私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

自覚を始められる方へ

2014年12月13日 21時37分13秒 | 自覚ワーク等の紹介
◇自覚を始められる方へ◇

自覚に初めて取り組もうとしておられる複数の方から、コメントやメールでのアクセスを頂きましたので、いい機会だと思いまして、自覚のガイダンス的なことを少しご案内したいと思います。

自覚がどういうものかや、そのやり方の基本的なところにつきましては、このブログカテゴリの自覚ワークの紹介カテゴリに入っている下記の文章をご参照頂きたいと思います。
「自覚」という言葉を初めて聞かれた方は、何だかよく分からない感じとか、簡単には理解できない深淵な何かがあるのではないかとか、いろいろ感じたり考えられると思いますが、「自覚」とはとてもシンプルで簡単なことなのです。
「自覚」の基本は、まずは自分に関心を持ち、自分に意識を向けることなのです。
本当にそれだけなのです。
そうして、自分に意識を向けているうち、自分の意識の動きが見え始め、それを観察するようになっていきます。
そして、自分が何か考えを握りしめ、それに囚われていることに気づくようになります。
そうやって、握りしめている考えにひとつひとつ気づいていけば、自ずと悟りの道を進んでいくことになります。

それと、強く申し上げたいことは、自覚はひとりでも十分にできるということです。
確かに、既にある程度上手に自覚をやっている先人と会って、対面で直接教えてもらうと早く習得できる場合もあるかとは思いますが、ひとりでも十分にやれます。
現に、このブログや掲示板に来られる方々の中には、誰からも教えてもらうことなく独力で自覚を習得しておられる方や、このブログに書いた私の文章等を参考にして自覚を習得され、上手に自覚をやってられる方が複数おられます。

自覚ワークの基本的な内容や、やり方については、まずはこれらの記事からお読み頂きたいと思います。
「私に意識を向ける」
「自分を観るワーク」
「自分を愛するワーク」
「進捗の自己確認など」
「自覚のポイントやコツなど」
「改めて自覚ワーク(1)」
「改めて自覚ワーク(2)」
「自覚ワーク:創造主としての実感を深めていく」
「自覚ワーク:私を愛し、本来の私を取り戻していく」

そして、ある程度上手に自覚ができるようになられた方は、これらの記事を参考にしてみて頂きたいと思います。
「自分に意識を向けるワーク」
「「私」に意識を向け続ける」
「「判断」について吟味し、検証する」
「ハートの自覚ワークについて(1)」
「ハートの自覚ワークについて(2)」
「大悟を得る(天から梵天へ)(2)」

自覚に関するガイダンス的なことは以上です。

最後に、自覚に取り組んでいく上で実はとても重要なことがありまして、そのことについて書かせていただきたいと思います。
その重要なこととは、「集中力」なんです。
自覚を進めていかれるうちに自ずと集中力も磨かれていくのですが、私の周りの方々の例を見ておりますと、どうやら自覚を始める段階でどれだけ高い集中力を持っているかがとても重要であるようなのです。
集中力が弱いと、仮にある程度自覚ができるようになっても、自覚が弱いため、浅い自覚のままそれ以上進まなくなってしまうのです。

そのため、私としては、まだ集中力が不十分な方については、自覚と並行して呼吸瞑想等の集中力を養う瞑想をやられたらいいのではないかと思っています。
例えば、呼吸に意識を向けて瞑想する数息観等をやられたらどうかと思います。
あるいは、私が昔やっておりました呼吸瞑想のようなものでも結構です(私が昔やっていた呼吸瞑想はこの記事をご参照ください)。

それで、どの程度の集中力があればいいのかと言いますと、これもケースバイケースではありますが、集中力を高めて自分に意識を向けているときや、呼吸瞑想等により深い瞑想状態に入っているときに、少なくとも数秒程度はしっかりと思考が停止するようになっているのが好ましいと思います。
また、意識の集中が高まったときに、呼吸が停止するほど集中が高まっているようであれば、十分な集中力を持っておられると思います。

以上、ご質問等がありましたら、ブログコメント、掲示板、メール、なんでも結構ですから、ご連絡いただきたいと思います。


コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。

スピリチュアル ブログランキングへ

コメント (45)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 私の体験談(解脱の悟り後の... | トップ | 真理を掴まない »

45 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
めがねさんへ (慧空)
2024-02-12 08:43:53
上のめがねさんのコメントを読ませていただいて、
腹を決めるというか、腹をくくるというところは、ひとつのポイントになってるような感じがしました。
思い返せば、私自身にそんなところがあったように思いました。
返信する
めがねさんへ (慧空)
2024-02-12 08:36:01
>私も含め拡散していた意識状態を容易に意識を向けた数ミリに収束できるようになりこれが見るものは見られるものなのかも?!と考えています。

たぶん、そうです。
それは見るものは見られるものだと思います(#^.^#)

そうですか、そうですか。
なんだかジンと来て、ウルウルしてしましました(≧▽≦)
こちらこそ、ありがとうございます。
返信する
慧空さんへ (めがね)
2024-02-12 07:59:55
上に書いたことを何度も反芻していたら衝動苦やうまくいかない苦に浸かれる様になり上の締めの言葉が悪かったなーと思い
苦しみを見つけたら喜んで、これでもかとそれに浸りましょう!

が適当だろうと思いました。「悪魔を呼ぶ」が気になって
ここに気づけましたm(_ _"m)

そして行動しようとする衝動の苦しみ仕方なく行動してもうまくいかなくなる苦しみ、うまくいけばそれを維持しようとする苦しみこの苦しみが今気になり次の目的だろうと思います。
また慢が解る様になりました。

今日の朝、意識の状態に変化が現れ、私も含め拡散していた意識状態を容易に意識を向けた数ミリに収束できるようになりこれが見るものは見られるものなのかも?!と考えています。まだ安定するには数日かかるだろう思います。

ありがとうございます。m(_ _"m)
返信する
私へ (めがね)
2024-02-10 09:58:45
無自覚に逃げている出来事、その「出来事」に気付く事がめちゃくちゃ重要なんです。

数日前に慧空さんとスカイプで話をさせていただき、その時に話題の1つになったことから文章にしたくなり、まとめてみたものです。しいて言えば私に書いたものです。

行動の自覚(具体例)

例えば悟りたい(成長したい)と目標を持ったとすると
それに向かってコツコツと行動をします。
その行動には得意なことや何でもない事もありますが苦手なことが含まれています。
その苦手なことから無自覚に逃げていることに気が付いていません。
無自覚に逃げる仕組みの為、気付く事がとてもとても難しいです。しかしどうにかしてそれに気付く事が重要です。
次に苦手な事ですから向き合う強いエネルギーがいるので私を奮い立たせ行動しないといけません。
しかしそれは2番目の重要度です。

行動→→→得意な事→苦手な事→何でもない事→→悟り(成長・やりたい事)
↑                 ↓(気が付かないor逃げると下へ)
↑←←←←←←←←←←←↓

①大半の人は同じ場所でぐるぐる回っています。(一般的には数年から十数年かけて1つを手放します。)

この事は言いづらいのですが
①の具体例としてとても分かりやすいため使わせていただきます。
批判しているわけでは決してありません。
慧空さんに「スカイプで話しませんか?」と誘われている人を
何人も見てきました。私が知る限りそのままOKを出す方は
いたのでしょうか?本当に悟りを進めたいのでしょうか?
これは大半の方は①に当てはまります。
(きっと中には、後に自分を奮い立たせ話されている方がいるかもしれませんね。)

なりたい自分になるには上の図のように苦手なことにチャレンジするしかないんです。
とてもシンプルな仕組みでしょ!難しく思うのは結果を求めすぎているからです。結果は行動の結果でしかなく私たちが自由に出来るものは行動のみなのです。
何度も言いますが無自覚に逃げている出来事、その「出来事」に気付く事がめちゃくちゃ重要なんです。それが1番といいたいぐらいです。
図にある通り分岐点ですから。
苦手なことは1度出来たとしても苦手なままです。やりたいことがその先にあればいつも頑張るしかないです。

掲示板に書くこともそうです。
どう思われるか怖いですよね、慧空さんだけではなくほかの方も見ていますし、何を思われるか苦しいです。文章が苦手で書いていることは変じゃないかとか。色々考え苦しみます。
私も書いた後色々考え後悔しますでも、成長します。モヤモヤすることを反芻しそれが自覚になってしまうからです。チャレンジャーであれば知らずに進んでしまう側面もあります。

行動した人ほど進みます!
苦手なことですから、私を奮い立たせ行動しないといけません。とても難しいです。
しかしそんな事より、無自覚に逃げている出来事、その「出来事」に気付く事が飛びぬけて重要なんです。

出来なくてもなんて事はないです。大半の人はそのままですから、気を楽に。
自己嫌悪すると思いますが引きづらなくてもいいです、みんな大差ないですから。

でも最後にもう一度
無自覚に逃げている出来事、その「出来事」に気付く事がめちゃくちゃ重要なんです。
どうにかして自分なりのコツを見つけてください。

これを書いた後に思ったことですが私が社会人になったあたりの頃、自営業をしたい目標があったため仕事内容をなんでも高いレベルで1人でこなせる様になりたいと頑張っていたことを思い出しました。ほとんどが苦手な事ばかりで大変でした。皆さんも社会に出て同じような壁に何度もぶち当たったのではないでしょうか。上に書いた事と何が違うのでしょうか?!人は目の前に広がる通常の日常にあぐらをかいて生きてしまうものなのではないでしょうか?!あえてその安定をぶち壊す事が必要なのではないでしょうか。
マルクス・アウレリウス
「空中に投げられた石にとっては、落ちるのが悪いことでもなければ、昇るのが善いことでもない。」
最近この言葉が気になっていて、ちょっとすっきりしました。

ちょっと話がずれてしまいましたが社会に出た時のどうしても向き合わないといけない壁と自分から壁を見つけ向き合うことの違いでしあありません。

頑張ります!
返信する
あさんへ (慧空)
2023-06-10 20:57:28
コメントありがとうございます。

風邪は余りひきませんが、インフルエンザはかかりますよ。
酷くはないですが肩こりも腰痛もありますし、老眼ですし、普通に老化が進んでいます。
悟ったら超人になるなんて、幻想ですw
返信する
Unknown ()
2023-06-10 16:32:24
ちょっと教えていただきたいのですが、慧空さんは風邪をひかれるのでしょうか?風邪は精神的な乱れが原因だから悟った人は風邪をひかない。覚者の間では風邪を引くことは自分が実は悟っていないことを晒すこと、みたいな文章を読んだことがあります。

確か、神々と同等に幸せだった古代の覚者達は、みたいな確かローマとかの時代の話だったと思うのですが、、。

肩こりとか腰痛とか、便通とか、さらには老眼とか、そうそう、老化とかはどうなるんでしょうか?
返信する
Unknown ()
2023-04-24 22:15:56
創造主というのはそういう意味だったのですか。。言葉から想像するのと少し違うような気がしますが、そうなってみればそれとわかる、というような感じかもしれないなと感じました。ご返信ありがとうございました。
返信する
あさんへ (慧空)
2023-04-24 20:01:10
>創造主であることを実感できる前の自分とその後の自分で、この現実世界に及ぼすことができる影響は違うのでしょうか、同じなのでしょうか?質問の主旨は、この常識的な世界における力を獲得するのか、それとも力は同じで自分の力に対する自分の認識が変わるだけなのでしょうか?

人に依って違うでしょうね。
また、小悟の前と後でも違うでしょうね。
でも、超能力等の特殊能力を獲得する人は余りいないようです。
よくあるパターンは、自分の欲求にオッケーを出しやすくなり、自由に行動するようになるとか、何かやりたいこと等について自己実現をしていくようになるという感じが多いように思います。
返信する
Unknown ()
2023-04-24 11:59:21
やっぱり難しいです。。。
そのような状態になったらわかる、と言う感じなのでしょうね。

一点だけ追加質問させてください。
創造主であることを実感できる前の自分とその後の自分で、この現実世界に及ぼすことができる影響は違うのでしょうか、同じなのでしょうか?質問の主旨は、この常識的な世界における力を獲得するのか、それとも力は同じで自分の力に対する自分の認識が変わるだけなのでしょうか?

もっと具体的に質問しますと、スプーン曲げとかが実際にできるようになるのか、スプーンは他の人にとって曲がってはいないけど、自分にはそう見える、と言うことなのかどうかと言うことです。
返信する
あさんへ (慧空)
2023-04-24 08:15:44
自覚のヒントと、生い立ち記事を購入いただき、ありがとうございます。

あさんが創造主について感じられる疑問は、常識的な観点からももっともであり、ここが難しいところでもあります。
しかし、自覚の基本要素であり、非常に重要なポイントになっていますから、慎重かつ粘り強く取り組んでいただきたいところです。

創造主に関する大切なポイントは、身の回り身近なところで、創造主としての自我(私)を捉えられたか、実感できたか、つまり腑に落ちたかどうかです。
例えば、手足や体を自由に動かしたり、頭の中の思考を自由に展開させている私とその主導権について腑に落ちることが大切なのです。
大切なポイントは、これだけなのです。
それ以外は枝葉です。

ここから先は余談です。
自覚を通じて創造主としてどのような力を得るかは、人それぞれだと思います。
中には、この世界に影響を及ぼす程の大きな力を得られる方もいるのだろうと思いますが、それは非常に稀な例だろうと思います。
多くの方は、種々の理由(常識的な観念や感覚が邪魔をする、恐怖心が邪魔をする、大きな力を得ることに興味がない、望まない等)から、身の回りの小さなことがらについて創造主としての私を実感することに留まると思います。

結論として、この世界は、本来、思うようになることよりも、思い通りにならないことの方が圧倒的に多いものなのです。
創造主として大きな力を得ると、最初のうちは自分の力に有頂天になり、何でも思い通りになる等の気持ちになるかもしれませんが、いずれは、依然として思い通りにならないことの方が圧倒的に多いという当たり前のことを実感するときが来ます。

さらに余談ですが。
人生って、思い通りなる人生と、思い通りにならない人生、どちらの人生が面白いと思いますか?
私は絶対、〇〇の方だと思うなぁw
返信する
Unknown ()
2023-04-23 22:09:35
慧空さんこんばんは
Noteの記事を読ませていただきました。簡潔にまとまっていてとてもわかりやすかったです。そのためよくわからなかった点も明確になりました。

創造主についてよくわからずにいます。

確かにお昼のメニューを選んでそれを食べるという現実を創造した、ということはできると思うのですが、だからと言って創造主とまでいうほどのことなのかな?と疑問が湧きます。一方、自分が強く望んだことはそのほとんどがその結果が得られず、自分にその力がないことを実感するばかりです。ですので自らに備わっている現実を創造する創造主としての力がないことを実感することになります。

わたしは何か重要なポイントを読み損ねているのでしょうか?
返信する
Unknown ()
2023-04-19 18:16:48
ご親切に教えていただきありがとうございました。よくわかりました。
返信する
あさんへ (慧空)
2023-04-19 10:40:15
少しコメントしますと。

>神なる存在を確信してそれに守られている、と感じているように思えます。

あさんの仰る通り、この方は神かそれに関連する存在を感じておられる可能性はあると思います。
しかし、それが大いなる存在意識またはそれに関連するものではなく、全く別のものである可能性もあります。

神との関係についても、神という存在を確信している人と、そうではなく、むしろ神と無縁になっている人がいます(ちなみに、私は生まれたときから既に神とは無縁になっていました)。
神を信じている人には、自己の大いなる存在とは別個に神を感じている人と、自己の大いなる存在と神を何らかのかたちで関連付けたり、混同してしまっている人がいると思います。
神と大いなる存在意識は混同されるケースが多いのですが、正確には別ものなので、どこかでしっかりと整理されるべきなのです。

神については、余り言及しないようにしています。
ちょっと書き過ぎました。
返信する
あさんへ (慧空)
2023-04-19 10:09:27
大いなる存在という意識要素は、前にも書きましたが、身体に付随した通常の意識要素および観照意識と比べると、非常にぼんやりとした薄いものです。
また、二つの意識要素と比べると個人差によるバリエーションも非常に大きいです。
さらに、悟りの行程を歩む方でも、大いなる存在の意識要素に明確に触れることなく、観照意識に気づいてしまう方も多いのではないかと思います。
それに対し、観照意識は、悟りの行程を歩んでいくうちに必ず触れるものです。

ですから、大いなる存在意識のことは余り気にされる必要はないかと思います。
返信する
Unknown (あ、)
2023-04-18 23:43:08
観照意識が自分の中に存在することはわかります。そもそもそれがあることが不思議でここに辿り着いたわけですし。自分が他の人とは違う意識を体の中に持っていることの根源が観照意識の視点ということでしたので、観照意識が自分の中に存在することはわかります。近づくこともできるような気がします。
返信する
Unknown (あ、)
2023-04-18 23:37:06
いつも寄り添ってくれていたのは身体に付随した意識の方です。ずいぶん無理をさせたと思います。でもぜんぜん大いなる存在ではないです。神でもないです。わたし自身です。
返信する
Unknown ()
2023-04-18 23:34:14
こんばんは。教えていただきたいことが出まして書き込みさせていただきました。

今の私はおそらく身体に付随した意識とそれ以外の意識が分離した状態ではないかと理解しています。慧空さんの教えてくださったことによると、今後「それ以外の意識」をさらに突き詰めていくと大いなる存在と観照意識を見つけることになるとのことでした。
まだ時間がかかるのかもしれませんが、もしかしたら私には大いなる存在に相当する意識がないのではないかと考えたりします。今後観照意識を見つけたらそれより浅い層にある大いなる存在がどうなっているのかわかるわけで大いなる存在について今の時点でわかることは少ないのがもしれません。

一方で、私に取って重要な人、友人が以前神が共にあると言うようなことをいっていました。カトリックなので別に珍しいことでもないですし、神がかりな人でもなく普通の常識人です。ただ、なんとなく感じるところがあり、私は、この人は文言を言っているこではなく、本当にそう感じているんだろうなと理解しています。

この人が言っている神は慧空さんの言われる大いなる存在のことだと思いますか?つまりそれ以外に神に相当するような意識要素が存在するのか?と言うのが一つ目の質問です。人それぞれ宇宙意識とかに出会ってしまう人もいるわけですし、あるかと言われればそりゃあるのかもね、と言うしかないかもしれませんが。

でも、私には本質的な意識要素がそんなにたくさんあるようには思えていないです。友人の感じからすると、具体的なご利益があるわけではないのに、神なる存在を確信してそれに守られている、と感じているように思えます。友人があれほどの大いなる存在を自分の中に感じているにもかかわらず、私にはそれが存在しないなんてあり得るのかな、と疑問です。大いなる存在の層がしっかりとした層を作っていない人がいたとして、その人は自分には自分を守る存在の意識がない、とまで感じるのでしょうか?

もう少し進んで見ればわかることなのかもしれませんがとても興味があり質問することにしました。

よろしくお願いします。
返信する
Unknown ()
2023-03-31 12:37:58
頭でなっているのに不思議ですが
返信する
Unknown ()
2023-03-31 12:36:35
慧空さんもあるんですか?
私のもオリジナルなやつではないです。
身体の意識の方に自覚すると消えるような気がします。今は消えてしまったのでよくわかりませんが、身体の意識の一部なのかなとか思ったりしました。また音楽が鳴り止まなくなったら試してみようかと思います。
返信する
あさんへ (慧空)
2023-03-31 08:24:00
まずは直球から。
本当に自覚で消えませんか?
私への意識の集中がまだ足りないのだと思いますよ。

心当たりはないですが、
実は私も頭の中の音楽が鳴りやまないことがありますw
特に何かの音楽を聴いた後にそうなりやすいです。
私の場合、頭の中で鳴るのは殆どが既存の楽曲で、オリジナルっぽいのは無いですね。
でも中には、オリジナルっぽいのが鳴る人がいるのでしょうね。
返信する
Unknown ()
2023-03-31 00:22:58
疲れていたのか少し衝撃的だったのか、お返事できませんでした。やっと普通になってきました。でも、これからは感情に振り回されることがとても少なくなるんではないかと思います。身体の意識の自分を選ぶこともできて、思考が減り体が緩みとても楽です。自分を苦しめる思考も減るんではないかと感じます。

それで普通になってきたんでくだらない質問をさせてください。以前から、頭の中で音楽がずっとなって止まらないんです。音楽を鳴らす以外にはなんの悪さもしないのですが自覚では消えません。何かの意識要素なんだと思うのですが、何かお心当たりのあることはありますでしょうか?
返信する
あさんへ (慧空)
2023-03-28 07:44:09
補足です。
お答えの中で、書こうかどうしようか迷って省略してしまったことを書きますね。

自我の意識要素は、玉ねぎのようにいくつかの階層を構成しています。
一番外側は、肉体に関連した意識要素で思考や感情の多くはこの階層に含まれます。
その内側に、ただ観る意識の階層があります。
大いなる存在に該当する意識要素は、肉体に関連した意識要素と、ただ観る意識要素の中間的な意識要素で、上記の2つの意識要素に比べると、ぼんやりとしていてそれほどの明確な階層を構成している訳ではないようです。

それで、ここが重要なポイントなのですが、
私という自我の意識要素のうち、どれが一番重要かと言うと、実は最も外側の肉体との関連が深い意識要素(肉体意識)なのです。
自覚をするときもそうですが、悟りの行程は、この日常的な肉体意識に軸足を置いて歩んでいくことになります。
ですから、悟りの行程でより内層部分の意識要素を発見した場合も、肉体意識に軸足を置いて、この肉体意識を本体として、より内層部分の意識要素を自分自身の一部として取り込んで統合させていくことになります。
返信する
Unknown ()
2023-03-27 21:54:34
お尋ねしてよかったです。とんでもないお宝を軽んじるところでした。
返信する
あさんへ (慧空)
2023-03-27 21:11:33
>感情を発生させる肉体にある源(意識)は、四つ意識要素の一つの肉体意識と別でしょうか?ということです

別ではなく、同じものです。
返信する
Unknown ()
2023-03-27 15:09:06
いつも丁寧にご説明くださりありがとうございます。特に2点目大いなる存在に関するご説明よくわかりました。投影の由来を探ってみようかと思いました。

1点目につきましてどうしても確認しておきたいことがあります。感情の発信源が身体という考えについて、慧空さんは、「自我の意識要素のうちの囚われとの関連が深い外層部が身体の各部との関連性が深いから」とご説明されたと理解しました。
一方別の記事で慧空さんが「悟りの過程を進むことは四つの意識要素を統合していくこと」と書かれていました。その四つの意識要素の一つが「肉体に関連した意識、肉体意識」だったと記憶しています。
確認したかったのは、今回私がご相談しました、感情を発生させる肉体にある源(意識)は、四つ意識要素の一つの肉体意識と別でしょうか?ということです。

よろしくお願いします。
返信する
あさんへ (慧空)
2023-03-26 20:50:24
あさん、お久しぶりです。
自覚を続けておられるとのこと、ご苦労さまです。

感情の出どころと身体との関係に着眼されたようですね。
その着眼は、半分当たっています。
感情には二つの種類がありまして、一つ目は握りしめた囚われに関連して発生するもので、二つ目は囚われとは関係なく自然発生的に単に生じてくるものです(この二つの感情の区別は、普通の人や多くの覚者には無理で、解脱をしないと判別できないのですが)。
二つ目の方は、勝手に生じてくるのでどうしようもないものであり、また感情の大きさも小さいものなのであり、さらには問題も起こさないので、気にしないで放っておきましょう。

問題となるのは、一つ目の感情の方で、深く大きな感情になりやすいです。
この感情は、各人が握り締めた囚われと深く関係していて、起こったきた何かの現象が切っ掛けとなり、その囚われが反応して感情を起こします。
そして、それらの感情は、あさんが気づかれたように、身体の各部と関係していることが多いです。
また、自我の意識要素のうちの囚われとの関連が深い外層部は、身体の各部との関連性があります。

ネットで調べれても、感情と身体との関係に関する
情報は沢山出てきます。
例えば、
http://meikouen.or.jp/mcafe/%E7%AC%AC5%E5%9B%9E%E3%80%8C%E3%82%B3%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%81%A8%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%80%E3%81%AE%E7%9B%B8%E9%96%A2%E3%80%8D.pdf

この中でも、個人的に特にわかりやすいと感じるのは、悲しみが肺と関係していて(悲しみで胸が苦しくなるなど)、怒りやそれに関連した思考が、肝臓や消火器系と関係している(ハラワタ煮えくり返るなど)、ところだと思います。
それ以外は、私的には??です。

大いなる存在についてです。
大いなる存在は、自我の意識要素の一部のことで、肉体に付随した外層部の意識要素の少し内側にあって、自分自身のことをいつも見守っているような、寄り添っているような意識要素です。
ですから、自分自身以外のものや存在が大いなる存在となることはありません。
上手く表現できませんが、自己の内なる意識要素を他の何か(神も含む)に投影してしまうことによる誤解や錯覚が起きることはあるのだろうと思います。
返信する
Unknown ()
2023-03-26 19:20:54
ご無沙汰しております。
自覚、続けています。少しずつできるようになってきたかもと言う程度ですが。

質問がありまして書き込みさせていただきました。

自分の中心に意識を向けていると自分を考えが止まるのがわかります。それでも自分の感情の動きはそれとは別のようです。その感情の出どころが身体のように感じるようになりました。具体的には、整体の時に硬くなった筋肉をゴリゴリやられてると、昔あった嫌なことをたくさん思い出します。
自覚をしていない時に頭の中に自分を苦しめる思考が湧いてきた時身体をゆすったり、姿勢を変えると思考が変わります。私の自分を苦しめる思考が身体の状態から発生している、という確信に近い思いがあります。質問の一つ目は、身体由来の思考が慧空さんの言われる肉体に付随する意識ではないか、と言うことです。いかがでしょうか?

質問の二つ目は、大いなる存在についてです。これはあまりそれらしい感覚がありませんが、唯一あるとすると祖父のことをよく思い出すことです。祖父は私をすごく大事にしてくれました。祖父だけでなく祖父が住んでいた商店街のお祭りや、近所の人たちが私に話しかけてくれた街の雰囲気もよく思い出します。
大いなる存在というと遍在する光とか空気みたいなものを思い出しますが、大いなる存在と抱き合う、と言うコメントを見ると人間の形をしてるのだろうか?とも考えます。ですので質問は、私の祖父のような実在した個人が慧空さんの言われる大いなる存在という可能性はあるのでしょうか?

ということです。
よろしくお願いします。
返信する
うきさんへ (慧空)
2018-12-12 11:12:03
メアドを2回ほど変更してまして、
今使っているメアドは、
suiku2013☆yahoo.co.jp(☆を@に替えて下さい)
です。
こちらにご連絡くさだい。
返信する
個人セッション申込みたいです (うき)
2018-12-12 10:14:51
はじめまして うきと申します
メールが使用不能となっていて送れませんでした
どのようにすればよいでしょうか
申込みたいです
返信する
Unknownさんへ (慧空)
2017-09-28 08:30:12
コメントありがとうございます。
あなたも、私のブログにわざわざまちきらかしに来られたのですね。(^o^)
返信する
Unknown (Unknown)
2017-09-28 01:39:58
大悟、の辺りだけ読みましたが、いまだにこういうことを言っている(まきちらす)人がいるのだな、との印象。
禅定だとか、見性だとか。
さぞかし辛かったんでしょうね。
あるいは金儲け?
返信する
Unknown (佐藤)
2016-04-21 09:16:49

母音の あ は、
インパクトが大きいと聞いたことがあります。
返信する
スカイリーさんへ (慧空)
2016-04-19 18:37:02
コメントありがとうございます。
ご質問の「わたし」以外の言葉について、私自身も明確な答えは持っていません。
曖昧なお答えしかできませんが、一応お答えしますね。

確かに、多くの方にとって「わたし」という言い方はしっくり来ないところがあるんだと思います。
しかし、「わたし」という言葉には上手く表現できませんが、自分のことをそう言うことで何らかの影響力があるんだろうと思っています。
一つは、言葉の真っ直ぐさというか、姿勢が正される感じというか、自分に責任を持つというか、そういうちょっと大人の感じがあると思うんです(大人ってどういう意味よって感じですが、爆笑)。
もう一つは、音の響き的な要素でしょうか。「わたし」と言った方が、「自分」、「オレ」等の他の言い方に比べて、自分自身に響くんです。
これは体感的に感じることもできます。胸に両手を当てて、「わたし」、「自分」、「オレ」等の言葉を声を出して言ってみて頂きたいと思います。響きの違いを感じることができると思います。
と書きましたが、本質的に大切なのはしっくりとくることですから、ご自身でお好きなようにやって頂きたいと思います。
返信する
自覚ワークの言葉 (スカイリー)
2016-04-18 22:12:56
慧空さん、初めまして♪

自覚ワークの言葉は「わたしは…」以外に
「自分」や「オレ」を使うのはOKでしょうか?
普段「わたし」という言葉を自分に対して使わないので「自分」や「オレ」のほうが、しっくりきます。
ご意見のほど宜しくお願いします。
返信する
Re:素色さんへ (慧空)
2015-01-07 20:08:44
コメントありがとうございます。

>ピンときまして、早速ハートの自覚ワークをやりましたら、ハートから『わたしは………!』と自我が主張してきて、
>わたしはまだ、こんなにも言いたいことがあったんだ、と気づけました。
>たくさん聞いてあげようと思います。

素色さんは、ご自分と対話できる方なのですね(私は一度も出来ずじまいだったのですが、笑)。
ご自分に寄り添うようにして、内面の声を沢山聞いてあげてくださいな。(^^)
返信する
ハートの自覚 (素色)
2015-01-07 18:22:49
内観に行き詰まりを感じていたところ、こちらのブログに出会いました。
ピンときまして、早速ハートの自覚ワークをやりましたら、ハートから『わたしは………!』と自我が主張してきて、
わたしはまだ、こんなにも言いたいことがあったんだ、と気づけました。
たくさん聞いてあげようと思います。
素晴らしいワークを教えて頂き、ありがとうございます。
返信する
慧空さん、ありがとうございます。 (NOA)
2014-12-14 22:02:30
なるほど、良くわかりました。主体性ですね。

禅でも公案を使う臨済系は、また、方向性が異なるのかもしれませんが、私は、こちらには詳しくないです。

どちらせよ、自我の主体性を重視する形で進めてみます。
返信する
Re:NOAさんへ (慧空)
2014-12-14 21:07:26
書き忘れたので、補足です。

マインドフルネスは、上記のように、ここで言う自覚の二つの要素のうちの一つに含まれるものですから、もちろん、自覚と併用していただいてもまったく問題ないですよ。
返信する
Re:21さいさんへ (慧空)
2014-12-14 21:03:23
>中心軸に意識を置くとあるんですが中央に置くというよりは自分の後ろとか周り全体から中心(胸など)を観るほうが集中度は高まる気がするんです

なるほど、もちろんそれでも大丈夫ですよ^^

>諦めれません/ _ ;

いいですねー^^
応援してます^^
返信する
Unknown (21さい)
2014-12-14 20:56:44
>>自覚をやめようとしてもおそらく無理ですよ。(^^)

心からこの一言に尽きます/ _ ;

自覚をやめようだなんてこれからもまず思えないと思います。
一回本気で諦めようと思ったんでがまたすぐにいろいろな葛藤が込み上げてきて風呂に入ってるときにもう彷徨うのはやめたいって気持ちが湧き上がってきて前よりも強く思うようになりました。

申し訳ないないという思いは私の考えであるとわかっていながらも書きたくてかかせてもらいました。

自覚の記事にあげられているコツについて中心軸に意識を置くとあるんですが中央に置くというよりは自分の後ろとか周り全体から中心(胸など)を観るほうが集中度は高まる気がするんですがこれも楽器の弾き方やスポーツのフォームが此処で違うように自分のやりやすいものでいいかなと思ってます。楽器もずっとやってるとじぶんなりの形が出来て急に弾けるようになりますし。自分なりの形を見つけたら一日中集中できるだろうなぁと感じています。瞑想もアファメーションせずただ思考を観るものを少しやってみようかなと

諦めれません/ _ ;
返信する
Re:NOAさんへ (慧空)
2014-12-14 20:52:04
コメントありがとうございます。

MOAさんは、内観系の瞑想についてお詳しいようですね。
私なんかよりよっぽどお詳しいのだと思います。
事実、私は「マインドフルネス」という言葉を今日初めて聞きました。(^o^)

マインドフルネスについて少し調べました。
それがどういうものであるかは、大凡分かりました。

上でNOAさんのが着目しておられる点は、内観系の瞑想体系を観る上で、実はとても重要であり、本質的なところなのです。
殆どの内観系の瞑想は、「私」の意識の動きに気づいていて、ただそれを観察するという点に重点がおかれています。
このような瞑想によって、観照意識が磨かれていき、それはそれで悟りには有効に作用するのですが、これでは重要な要素が欠落していることが多いのです。

その重要な要素とは、私という自我の「主体性」です。
私という自我を捉える見性という悟りには、私の意識の動きについて気づいている観照意識と、私という自我の主体性(「私が」それらの考えを起こしているものだ、あるいは、それらの考えは「私に」起こってきているものだという自覚です)の二つが要素が必要なのです。
この二つの要素はどちらも重要なものですが、私としては、主体性の方が重要度が高いと思っています。
なぜなら、観照意識が進んでも、主体性の方が脆弱であったり、欠落していると、悟りを深めていくうち、私という自我を見失ってしまうからです。
自我を見失うと、その時点で悟り進展は終わってしまうのです。
悟りの道をどこまでも進んでいくためには、最後まで私という自我をしっかりと捉えて、主体性を維持している必要があるのです。

NOAさんもご指摘の通り、禅系の瞑想では、観照意識の方に重点が偏り過ぎているのです。
そのため、禅の系統では、多くの場合、せいぜい天界(小悟)の悟り階層の空の理解に到達するのがやっとなのです。
希に、大悟まで到達される方がおられるようですが、精一杯のところで、大悟止まりとなってしまうのです。
言ってしまいますと、禅系の方で解脱の悟りを得られた方は、過去から現在においてまだおられないのだろうと思っています。

ですから、繰り返しますと、自我をしっかりと捉え、主体性を維持しながら、進んでいくということがとても大切なんです。
返信する
Re:21さいさんへ (慧空)
2014-12-14 20:18:48
コメントありがとうございます。
21さいさんの場合は、どうやら深い苦しみを感じておられるようなので、自覚をやめようとしてもおそらく無理ですよ。(^^)
仮に途切れ途切れになっても、きっと続けていかれることになると思います。(^^)

それと、私に対する申し訳ないなどの考えは不要ですよ。
すみませんが、私は、21さいさんが自覚をしようがやめようが、何とも思ってないです。(^^)
私に申し訳ないと思うご自分に意識を向けられて、自分は申し訳ないと思っているんだなと自覚してください。

それと真我についてですが、そう焦らず、まずは地道に自覚をやって頂きたいと思います。
真我の覚醒等は、自覚を続けていかれ、21さいさんが握りしめている考えに気づいていかれるうちに、きっと訪れますから。
大丈夫です。(^^)
返信する
質問です。 (NOA)
2014-12-14 16:00:44
慧空さん

自覚のワーク方法について、まとめていただき、ありがとうございます。

早速ですが、質問です。

自分に起きること(眼耳鼻舌身意へ)を、操作せずに、ただ、気づいているという方法(米国で言うマインドフルネス)は、自覚の方法として使ってよろしいのでしょうか?

ただ、気づいているというやり方の場合、起きることを対象物として捉えるので、気づいている自我(自己?)が、明確になるように自分は感じます。ただし、この場合、自分が対象物(行為や心に発生すること)を、起こしているという自覚はほとんど感じません。

自覚のワークの場合、単に気づいているのではなく、「これは自分が起こしていることだ!」と、十分意識をすることが大事なのでしょうか?

井上ぎえん老師系列の修行ですと、最初から、六根(眼耳鼻舌身意)に手をつけない、解放しておくように、と良く言われ、気づいている自分を意識するような指導はされません。受け入れるというやり方なのでしょうか?自分の感じですと、第3段階の大悟が終着点になっているように思われます。

散漫な文になってしまいましたが、そのまま投稿させていただきますので、よろしく、お願いします。
返信する
Unknown (21さい)
2014-12-14 05:40:29
今まで自分の将来とか色んなことで不安定で中途半端な自覚しかできませんでした。そもそも発心が湧いてこなかったんです。ですが今日、彷徨うのはもうやめようって気持ちが起こってきてハッとしました。今まで色んな事にのめり込みやすいタイプで悩みも趣味も飽きるまで諦めずにのめり込んできたんで自覚に関しても自分は諦められないんだなと確信しました。今まで中途半端気持ちでフラフラしてきて慧空さんに申し訳ないですm(._.)mこうやって書いてるのも苦しい。自分がブレてしまうため極力コメも必要最低限にして掲示板にはもう行かないと思いますが毎日ブログを読んで勉強してますのでよろしくお願いします。
返信する
この記事はありがたいです。 (21さい)
2014-12-14 03:17:47
一時期諦めムードになってたんですが何とか粘りました/ _ ;
どうも掲示板に書き込みさせてもらうと(掲示板に限らず他の人とやり取りしだすとですね)宇宙等の事に興味が向かい出して意識が自分に向かなくなるんですよね。掲示板でやり取りしてくれた慧空さんはもう僕のクセみたいなものをわかってくれてるかもしれませんが他の人とやり取りさせてもらうとふらつきますね。用は自らの考えに翻弄されてしまって自覚が出来なくなるんですよね。それをわかって慧空さんは僕に自覚が上手くいってない雰囲気を感じられたんだと思います。実際上手く自覚出来てませんし。でも人とやり取りしなくなると落ち着いてくるんです。学生時代も勉強は一人でやる方が成績も伸びていたのを思い出しました(関係ないか…)

ここでいう「真我」っていうのが全く理解できないのですが記事を読み返させてもらったりまだ読んでない記事を見ることで理解でくるのでしょうか普段から自分に意識を向けていればおのずと理解できるのでしょうかまだまだわからないことだらけですが全然諦めてませんよ(^ ^)これからも辛いでしょうが粘り続けます。記事ありがとですm(._.)m
返信する

コメントを投稿

自覚ワーク等の紹介」カテゴリの最新記事