私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

「私」に意識を向け続ける

2014年01月10日 12時41分20秒 | 自覚ワーク等の紹介
◇「私」に意識を向け続ける◇

最もシンプルでしかも強力な覚醒の方法はと訊かれたら、私は迷わず、「私」に意識を向け続けること、つまり「自覚」だと答えます。

熾烈なまでの激しさで、「私」に意識を向けてみていただきたいと思います。
そのとき、顕在意識の思考はほぼ止まっているだろうと思います。
顕在意識の思考が動いているうちは、まだ集中が足りません。

燃えたぎる炎のような激しさで意識の焦点を「私」を当ててみてください。
そうすれば、まずは「私」という個の意識を捉えることができると思います(これが見性です)。

そうして「私」が照らし出されたなら、その「私」に向けてさらに意識を集中し続けてください。
これでもかこれでもかというくらいに、「私」に意識を集中しつづけてください。
そうすれば、いずれ「私」が考えであり、幻であるということが実感(自覚)できるようになります。
そして「私」という意識や認識も消えていきます。


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読んで頂いてありがとうございました。

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14 コメント

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教えて下さい。 (ヒロキ)
2014-09-29 06:57:46
ブログ読ませ頂きました。
最近マハルシ、パパジ、マハラジなどアドバイタと言われる人達の本を数冊読ませてもらいました。若い頃に瞑想をやっていたので、無念無想のことはすぐ理解でき、その時深い瞑想をした経験で顕在意識の下にはいつも平安で欲望のない静寂な自分が存在しているのを知っていました。その静寂な自分こそ真我と呼ばれるものではないかと思い修練を始めました。初めは目を開けたまま瞑想を続け、思考、想念が浮かぶことを監視していました。それと共に段々と思考が止まり日々の生活が楽になるにつれ、不思議な現象が起こるようなりました。眠りに着く時に頭の中でびょーんという音がなるようになり、夢の中でこれは夢だと気付く事が多くなりました。そしてある晩、夢の中で(これは夢だと分かりませんでした)神よどうか悟らせて下さいと夢の空に向かって願うと空からエネルギーのようなものが来て私の胸に入って来ました。その直後心臓発作のような状態になり目を開けたのですがあまりに強烈だったためしばらくショック状態になってしまい起き上がる事がでけませんでした。(その時からハート、胸に何かのヒントが在るのではないか?と密かに思うよになりました。)そして最近になって私という想念に意識を集中するようになりました。すると頭が何か痙攣するようになり、私というものは観念なんだ、全て観念であり私も実在しないのだと腹のそこで悟れた瞬間痙攣が大きくなり、頸椎から延髄にものすごいエネルギーが上がり出し頭全体にそのエネルギーのようなものの圧力がかかりクビから上が爆発しそうになってしまいました。それからというもの私と思った瞬間、このエネルギーのようなものが通った跡が道となり、そのエネルギーのようなものが絶えず上がって来ます。私と意識を強くすればするほどエネルギーは上がって来て頭を圧迫します。ですのでその爆発しそうになって以来、私に集中する事に少し消極的になっています。私に今後強く意識した方がいいのか何か分かりましたら教えて下さい。そしてこの私の先に何が待っているのか聞かせて下さい。誰にも相談出来ずヒントを探していました。
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Re:教えて下さい。 (慧空)
2014-09-29 09:27:47
>ヒロキさんへ
コメントありがとうございます。

>その静寂な自分こそ真我と呼ばれるものではないかと思い修練を始めました。

おそらく、ヒロキさんは真我の感覚を捉えておられるか、それに近いところに至っておられるんだと思います。

>夢の中でこれは夢だと気付く事が多くなりました。

自我の思考がかなり少なくなっておられるんだと思います。

>頸椎から延髄にものすごいエネルギーが上がり出し頭全体にそのエネルギーのようなものの圧力がかかりクビから上が爆発しそうになってしまいました。それからというもの私と思った瞬間、このエネルギーのようなものが通った跡が道となり、そのエネルギーのようなものが絶えず上がって来ます。私と意識を強くすればするほどエネルギーは上がって来て頭を圧迫します。

おそらく、クラウンチャクラが開きかけておられるんだと思います。
あるいは、もしかしたら、既にクラウンチャクラが開いておられるのかも知れません。

それで、ヒロキさんに質問なのですが、
頭の頭頂部や、頭頂から側頭部にかけての部分が、モヤモヤする感覚や、頭頂に何かエネルギーの柱のようなものが立っている感覚とかはありませんか?
なお、自覚を進めていく上で、クラインチャクラが開いているかどうかは、本質的な問題ではありませんから、余り気になさらないでくださいね。
質問させて頂いたのは、ヒロキさんの意識の状態を判断するための材料がほしいと思っただけです。

>私に今後強く意識した方がいいのか何か分かりましたら教えて下さい。そしてこの私の先に何が待っているのか聞かせて下さい。

これに対する私のお答えは、とてもハッキリしています。
せっかく自分に意識を向けることがおできになっているのですから、その調子で続けて頂きたいと思います。
集中の度合いを上げられるのでしたら、もっともっと上げて頂いても何の問題もありません。
恐れず、極限まで上げてみて頂きたいと思います。

自覚はとても安全な方法です。
自覚により意識がおかしくなってしまったなどの情報は聞いたことがありません。

他に何か気になれることがありましたら、遠慮なく仰って頂きたいと思います。
返信する
ヒロキからHに変えます (H)
2014-09-29 17:11:19
モヤモヤという感じは現在いつもあります。
私に集中すると延髄、後ろ首上部分から後頭部にかけて強い力が立ち上がり、頭頂部分を強く押し上げ、額まで達します。耳の上側頭部最初圧迫されます。私に深く入って行くと段々馴染んで来ます。自我意識が薄れるところまで持って行くと、少しずつ圧迫が引いて行きます。最近は私に集中していなくても、ふとした時に自然に起こります。
私に集中し、自意識が消え去るところまで持って行くべきなのでしょうか?またこの状態を絶えずキープするべきでしょうか?
仕事中は人とのコミュニケーションもあるので難しいのです。

返信する
Re:ヒロキからHに変えます (慧空)
2014-09-29 20:19:17
>Hさんへ

なるほど。
Hさんは、クラウンチャクラが開いておられるようですね。
と言うことは、真我の外縁に触れる真我の第一段階の覚醒も得ておられるのかも知れませんね。
とすると、天界層の悟りも得ておられるのかも知れませんね。

それで、Hさんにまた質問なのですが、
私のブログで紹介しておりますハートの自覚ワーク(1)、(2)(http://blog.goo.ne.jp/suiku2013/e/5463147dff5e1183aa582501ed7013c9
はやってみられましたか?
まだやっておられないのでしたら、ぜひやってみて頂きたいと思います。
それで、ハートの中心で、私という自我又は自我の感覚を感じることができるかどうかを、このコメント欄等で教えて頂きたいのです。

あるいはひょっとして、もう既に大悟を得ておられる可能性も無いとは言えないと思うのですが、この点はどうでしょう?
何か目の前の物(PCのディスプレイ等)に意識を向けたとき、その対象物に、私という意識が一体化しているような感覚が得られますか?
返信する
Re: (慧空)
2014-09-29 20:40:51
>Hさんへ
ちょっと気になったところがありますので、補足しますね。

>私に集中すると延髄、後ろ首上部分から後頭部にかけて強い力が立ち上がり、頭頂部分を強く押し上げ、額まで達します。耳の上側頭部最初圧迫されます。私に深く入って行くと段々馴染んで来ます。自我意識が薄れるところまで持って行くと、少しずつ圧迫が引いて行きます。
>私に集中し、自意識が消え去るところまで持って行くべきなのでしょうか?またこの状態を絶えずキープするべきでしょうか?

どうやら、Hさんは、私に意識を集中することや、そのやり方について誤解されているようですね。
ちゃんと真っ直ぐに「私」に意識を集中しているのであれば、自我意識が薄れることはないはずなんです。
むしろ逆で、自我意識(自我意識を深く捉えたときは、観照意識になりますが)はとても鮮明になるはずなんです。
Hさんがやっておられるのは、私に意識を集中するのではなく、むしろ、自我の意識を抑制して落として無我に落ちる無我の瞑想に近いことなのかも知れません。

そうではないんです。
私に意識を向けて集中するときは、私という意識をしっかり維持しながら、その私に意識を集中するんです。
意識の集中度が上がれば、多くの場合、自然と無我の方に行ってしまいますので、無我の方に行かないように、積極的に自分の意識の方向性をコントロールしながら、私に意識を集中する必要があるんです。
そのための簡単な方法は、「わたし、わたし、わたし、・・・」とゆっくりと声を出しながら、これによって、「私」という意識を向けるべきターゲットをしっかりと維持しながら、「私」に意識を向けて頂きたいのです。
ぜひ、やってみてくださいな。
返信する
なるほどそうなんですかあ (H)
2014-09-29 22:25:04
いつもではありませんが、全てが自分であり、自分でないものは一つとしてないという確固としての感覚はありました。その感覚に絶えずいたいとは思いますが、その感覚に何かチャンネルを合わそうとしないとなりません。

ハートのワークですか。とても気になっています。自分としては時期尚早な感じがしますが試してみます。

私、への想念集中ですが、そうなんですね。
しっかり意識を持って集中していいのですね。何か空の中にいつも入って自分を消さなくてはという思いでいました。空に入ると気分がよく、リラクゼーション的でとても安らぐのでそちらがいいのではないかと思っていました。
返信する
Re:なるほどそうなんですかあ (慧空)
2014-09-30 09:44:21
>Hさんへ

>いつもではありませんが、全てが自分であり、自分でないものは一つとしてないという確固としての感覚はありました。その感覚に絶えずいたいとは思いますが、その感覚に何かチャンネルを合わそうとしないとなりません。

なるほど。
上の文章を読ませて頂く限り、Hさんは、もう大悟されているか、大悟にとても近いところにおられるんだと思います。
もし大悟されているのなら、ハートの自覚ワークはもう出来ないはずです。
ハートで私という自我を感じることがもう出来ないはずですから。
大悟に近い状態であれば、まだハートで私という自我を感じることができると思います。
この点について、Hさんがどういう感触を持たれているか、またコメントで教えて頂きたいです。

>しっかり意識を持って集中していいのですね。何か空の中にいつも入って自分を消さなくてはという思いでいました。空に入ると気分がよく、リラクゼーション的でとても安らぐのでそちらがいいのではないかと思っていました。

はい、しっかり意識を持って集中して頂きたいのです。
最後の悟りである解脱の悟りを得るときは、特に、私に意識をしっかりと向けていないと、自分が考えを握りしめて迷っていることに気づくことが出来ないのです。
「空」に入って心地よくなるのは、それはそれでとてもいいものですが、「空」に入ってしまうと、最後の解脱の悟りには到達できないのです。
まだ何となくの感触ですが、Hさんは、解脱に向けて歩まれてる方なんじゃないかと思います。
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Unknown (佐藤)
2014-09-30 10:52:08
Hさん>

>しっかり意識を持って集中していいのですね。

それができるのは稀有で、とても素晴らしいと思います。

私は、はじめ空に浸っており、
なかなかできなかったです。笑
返信する
ハート (H)
2014-10-01 02:12:14
今日は何回か投稿しようと思ったのですが、
その度に躊躇してやめてしまいました。
自分でも半信半疑なのですが、言われる通りハートに私を掴める場所がありません。
空間、空っぽといった感じで何も掴めるポイントがないのです。投稿しようと思っては、
もう少し探してみようと思って今日やっていました。何もない、何か綺麗な空っぽといった感じでその空っぽに集中するとあったかな、何かとてもあったかな平安だけがホワ~ンとあるだけでした。私は頭の方で捉えられるだけでした。まだ自分の探し方がダメなのだと思っていますが。
もし無くなったのであれば、先日の夢から目ざめの時に起きたあの強烈な心臓発作のような体験で破壊されたとしか私には思えません。何故かと言うとこんなにも空っぽだとは思わなかったからです。
実は最近はもう気にならなくなっていましたが、ハートのチャクラといことを少し恐れていた時期があります。それは23歳ぐらいの時に深い瞑想、神へ全てを溶け込ませる瞑想を(自己流です。)やっていた頃、毎晩このハート部分がドキーンと睡眠中突然ショック状態を起こすようになり、毎晩寝るの怖かった時期があるのです。その時は何か神経の高ぶりや何かだろうと思っていました。しかしあの急におどかされた時と同じようなドキッとするあの感覚が睡眠中急に襲って来るので、ハートとかハートのチャクラという文や言葉を聞くだけで少し怖さを感じていました。
先日の心臓発作のような状態はこれで人生二回目です。一回目はやはりその頃だったと思います。発作のような状態はあのドキッという胸の感じがずっと続くので、あっ死ぬかもしれないと思います。しかしその二回とも(一回目は眠ってはおらず、天井をみていました。)共通してエネルギーのようなものが上から降って来てから起きるので、信仰深い私はいつも最終的に神よどうぞと思い、このまま死んでもいいやと委ねてしまいます。長々とまた書いてしまいましたが、もし無いのならば破壊されて無いとしかいいようがありません。(最近は神を拝む対象がなくなってしまったので神に祈らなくなってしまいました。)
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Re: (慧空)
2014-10-01 09:10:04
>Hさんへ

>空間、空っぽといった感じで何も掴めるポイントがないのです。

そのHさんが仰りたいハートの感覚は、とてもよく分かります。
そうなんです、空っぽになるんです。
Hさんは、ほぼ間違いなく大悟されているんだと思います。

>私は頭の方で捉えられるだけでした。

これについても、まさにその通りなのです。
大悟に至るまでは、私という自我の意識のセンターはハートにあるのですが、大悟に伴って、自我の意識のセンターがハートから頭(正確には、目の奥から登頂にかけた領域)に移動するんです。

そして、この上なく素晴らしいことは、Hさんが、大悟後も、そうやって、ご自分の自我をしっかりと捉えておられることです。
殆どの方の場合、大悟に至ると自我を見失ってしまわれるのです。

Hさんが大悟に至ってもなお、ご自分の自我をしっかりと捉えられ、それに向き合っておられるということは、やっぱり、Hさんは、解脱に向けて歩まれているんだと思います。
間違いないと思います。

この点について、Hさんはどのような感触や考えを持っておられますか?
例えば、自分という存在を終わらせたいとか、自分はもう解脱したいんだとか、何かモヤモヤとした晴れないというか、ハッキリとない感じを完璧なまでにスッキリとさせたいとか、そういうお気持ちがお有りですか?

そのようなお気持ちがお有りなのでしたら、引き続き、ご自分を見つめ続けて頂きたいと思います。
そうすると、ご自分がまだ何かの考えを握りしめ、それによって意識があっちこっちにふらふらと彷徨い迷っていることに気づかれると思います。

Hさんの二回の心臓発作のような体験については、すみませんん、私にはよく分からないです。
Hさんのような体験は、初めて聞きました。いろいろな体験があるんだなあと改めて思ったのと、ちょっとビックリしました。(^o^)
ただ、その二回の体験が、Hさんの、真我の第一段階の覚醒と、第二段階の覚醒である大悟と関係があることは間違いと思います。

Hさんがこのあとやられることは、自分に意識を向けて自分を見つめられることだけなのです。
Hさんが握っておられる考えは、もうかなり少なくなっているんだと思います。
少ない方で一つか二つ、多い方でも五つ前後だろうと思います。
握っておられるすべての考えについて、ご自分がその考えを握っていることに気づかれたら、その時点で、解脱の悟りとなります。
解脱の悟りを得られたときの感触は、Hさんご自身で、「これか!?」という具合に、直ぐに分かられると思います。

ご不明な点や気になられることがありましたら(おそらくいろいろおありなんじゃないかとは思いますが、笑)、ご遠慮なく仰ってくださいね。
メール(suiku2013☆yahoo.co.jp(☆を@に替えて下さい))を頂いても大丈夫ですので。
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