私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

親子関係と自立について

2023年09月30日 11時44分06秒 | 生きるヒント
◇親子関係と自立について◇


親子関係について少し書いてみたいと思います。

親子関係は複数の要素が絡み合い、複雑かつやっかいなものになることがあります。
どうしてそうなるのか、何が問題なのかと言えば、親も子も自立が出来ていないからなのです。

但しここで言う自立とは、経済的な意味ではなく、精神的な意味であり、フラットな立ち位置で相手と対峙できるようになることです。
別の言い方をすると、自立するとは、精神的に大人になるということです。

どんなに関係が複雑に絡み合いこじれているように見えても、親側が抱えている問題要素と、子側が抱えている問題要素ははっきりと独立していて、双方とも相手側の問題要素に触れることなく、自分の問題要素の解消を図ることができます。
つまり、親がいくら子に依存し、執着していても、子の方で自分の抱えている問題要素を解消することで、子の方から親に対して自立することができます。
その逆も然りです。

親が子に対して自立すれば、子は自ずと自立を促されます(自立できるか否かは別として)。
逆に、子が親に対して自立すれば、親も自ずと自立を促されます(この場合も自立できるか否かは別として)。

実は、この自立が子が親にしてやれる最高の親孝行なのです。
逆もまた然りで、親が子に教えてやれる最高の贈り物なのです。

欲や恐れにまみれた依存心や、親子とはこうあるべき等の固定観念に囚われることなく、あなたの親子関係を見直してみてください。
そして、フラットな立ち位置から、自分が親や子に対してどう思うのか、どうしたいのか、素直な自分の想いに向き合ってください。


最後に、自立は既に亡くなってしまっている親や子に対しても成り立ちます。
そしておそらく、その影響は亡き親や亡き子に及びます。



◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
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「それそのもの」という囚われについて

2023年09月29日 15時03分42秒 | 悟り
◇「それそのもの」という囚われについて◇


確か以前にも、似たようなタイトルで記事を書いたように思いますが、もう一度で書いてみようと思います。


「それそのもの」とは禅系の覚者がよく使う言葉です。
これは、それに対するの批判記事です。


彼らは「それそのもの」とか、「それに成り切る」と言います。
そして、それを目標(目標という言い方に語弊があるかもしれませんが)に修行すると、幾人かはそのようになるようです。

しかしそもそものところ、その「それそのもの」が囚われになっているのです。

それはなぜか。

「それそのもの」がある特定の状態を表しており、概念だからです。
つまり、彼らはまだ「それそのもの」という状態に囚われている、執着しているのです。

そこに何かピンと来るか、違和感を感じられないことにはどうにもなりません。



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苦の雨に寄る辺なし

2023年09月18日 07時49分01秒 | 悟り
◇苦の雨に寄る辺なし◇


私たちは常に何かを求めています。
これが私たちの性です。

悟りに対してもそうです。
何かを探し求めてしまう。

どこかに安住の地があるのではないかという期待を捨てきれないのです。

最後の最後まで捨てきれない。
私とはそういうものなのです。

最後の最後まであがき続け、疲れ果て、どうしようもなくなって、諦めざるを得なくなるというか、やっと諦めが付くようになるという具合です。


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現象と観照は一体

2023年09月08日 10時28分03秒 | 悟り
◇現象と観照は一体◇


今回は、観照(観照意識)について少し切り口を変えて書いてみたいと思います。

まず、観照意識について改めて説明します。
観照意識とは、ものごとをただ観ている意識要素であり、通常は様々な思考や感情に遮られて気づきにくいですが、それなりに囚われが減り、思考や感情が減ると自然と意識の表層に現れてきます。
その観照意識に気づき、観照意識を捉えることで、小悟となります。
観照意識を捉えるとは、私がその観照者であることに気づくことです。

この観照という現象は、悟りに関係なく、またどんなに深く悟ろうと、無くならないのです。
目が覚めているときはもちろん、寝ているときも、続いています。
唯一の例外として、一切の現象が消滅する滅尽定(涅槃)に落ちているときだけ、現象の消滅に伴って消滅します。

なお、大悟に至ると、誤認又は錯覚から生じていた主体と客体の分離が解消され、世界を、主客の分離の無い一つの現象(正確には、識の連鎖)として捉えられるようになります。
小悟の段階では、観照の視点が主体側にあり、観照の視点と客体である対象との間に分離感があるのですが、大悟に伴って、主体側にあった観照の視点の脱落(正確には、脱落したような感覚)が生じ、あたかも観照そのものが脱落したかのように感じることがあると思います。

しかし、それは錯覚です。
観照が脱落したのではないのです。
観照は、連鎖的に展開する識に一体となって続いています。

なぜなら、相変わらず、否応なく展開していく現象が見えている訳ですから。

そもそも、観照とは現象というものに一体となって含まれているものなのです。


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中国経済の崩壊と世界経済

2023年09月02日 20時12分37秒 | その他
中国経済の崩壊と世界経済について、思うところを少し書いてみたいと思います。

中国の不動産バブルの崩壊が一部で話題となっています。

私は、中国経済はもうどうにもならない状況にあるのだろうと考えています。
大きな混乱にはまだ至っていませんが、いずれコントロール不能となり、崩壊するのではないかと考えています。

具体的には、食料又は銀行預金に関する不安から、いずれ中国民衆のパニック的な行動が起きるのではないかと考えています。
例えば、預金不安から大規模な取り付け騒ぎが起こり、それが広範囲又は全面的な預金封鎖を誘発し、大混乱となり、崩壊に至るのではないかと考えています。

そして、その中国経済崩壊の影響は世界経済に波及するのではないかと考えています。
但し、その世界経済への直接的な影響は、それが直ちに世界経済を崩壊させる程のものではないだろうと考えています。
中国経済の崩壊による中国の混乱が、メディアやネットを通じて各国の民衆に知られることで、不安感や恐怖心等の心理的な影響が、各国の民衆のパニック的な行動を誘発させる可能性があると考えています。
例えば、大規模な銀行の取り付け騒ぎ等のパニック的な行動が起これば、各国の経済は簡単に崩壊するだろうと考えています。

どのくらい先か等の時期の予想は難しいですが、そのような展開が起こる可能性があると考えています。

戦争、特に世界戦争について。
以前は、世界経済が混乱し、崩壊に至る過程において、世界戦争等の大規模な戦争が発生する可能性についても考えたことがありましたが、現在は、大規模な戦争は起こらず、世界経済の崩壊に至るのではないかと考えています。

そう考える主な理由は、世界経済が混乱し、崩壊していくとき、各国に大規模な戦争を行う程の統制力は無いだろうと考えるからです。
混乱から崩壊に至る過程が異常な程の速度で一気に進んでしまう可能性もあり、その場合は戦争なんてやっている暇はないはずです。
それと、世界戦争等の大規模な戦争は、世界経済がまだ拡大している過程(あるいは、世界経済の拡大が終わりつつある段階)で起こるものであり、過去の二つの大戦がそれだったのだろうと思うのです。
世界経済が実質的に崩壊フェイズに入ってしまっている現段階は、既に実質的にコントロール不能となっており、戦争でどうこうしようとするフェイズではなく(戦争したところでどうにもならなず)、あとは崩壊を待つだけなのだろうと思うのです。
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