■炎のクリエイター日記

美味しいもの・史跡が持つ歴史のご紹介。お料理はプロ・自作を問わず鮮明な画像で、どんな素材も関西仕立てにクリエイトします。

炎のクリエイター 撮影 & 画像補正

このブログに使用の画像は、殆んどを「iPhone15 pro」で撮り「CANON Power Shot G7XⅡ」と「CANON一眼」などの撮影機器でフォローしています。画像に補正を施せば、とっておきの一枚を奇麗にできます。 ※画像の転載・転用は禁止させて頂きます。 石山寺の秋月祭。紫式部が水面に映える十五夜の月を眺め、源氏物語の構想を練ったと伝わる。画像は後白河天皇以下歴代天皇の玉座とされた「月見亭」で、ここから眺める中秋の名月は、瀬田川の清流に映る幻想的なイメージも含めて、近江八景の「石山の秋月」とされている。2024年は9月17日(中秋の名月)・18日(満月)に、本堂でイベントが執り行われる。

天津飯は日本生まれ ~中華丼や天津麺も日本のオリジナル料理~

2018年10月02日 18時58分11秒 | 天津飯食べ歩き
昭和20年の終戦を迎えた頃、白い丼めしの上に芙蓉蟹(かに玉)を乗せた「芙蓉蟹蓋飯」が日本で考案された。当時の中国天津では「蓋飯」と呼ばれる家庭料理が流行っていたことから「天津蓋飯=天津飯」と名付けたので、中国・満州から肉親を乗せて引上げ船が出港する「天津港」の名は、縁起の良い「どんぶり」と大流行し、それ以降は爆発的に庶民に広まったとある。





天津飯の起源は、終戦直後の物資不足の日本で、支那食は安くて美味しく満腹になると好評だったため、ご飯と合体させて速攻で食べられる特別メニューを考案。ふっくらと焼いた蟹玉をご飯の上に乗っけ、酢豚の甘酢餡をやわらかめにかけた蟹玉のっけ丼が天津蓋飯で、今の「天津飯」の始まりであった。天津飯とコンセプトを同じくした後発料理には、八宝菜を乗っけた「中華丼」もある。



天津飯・中華丼ともに、中華風を気どった日本独自の料理ということだった。従って、ラーメンの上に蟹玉を乗っけた「天津麺」なる創作ラーメンも、突如として生まれてくるわけだ。ステーキはアメリカより、カレーはインドより、餃子は中国よりも、それぞれ上を行く日本は、内外共に認めるグルメ大国だと自負する。







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