私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

ツイート記事(20240701~)

2024年07月28日 19時22分05秒 | その他
◇ツイート記事(20240701~)◇

<7月1日>
◇悟りについてオープンに語り合う
 いつの時代も悟りは非常にマイナーで、しかも何となく秘められているような感じもあり、悟りについてオープンな場で情報が開示されたり、やり取りが行われることが余り無いようです。
 現代ではインターネットの普及により、それが可能になっているにかかわらず、その状況は余り変わっていないように感じます。
 私としては、残念であり、物足りなさを感じているところです。

 かと言って、何か良いアイデアがあるとか、何かそのような取り組みを始める予定がある訳でもないのですが。
 
 ネットという便利なものが普及しているのに関わらず、低調な状態が続いているというのは、必死さを持って取り組んでいる方がまだ少ないのでしょうね。
 あるいは、悟りはどの時代も常に極めてマイナーなもので、盛り上がらないものなのかもしれません。
 残念ですが、この今回の大きな時代の転換期においても、そうなのかもしれませんね。
 
 私は、悟りについて議論したり、互いの悟りを試し合ったりするような展開が、あちこちで、もっともっと、も~~~っとあればいいのにと思っています。
 今は全くという程ありませんが。
 例えば、私(慧空)の悟りを批判したり、否定するような方も、このブログのコメント欄や、ブログ付設の掲示板に来ていただきたいと思っています。

 悟りは、目で見える訳でもなく、何かで客観的に測れるものでもなく、捉えどころがないものです。
 だからこそ、本人が自分の悟りを確かめるという意味でも、また求道者が自らの道を探り当てる際にも、実際にやり取りを交わしたり、試し合う等の取り組みがもっとあってもいいのではないかと思うのです。

<7月2日>
◇ライトワーカー?
 ちょっとスピ系の人みたいなことを書きますと、
 12年程前に明け渡し体験があって頭のてっぺんのチャクラが活発になってしまいました。
 それと関係があるのでしょうが、エネルギー、あるいは何かのエネルギーのようなものに敏感になってしまい、周りというかその場のエネルギーが強いときには、ヘロヘロ、フラフラになってしまいます。
 以前住んでた神奈川県内の某所もそうなのですが、現在住んでいる東海地域の自宅周辺エリアも、地域一体がまるでパワースポットであるかのようにエネルギーの強さを感じてしまいます。
 今住んでいる地域のエネルギーの強さは、山間の小さな小さな盆地なのですが、盆地という地形や、地下にウラン鉱石があったり、温泉が出るような環境のせいかもしれません。
 また、標高も高いので、太陽光線も強く、晴れた日などは、ヘロヘロのまま農作業をしています。
 なんせ、四六時中、エネルギー風呂に入っているような感じでそれだけでしんどいのに、さらに上からエネルギーが滝のように降りてくる感じなのです。

 実は以前、明け渡しがあった直ぐ後にネットで「ライトワーカー」という文字を目にしたときに、これって自分かもと思ったことがありました。
 その後、直ぐに悟りの道に入っていったのでライトワーカーのことは忘れてしまったというか、卒業したつもりでいたのですが、最近、ひょっとしてまだやっているいるのかも、と思ったのです。
 もしそうなら、もうやめたいと思い、「もうやめたい!」と意志表示してみたりしているのですが、状況に変化がありません。
 
 しかし、そもそものところ、「ライトワーカー」なんていうものが、本当にあるのだろうか?

<7月12日>
◇苦について書く
 苦は悟りの本質なのですが、これまでの私は、それについて書くのを少し避けていました。
 私自身、苦について書くのが気が重く、骨が折れる割には書いても伝わらないだろうし、読者の方も気が重くなるだろうなどと考えていました。
 でも、その考えを変えることにしました。
 もっと苦について書いていくことにしました。

 理由は、やっぱり、苦が悟りの本質だからです。
 原点に戻り、苦について語ろうと思った次第です。

 それと、古今東西、苦について語られた文章が殆どない状況なのです。
 釈迦は苦について語ったようですが、余り残ってないのではないかなぁ(ご存知の方がおられたら、教えていただけるとありがたいです)。

 という訳で、自分でもどこで気が変わってしまうのかわかりまんが、苦について徹底的に書いてみようと考えています。

 繰り返しますが、苦は悟りの本質なのです。

<7月14日>
◇トランプ暗殺未遂?
 文明の崩壊期ですので、いろいろなことがおきますね。
 今回のようなことは、起こり得ることだとは思っていましたが、やっぱりでした。

 そもそもところ、こんな時代に政治をやろうなんて考えるのが幼稚であり、愚かなのですが、それをやろうとする人々にはわかりっこないことなので、しょうがないことですが。
 政治や行政を含めた統治システム、経済システム、別の言い方をすれば、民主主義的システムも、共産主義的システムも、もっと言えば、私たち人類の組織的なすべての活動が、行き詰まり、破綻しています。

 こんな世界に見切りをつけるべきだと思いませんか?

<7月20日>
◇日航123便事件
 実は私はつい最近まで、日航123便事件は何らかの要因で機体が破損したことによる事故だと思い込んでいました。
 一般的な報道により与えられた情報を鵜呑みにして生きてきた訳です。
 それがおそらく事故ではなく、事件だったんだということを最近知りました。
 それを知ったときは、我々人間の愚かさに愕然としました。
 
 日航123便事件について、よくまとまっている動画を見つけたので、貼っておきます。
 興味のある方はご覧ください。
 動画URL : 123便 関係者の新証言
 
 先日発生したトランプ狙撃事件と、2年前に起きた安倍元総理暗殺事件は、ネットで自分で調べるだけで客観的な多数の事実情報にアクセスすることができます。
 そうすると、どちらも合理的観点から見ると不自然な点が多数発見できると思います。
 表現は悪いですが、事件の背後の作為性に気づくのには、とてもいい題材だと思います。

<7月28日>
◇世界経済の崩壊
 ひょっとすると、そろそろ近づいてきているのかも知れいないと考えています。
 米大統領選後、中国経済崩壊の動向、流行り病と注射(特にレプリコン)の影響など、注視しています。

◇レプリコンの人から人への拡散するか
 この点について、元京大の宮沢先生の動画を観たので、貼っておきます。
 リンクは、これです。
 要点としては、レプリコンの人から人への伝搬は科学的にまず起こり得ないとのことです。
 しかし、レプリコンは別の理由(通常のコロナワクチンと同じ理由)で射つべきじゃないと言っています。

 
◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇自覚の要領をひとつにまとめた有料記事「自覚のヒント」のご案内はこちらです。
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存在と苦

2024年07月28日 09時42分33秒 | 悟り
◇存在と苦◇


私という意識の活動は、苦を何とかしようとするところから起こっています。
苦が私という意識の活動の源泉なのです。
苦しいと思い始めた頃から、苦を何とかしようとするもがきが始まり、そのもがきがさらなる苦を生じさせ、さらにもがくようになると言った具合です。
もがけばもがく程苦しくなるのですが、もがいている当人はそれがわかりません。

私という存在そのもの、意識そのものが苦なのです。
存在とは意識であり、世界ですから、世界そのものが苦なのです。
ですから、苦は常にあるものであり、どうにもならないものなのです。


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執着と苦

2024年07月26日 18時03分42秒 | 悟り
◇執着と苦◇


私たちは往々にして何かにしがみ付き、執着します。
それはどうしてなのかと言うと、苦しいからです。
何かにしがみ付くのも、何かを求めて彷徨うのも、苦しいからです。

しかし、何かにしがみ付いているときは、その苦がわからなくなるのです。
しがみ付くこと自体大変な苦なのですが、しがみ付くことに必死になる余りそういうこともわからないのです。


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希望と苦

2024年07月21日 10時42分47秒 | 悟り
◇希望と苦◇


私という意識は、どうして彷徨うのでしょう。
そこには、漠然とした希望があります。
何か素晴らしいことがあるのではないかという期待です。

ではどうして、私たちは希望や期待を持ってしまうのでしょう。
そこには、不足感や虚しさといった苦があります。

まず初めに苦があり、その苦をどうにかしようとする展開が起こります。
しかし、そうした展開もまた苦であり、止めどなく苦が連鎖し、拡大していきます。


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苦と反応

2024年07月14日 17時41分49秒 | 悟り
◇苦と反応◇


今回は、苦と反応という切り口で書いてみたいと思います。

まずは、わかりやすいところから。
あなたが痒みを感じて、それを手で掻いたとしましょう。
このとき、あなたは痒みという苦を感じ、それを解消すべく手で掻いた訳です。

では、あなたが何気なく手を動かすときはどうでしょう。
あなたは、その手をどうして動かしたのでしょう。
あるいは、あなたの手はどうして動いたのでしょう。
手に限らず、何気に脚を組んだときや、脚を組み替えたときは、どうでしょう。
そこに、何らかの苦があったのではないでしょうか。

目に映った映像や耳に入った音に対してあたなの意識が反応するときも、同様の展開が起こっています。
あなたが気になったその映像や音は、苦ではありませんか。
あるいは、あなたのその意識の動きも、苦ではありませんか。

苦は、日常のあらゆる事象や、意識の動きに見ることができます。


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食べることと苦について

2024年07月12日 14時08分04秒 | 悟り
◇食べることと苦について◇


暫く、苦について徹底的に書いていこうと思っています。
今回は食べるということを題材に、苦について書いてみようと思います。

空腹感に気づいたとき、空腹という苦が発生します。
この空腹という苦は、何かを食べることでそれが満たされるまで続きます。
その過程をさらに詳細に観察していきます。

空腹時に何かを食べているときは、素直に幸福感を感じやすいものです。
しかし、ことはそう単純なものではないのです。
食べている途中は、食べることによる味覚や満足感が生じていますから、感覚がそれなりにプラス方向に底上げされており、苦を感じ難いことが多いです。
しかし、食べながらも、もっと食べたいとか、もっと美味しいものを食べたいとか、お金のことが気になったり、と私という意識は忙しく活動し、それが苦を生じさせます。
そして、食べ終わるのに伴い、満足感は喪失感に変わっていきます。

食べるということについて、さらに追及すると、私たちは生きるためには食べなければならず、生きている限り、この「食べる」ということに付き合わざるを得ない訳です。
ここにも、食べるということの苦の側面を見つけることができます。


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禅の悟りについて

2024年07月01日 16時59分46秒 | 悟り
◇禅の悟りについて◇


今朝のブログツイート記事でも書いたのですが、悟りについて情報や意見の交換や、試し合い等も含めて、多くの方とやり取りが出来たらと考えています。
仏教系、非二元系、独覚の方など、系列にかかわらずオープンにやりとりができたらと考えています。

と言いながら、また禅の悟りを批判する記事を書くのはどうなんだろうと思うところもあるのですが、改めて禅の悟りについて批判してみようと思います。

つい最近、ある禅系の覚者の方のサイトを読む機会がありまして、そこには禅系の覚者の悟りや悟ったときの様子がいくつか例を挙げて書かれていました(この場では、そのサイトに関する具体的情報は伏せさせてください)。
それで、彼らの悟りがさらに明確にわかった部分がありまして、それをもとに今回の記事を書いてみようと思った次第です。

彼らの悟りには、なぜか共通する特徴があるようなのです。
どういう特徴かと言いますと、まずは頓悟であるということです。
次に、その頓悟が起きるときの様子です。
具体的には、座禅中や掃除など何かに取り組んでいるときに(このとき、思考や認識機能が抑制され、取り組みになり切っていることがポイントであるようです)、小鳥の鳴き声等の音や現象(実際は何かの音が多いようです)を切っ掛けに、悟るというものです。
悟ったときの様子を表す言葉としては、事実に気づくとか、ことが起こっているだけなんだとか、そのまんまとか、その他、自我の喪失、脱落等に関する言葉が用いられるようです。

このような悟り体験をどう捉えるかですが、私は以前から指摘している通り、やはり主客の統合体験の一種であろうと考えています。
通常の感覚や理解では、この世界について、私という主体と、その私が五感を使って認識している対象(客体)とが独立して存在しているように理解しています。
しかし、悟り体験をしなくとも、我々が事物を認識するという現象について、それがどういうことなのか突き詰めて見ていくと、そもそものところで、主体と客体が別個に存在しているかのように感じるのは、我々の錯覚であることがわかるのです。
ですから、悟りの行程を歩んで行くと、自ずと主客に関する錯覚に気づくようになり、それに伴う握り締めている囚われの手放しが起こるのです。
補足しますと、主客の統合という表現がしっくと来ない方には、何かを観ている観照の視点の脱落が起こるという表現の方がわかりやすいかもしれません。

個人的には、禅者の悟りが凡そわかったのではないかと思っています。
(このことを含めて、ご批判等がありましたらお受けしますので、ご意見や情報等、コメント欄等にお書きいただければと思います。)

それで、です。
問題は、彼らの悟りはそれで本当に決着しているのか否かです。
彼らは、すべてそのまんまなどと言い、何かを求める衝動もピタッと止まったと言ったりするようです。
私は、本当にピタッと止まったのか、あるいはそれが持続しているのか疑問だと思っています。
それなりに大きな悟り体験があった直後は、とてもスッキリした感覚になったり、納得した気分になったり、探求に対する衝動が止まったりするものですから。

むしろ、そんなことどうでもいいのです。
悟ってどうなった、こうなったなんていうことより、私は、彼らがその悟りで何を悟ったのかが重要であると考えています。

もったいぶらずに短刀直入に書くと、彼らはまだ苦を悟ってないのです。

苦を悟るには、もう一度、私という自我を捉え直し、未だなおもがき苦しんでいる自分自身と向き合う必要があるのです。



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