◇人生を賭けているか◇
誰しも皆、一度切りの人生を生きています。
しかし、その人生の場面、場面は刻々と移り過ぎていき、ともすれば流されてしまいます。
「自分は、人生を賭けているのか」
人生の時どきに、この問いを自分自身に投げかけてみていただきたいと思います。
◇人生を賭けているか◇
誰しも皆、一度切りの人生を生きています。
しかし、その人生の場面、場面は刻々と移り過ぎていき、ともすれば流されてしまいます。
「自分は、人生を賭けているのか」
人生の時どきに、この問いを自分自身に投げかけてみていただきたいと思います。
◇改めて幸福論と本心について◇
少し前に「幸福論と本心」というテーマで記事を書いたのですが、どうも今一つしっくりしないまま書いてしまい、そのままになっていました。
そのもやもやしていた部分が私の中でやっとハッキリしましたので、改めて記事にしておきたいと思います。
短刀直入に書くと、私という存在にとって本心が重要、もっと言えば本心だけが重要なのであって、それ以外はどうでもいいのです。
本心に悟りが含まれている場合は、悟りも重要になりますが、そうでないなら、悟りだってどうでもいいことなのです。
つまり、本心に向き合えているか、取り組めているかが重要なのであって、幸せかどうかなんてどうでもいいことなのです。
本当に自分にとって大切なこと、どうしてもやりたいことがわかっていれば、幸せかどうかとか、幸せになれるかどうかなんてことを気にせず、その大切に思うことや、やりたいことに取り組むはずなのです。
しかし、そうやって幸かどうか等を度外視して本心に向き合い、取り組むと、その取り組みそのものが揺るぎない幸福なものになるのです。
なぜそうなるのか、その理由についても、改めて考えてみると実は簡単なことなのです。
それは、私たちがどういうときに幸福感を感じるのか、その源泉というか、メカニズムに着目すれば簡単に説明が付くのです。
私たちは、起こっている衝動や欲求や衝動が満たされたときに満足感やそれに伴う幸福感を感じるのです。
私たちに起こってくる衝動や欲求は、浅い本能的といか動物的なものから、最も深い本心に関するものまで多種多様なものがありますが、それらの衝動や欲求の中で、私たちにとって最も深く重要度の高いものがやはり本心に関するものなのです。
ですから、私たちの中にあるその最も深く本質的な衝動、欲求である本心に向き合い、取り組むことで、自ずとそれによる揺るぎない満足感、幸福感が起こってくるのです。
◇幸福論と本心◇
幸福論と本心というテーマで記事を書いてみたいと思います。
本心については、このブログである程度可能な範囲で具体的に書いていますので、まずは、幸福とは何かについて書くことから始めたいと思います。
幸福とは何か。
幸福については、大昔から皆さん、いろいろと考えがあるのだろうと思います。
しかし、よくよく考えてみると、幸福って捉えるのが難しく、やっかいな対象なのです。
そこを敢えて、切り込んでいき、本心というものが幸福の中心的な要素になっていることを可能な限り明らかにしたいと考えています。
典型的な幸福観では、お金、仕事や地位、パートナーや家庭など、条件や状態が幸福と関連付けられることが多いと思います。
確かに、それらにより感じられる幸福感はありますが、表面的であり、ここで言う幸福とは異なるものです。
幸福とは、こうなったら幸福になる等のように、形や条件がある訳でもなく、特定の状態というものでもないはずです。
ですから、幸福とは、それそのものが目的になることもないし、それが結果として達成されるようなものでもないのです。
では、幸福とは何なか、果たしてそれはあるのか。
ここまで来ると、まるで悟り論議のようです(笑)。
悟りに関する話と同じで、一切のことがらはあるとも無いとも言えませんから、究極的には、幸福についても、あるのか無いのかわからないのです。
また、一切のことがらは不可知ですから、幸福についても、それがどういうものかは、究極的にはわからないのです。
しかし、そう言ってしまうと余りにも実も蓋もないので、なんとか踏ん張って、もう少し核心に迫りたいと思います。
私が考える幸福論とは、こうです。
幸福というものがあるとすれば、それが目的になることもなく、結果としてそうなるものでもなく、得られたり、失ったりするものではないはずである、と私は考えるのです。
もしそれがあるのなら、常にあるべきものではないか、と。
つまり、生きるという過程そのものが幸福であるべきではないか、と。
即ち、人生における日々の取り組みそのものが幸福であるべきではないか、と。
ここで疑問となるのが、生きるという過程そのものが幸福であるとなら、幸福な人(あるいは、幸福そうな人)と、不幸な人(あるいは、不幸そうな人)がいるのはどうしてなのか、というところだと思います。
そこで要になるのが、本心であるという訳なのです。
自身の本心に向き合い、それに取り組むとき、その取り組みそのものが幸福になるのです。
(余談)
一応最後まで書いたのですが、どうもいまいちと言いますか、しっくりきません^^;
どうしようか、と考えてはみましたが、どうにもなりそうにないので、エイヤッとアップしてしまいますねw
どうも私は、幸福には余り興味が無いというか、意欲も湧かないようですw
◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
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読んで頂いてありがとうございました。哲学・思想 ブログランキングへ
◇幸せについて◇
私たちは皆、幸せを求めています。
そして、多くの方は幸せになろうとして、外側に向けて幸せを求めてしまいます。
しかし、そうした取り組みによって本当に幸せになれるのでしょうか。
私は大いに疑問を感じます。
では、幸せは何処にあるのか。
私の答えは、こうです。
人が自身の本心に取り組み、生きるとき、その営みそのものが幸福になる。
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