてこなかったんです。ですが今日、彷徨うのはもうやめようって気持ちが起こってきてハッとしました。今まで色んな事にのめり込みやすいタイプで悩みも趣味も飽きるまで諦めずにのめり込んできたんで自覚に関しても自分は諦められないんだなと確信しました。今まで中途半端気持ちでフラフラしてきて慧空さんに申し訳ないですm(._.)mこうやって書いてるのも苦しい。自分がブレてしまうため極力コメも必要最低限にして掲示板にはもう行かないと思いますが毎日ブログを読んで勉強してますのでよろしくお願いします。
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質問です。 (NOA)
2014-12-14 16:00:44
慧空さん

自覚のワーク方法について、まとめていただき、ありがとうございます。

早速ですが、質問です。

自分に起きること(眼耳鼻舌身意へ)を、操作せずに、ただ、気づいているという方法(米国で言うマインドフルネス)は、自覚の方法として使ってよろしいのでしょうか?

ただ、気づいているというやり方の場合、起きることを対象物として捉えるので、気づいている自我(自己?)が、明確になるように自分は感じます。ただし、この場合、自分が対象物(行為や心に発生すること)を、起こしているという自覚はほとんど感じません。

自覚のワークの場合、単に気づいているのではなく、「これは自分が起こしていることだ!」と、十分意識をすることが大事なのでしょうか?

井上ぎえん老師系列の修行ですと、最初から、六根(眼耳鼻舌身意)に手をつけない、解放しておくように、と良く言われ、気づいている自分を意識するような指導はされません。受け入れるというやり方なのでしょうか?自分の感じですと、第3段階の大悟が終着点になっているように思われます。

散漫な文になってしまいましたが、そのまま投稿させていただきますので、よろしく、お願いします。
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Re:21さいさんへ (慧空)
2014-12-14 20:18:48
コメントありがとうございます。
21さいさんの場合は、どうやら深い苦しみを感じておられるようなので、自覚をやめようとしてもおそらく無理ですよ。(^^)
仮に途切れ途切れになっても、きっと続けていかれることになると思います。(^^)

それと、私に対する申し訳ないなどの考えは不要ですよ。
すみませんが、私は、21さいさんが自覚をしようがやめようが、何とも思ってないです。(^^)
私に申し訳ないと思うご自分に意識を向けられて、自分は申し訳ないと思っているんだなと自覚してください。

それと真我についてですが、そう焦らず、まずは地道に自覚をやって頂きたいと思います。
真我の覚醒等は、自覚を続けていかれ、21さいさんが握りしめている考えに気づいていかれるうちに、きっと訪れますから。
大丈夫です。(^^)
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Re:NOAさんへ (慧空)
2014-12-14 20:52:04
コメントありがとうございます。

MOAさんは、内観系の瞑想についてお詳しいようですね。
私なんかよりよっぽどお詳しいのだと思います。
事実、私は「マインドフルネス」という言葉を今日初めて聞きました。(^o^)

マインドフルネスについて少し調べました。
それがどういうものであるかは、大凡分かりました。

上でNOAさんのが着目しておられる点は、内観系の瞑想体系を観る上で、実はとても重要であり、本質的なところなのです。
殆どの内観系の瞑想は、「私」の意識の動きに気づいていて、ただそれを観察するという点に重点がおかれています。
このような瞑想によって、観照意識が磨かれていき、それはそれで悟りには有効に作用するのですが、これでは重要な要素が欠落していることが多いのです。

その重要な要素とは、私という自我の「主体性」です。
私という自我を捉える見性という悟りには、私の意識の動きについて気づいている観照意識と、私という自我の主体性(「私が」それらの考えを起こしているものだ、あるいは、それらの考えは「私に」起こってきているものだという自覚です)の二つが要素が必要なのです。
この二つの要素はどちらも重要なものですが、私としては、主体性の方が重要度が高いと思っています。
なぜなら、観照意識が進んでも、主体性の方が脆弱であったり、欠落していると、悟りを深めていくうち、私という自我を見失ってしまうからです。
自我を見失うと、その時点で悟り進展は終わってしまうのです。
悟りの道をどこまでも進んでいくためには、最後まで私という自我をしっかりと捉えて、主体性を維持している必要があるのです。

NOAさんもご指摘の通り、禅系の瞑想では、観照意識の方に重点が偏り過ぎているのです。
そのため、禅の系統では、多くの場合、せいぜい天界(小悟)の悟り階層の空の理解に到達するのがやっとなのです。
希に、大悟まで到達される方がおられるようですが、精一杯のところで、大悟止まりとなってしまうのです。
言ってしまいますと、禅系の方で解脱の悟りを得られた方は、過去から現在においてまだおられないのだろうと思っています。

ですから、繰り返しますと、自我をしっかりと捉え、主体性を維持しながら、進んでいくということがとても大切なんです。
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Unknown (21さい)
2014-12-14 20:56:44
>>自覚をやめようとしてもおそらく無理ですよ。(^^)

心からこの一言に尽きます/ _ ;

自覚をやめようだなんてこれからもまず思えないと思います。
一回本気で諦めようと思ったんでがまたすぐにいろいろな葛藤が込み上げてきて風呂に入ってるときにもう彷徨うのはやめたいって気持ちが湧き上がってきて前よりも強く思うようになりました。

申し訳ないないという思いは私の考えであるとわかっていながらも書きたくてかかせてもらいました。

自覚の記事にあげられているコツについて中心軸に意識を置くとあるんですが中央に置くというよりは自分の後ろとか周り全体から中心(胸など)を観るほうが集中度は高まる気がするんですがこれも楽器の弾き方やスポーツのフォームが此処で違うように自分のやりやすいものでいいかなと思ってます。楽器もずっとやってるとじぶんなりの形が出来て急に弾けるようになりますし。自分なりの形を見つけたら一日中集中できるだろうなぁと感じています。瞑想もアファメーションせずただ思考を観るものを少しやってみようかなと

諦めれません/ _ ;
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Re:21さいさんへ (慧空)
2014-12-14 21:03:23
>中心軸に意識を置くとあるんですが中央に置くというよりは自分の後ろとか周り全体から中心(胸など)を観るほうが集中度は高まる気がするんです

なるほど、もちろんそれでも大丈夫ですよ^^

>諦めれません/ _ ;

いいですねー^^
応援してます^^
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Re:NOAさんへ (慧空)
2014-12-14 21:07:26
書き忘れたので、補足です。

マインドフルネスは、上記のように、ここで言う自覚の二つの要素のうちの一つに含まれるものですから、もちろん、自覚と併用していただいてもまったく問題ないですよ。
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慧空さん、ありがとうございます。 (NOA)
2014-12-14 22:02:30
なるほど、良くわかりました。主体性ですね。

禅でも公案を使う臨済系は、また、方向性が異なるのかもしれませんが、私は、こちらには詳しくないです。

どちらせよ、自我の主体性を重視する形で進めてみます。
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ハートの自覚 (素色)
2015-01-07 18:22:49
内観に行き詰まりを感じていたところ、こちらのブログに出会いました。
ピンときまして、早速ハートの自覚ワークをやりましたら、ハートから『わたしは………!』と自我が主張してきて、
わたしはまだ、こんなにも言いたいことがあったんだ、と気づけました。
たくさん聞いてあげようと思います。
素晴らしいワークを教えて頂き、ありがとうございます。
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