すどうたかなり【須藤教成】~政治家改革~徒歩と自転車にて演説をし、政治について色々な人の話をききながら日本縦断達成!

徒歩と自転車で日本縦断達成!目標は1政治家改革を訴える2政治を中心に広く皆様のこえをきく3その地域の雰囲気を体で感じる

アメリカ横断最終日

2008-03-30 22:05:29 | Weblog
実は昨日おそらくですが勘違いから大変得をしました。知り合いになった人とシェラトンホテルのロビーにいき(私が泊まったところはおそらくニューヨークで一番安いまともなホテルです。)ニューヨークで一番若者が集まるところはどこですか?(私は日本でそういった場所には1回しか行ったことがありません) と聞いたら、地図を渡されてそこから少し外れた場所のディスコに行ったら良いとメッセージと名刺を貰いました。(勿論チップはあげました)
とりあえずそこに行ったら、オープンが22時30分と言われて近くのバーで待つことになりました。
そして、その時間になりディスコに行って並んでいる人をしりめに係員に聞いたところVIPの入り口に行きなさいと言われ、行ったところ40ドルの入場料が無料になったのです。
これはかなりの裏技だと思いますが、実際に可能だったのです。
しかし、そんなVIPでもセキュリティが厳しく今までにない荷物検査(これは何だとかなり聞かれます)とパスポートの写真を撮られました。そこで中に入ったところ、一時間ほどで若者が溢れ激しく皆が騒ぎながら踊っていました。
説明は難しいですが、人は出会いを求め仲間を作り国籍に関係なく仲良くなれる素晴らしい場所だったのです。
日本ではそこまでフレンドリーなかたちにはなりません。
それはいやらしい意味ではなく、純粋なストレス解消と仲間作り(黒人も白人も関係がありません)のように見受けられ(なかには違う人もいますが)文化を知るうえでかなりのお勧めの場所でした。(出たら、絶対に中に入れないのではぐれることに要注意です。私ははぐれてしまい、係員と激しく口論をしましたが入れてもらえませんでした。あとから友人に聞いたところ私は中国人だと思われたようでした)
(チェリーのマークがトレードマークです)
8時
ホテルを出発。
ほとんど観光に近いですがニューヨークの観光スポットを目指します。
9時
自由の女神を見るために船に乗りました。ここはセキュリティチェックが厳しく、手荷物から靴まですべてを調べられました。(空港と変わらないくらいです)111時25分
テロの被害にあったグランドゼロにきました。約2000人の犠牲者を出してしまったのですが今でも人骨が出てくるそうです。心から哀悼の意を表します。

12時
ニューヨークの中華街に到着。ここで昼食にしました。
ここもロサンゼルス同様、アメリカのなかの中国という感じで中国の方たちだらけです。
13時30分
ファッションの街ソーホーにきました。
ニューヨークは東京の新宿みたいにビルや店が並び人が溢れています。
アメリカは路上駐車がかなり多いことも特徴といえるかもしれません。

13時55分
国連のビル前を通りすぎる。
そのすぐ近くの高い家賃も高そうなビルに松井選手が住んでいるそうです。
14時10分
セントラルパークをちらっと見ましたが都心の中に花があるようで素晴らしい場所です。
日本の皇居も馬車を走らせたりすると今以上に良い名所になるかもしれません
20時
街を視察しホテルに到着!
相当疲れましたがアメリカ横断により、数えきれない知識を得て明日アメリカを立ちます。
心からアメリカという国、人に感謝いたします。

現実編当て逃げ。

2008-03-29 15:23:09 | Weblog
妻の実家に遊びに行く最中にガス欠してしまい、連絡をしに行った間に当て逃げをされてしまいました。
残念ながら妻は乗っていたのですが突然のことでパニックになってしまい、ナンバーを見ることが出来なかったようです。
皆様、いきなり後ろからホームに突き落とされてしまうような時代です。
警戒は怠らずにしましょう!

アメリカ横断十三日目

2008-03-28 11:26:11 | Weblog
昨日も街の雰囲気を確かめるためにショッピングモールを視察しましたが、アメリカ人は凄い。
何故ならばむこうから見れば私は外人なのに必死になって話しかけてくる。
一見強引な商売方法に見えるのだが、実際は違う。
いらないと言ってもむこうは笑顔のままフレンドリーに続けて話しかけてくるのだ。
日本人の場合、売りたい時は商売気質まるだしでさらに薦めてくる。
アメリカ人は一度いらないというと、商売抜きな話が始まるのである。
勿論全員が全員こうだと決めつけるわけではないが、比率的に圧倒的な確率で上記の傾向が出てくるのだと私は思う。
どちらが良いかと決めるつもりがないが国の特徴といえるのではないだろうか?
昨晩のことをもう一つ、宿泊したホテルは今回は特別に一階ではあるがビジネスホテルではない普通のホテルに宿泊した。
そうしたら、夜にトランプをやって賭け事をやっている人たちを発見し、近くによって(中国語が分かる私の友人が)会話を聞いたのだが、どうやら、中国の政治家のようで視察と称して税金で遊びに来ているようなのだ。朝もその一味に会ったが、家族で来ており、通訳までやとっている。(ガイドも兼任出来そうな人だ)
ご存知のとおり、中国は貧富の差が激しい。
そもそも共産国家なのだから大事な税金を貧民に還元するべきではないだろうか。
ただ、一概に中国がおかしいなどと言ってはいられない。日本の場合はもっと良いホテルに泊まりもっと激しい遊びをしているのだ。中国も日本もこの腐りきっている政治家を改革しなければ、近い将来世界の資源不足が深刻になり、その時代の荒波に飲み込まれて国家の崩壊に繋がってしまうであろう。
私の本でも書いているセリフだが「中国の国民も日本の国民も子孫のために立ち上がらなければならない」
アメリカは消費者保護があつい国だが9月中から12月23日までが一番商品が売れるそうで12月26日から法律で返品可能な1ヶ月くらい返品の列が出来るようなのだ。
この法律は少し保護しすぎで商品の劣化を招くような気がしてしまうが、、、
8時55分
ペンシルバニア州モルトワに到着。大西洋の見える発展している場所だ。
商業は勿論だが、ロシアから古くなった潜水艦を買って中を見せたり、日本に来た黒船と同じタイプの船を港に飾ったりして観光としても有名になったまさに生き返った街である。
日本の地方活性化もこういったところをモデルにすれば面白いかもしれない。要するに街の特色を出すわけだ。
ちなみに道に各国の言葉がそこはかとなくしるされている。自分の国の言葉が道のタイルに書かれていると何となく気分が良くなるのではないだろうか。実に良いアイディアである。
10時15分
メリーランド州にはいり、ターンパーク(有料道路)の休憩所による。

10時45分
休憩所から5分ほど進んだら、大きな川がある。どうやら、ムール貝の産地のようだ。
11時05分
デルウエア州に入った。
ここはアメリカ50州のなかで初めの方に独立した州でリボンという飲料品を販売している会社のお陰で州がもっているともいわれている。
11時25分
ペンシルバニア州に入った。
ここら辺は州から州への移り変わりが激しい場所である。ちなみに、また、目の前で事故があった。
11時40分
フィラデルフィアに到着。車を空港に停めると高いので、すさまじく大きい駐車場が少し離れたところにあり、ほとんどの人がそこからシャトルバスで空港に行くようだ。
この街は鉄鋼産業が主であり、規模は日本と比べ物にならない。
12時
フィラデルフィアで昼食。ここの家の作りは大体地下室をつくるらしい。
寒い冬に外に出ないで娯楽出来るように工夫されているわけである。
14時
フィラデルフィアの自由の鐘を見た。
メインはその名のとおり鐘なのだが、これは、ただの鐘ではない。
アメリカの人々はこの鐘の存在から精神的自由を得ているのだ。
黒人解放も自国の自由のための戦いもすべて、この鐘から強さをもらっている節がある。
だから、警備も荷物チェックを詳しくされるほどの愛着の度合いであった。
15時50分
ニュージャージー州に入っていることに気が付いた。最終目的地のニューヨークまであと少しだ
16時45分
交通量が激しく、自然渋滞でここまで混むのは珍しい。
これほどの渋滞、クラクションの数をみるかぎり、もうニューヨークについたのであろう。道路の一部で写真を撮ることを禁止されている場所があった。
テロ対策が相当厳しい証拠といえるであろう。

アメリカ横断十二日目

2008-03-26 14:18:15 | Weblog
アムトラックを出てワシントンを列車にて目指しています。
この列車の普通席で眠ったわけですが、多少広くても寝ずらく二人席の隣の人との境目がなくて座席をたおしたくても後ろの人が気になり、思うようにはなりません。
要するに迷惑を考えなければ眠れる席というわけです。
これは隣が友人や夫婦でないとかなり、気を使います。
さらにスリにも気を使わなければなりません!
正直最悪です。
列車の普通席で宿泊は異国の地ではあまりやるべきではないでしょう。
ちなみに、私は眠るわけにはいかないとレストランルームで酒を皆が寝静まるまで飲んでいましたが外人にやたらに日本語について聞かれました。
楽しくお酒で盛り上がり、眠ることを考えなければひとつの勉強として良い経験だったと考えています。

そういえば、昨日ではないのですがワールド?という国際電話専用のカードを使えばわずか5ドルでかなりの時間話せるような時代になりました。確か、二時間ぐらいです。軽く英語が分からないと使えないかもしれませんが、パターンを覚えれば簡単に扱うことができます。要するに日本円になおすと545円くらいです。これを知らないで国際電話のテレホンカードを使って電話したり、ホテルの電話から通話すると凄まじい額が請求されてしまいます。本当に知っていて得したカードです。私の場合ホテルの電話から電話しましたがまだまだ、通話出来る余力があり、ホテルに支払うお金も0です。

9時45分
ワシントンDCに到着!
さすがは首都 東京と似たような空気を感じます。
それにしても眠い。。
気合いを入れて視察しなければ!!
ワシントンは何州にも属さない特別地区です。
街全体を人工的に設計した街だそうで人が住むには適していない気候ともいわれています。
10時20分        国会議事堂前に到着。  ふとした場所に車が入るとトランクすべてを開けなければならないという場所もあるそうで、国会議事堂から各省庁へ原爆戦争を想定して地下で繋がってるそうです。
10時50分
ホワイトハウス付近に到着。
物々しい警備が辺りを包む
狙撃兵が周辺のビルから構えてるときがあるというのだから実に怖い。
10時55分
銃を持ってる警備にこっちにくるなとしかられる。
11時
仕方がないので遠目から両手をあげて撮影。
11時15分
リンカーン記念館に到着。物々しい警備がなくなり一安心です。
黒人の奴隷制度をなくした人物ですが、並々ならぬ決意で揺るがない意思をもった人物と推察出来ます。
願わくば私もその勇気にあやかりたい!!
11時45分
昼食タイム
13時
ペンタゴンに到着。
テロによる衝撃を忘れないように飛行機が突っ込んだ部分は色が変わっていました。
13時10分
今まで戦死した人のアーリントン墓地を弔問
ジョンFケネディのお墓には炎が燃えていました。
それは、魂の叫びにも見え これからくる世界の資源不足が戦争による解決ではそのさきに無しかないと語りかけてくるようでした。15時
本日はホテルに早めのチェックイン

アメリカ横断十一日目

2008-03-24 14:48:15 | Weblog
本日はアメリカでもっともあちこちで見かけるウォルマートについてからにします。
このウォルマートはどこの州にも存在し、食料品から衣料品、自動車用品、医療品まであらゆるものが揃うのです。
そのあらゆる物の中になんと銃も存在し、ウォルマートに幾度に改めて銃社会だと思い知らされます。
値段も十万円以下で購入可能なものがたくさんあり、いつなんどき襲われてもおかしくない状況なのです。政治家改革の志半ばで巻き込まれて死ぬのだけはごめんです!
日本人という存在は襲われやすいので、改めて考えなければなりません。
アメリカのそこそこなホテルで宿泊すると(私が宿泊した場所を参考に)大体日本円になおすと4500から市街地にあるホテルは8700円くらいです。
本日のナッシュビルの市街地からわずかに外れた場所での宿泊はシングルで59・95ドル 要するに6480円に税金ぐらいです。
アメリカの価格表示でよくあるのが ・95ドルという1ドルにいかない表示をするのが非常に多いです。日本の98円とか980円など大台にのせないみせかけ方は世界共通なのかもしれません。
8時
ホテル出発。
雪空のした凍えるような寒さを味わいながらバスに乗り込みます。
そういえば、テキサス州で異国の夜空をそっと見上げたら綺麗な星と月が見え、一句出来ました。
いこくのち
ただひとりとも
おもひても
みあげるそらは
かわるものなし

即興にしてはまあまあですよね?(ダメッスね)
俳句は勉強してないもん(いいわけ)

なんとなく、最近形式なんか関係ないめちゃくちゃな俳句にこってるんですよね。最低限575か57577 は守っていますが

8時35分
ジャックダニエルの看板が見えました。
このジャックダニエルという人は禁酒法が出る直前にウイスキーをつくり始め、本格的に販売をしようとしたら禁酒法がでてしまい、十五年以上そのままにしていたのが成功した理由だそうです。
販売出来なかったときは相当苦しかったようですが、人間最後まで分かりません。ピンチを耐えてこそ、道が開けるということも改めて実感できました。
ちなみにアメリカは絶えず住宅が売買されないと経済が停滞してしまいます。サムプライムローンは今まで住宅を買えば必ず値上げしていたという油断から生まれた単純で裏があるのではと疑いたくなるような失策でした。

10時15分
チャタヌーガの街に到着。あっ!ここで一時間後の未来へ行きます。     11時15分        ここは元々石炭がいっぱいとれた街でここに来る途中グレイトスモーキングマウンテン?と呼ばれている、山の中の石炭が燃え続けてる現象が起きているそうです。
ここの街にある川は凍結してしまうときもあるそうで、外に出ると雪は降ってはおらず、晴れているのですが実に寒い! 手が凍りそうになります。
工業都市であったにも関わらず立派に再開発された綺麗な街です。

列車の前で仲良くなった女の子を抱っこさせていただきました。
アメリカは本当に自由な国だと思います。 良い国だと思います。 ただし、自由とは自分で守らなければならないということであって、警戒もせずに行動することはその事自体に問題があるわけなのです。

15時
気が付いたらジョージア州に入っていました。
ここの消費税は7%です。それでも安い?ほうなのかな?
15時50分
スーパーなど色々あるショッピングモールで休憩をしたのですが、ここは黒人しかいないといえるくらい白人がいないショッピングモールでした。
16時30分
アトランタに入りました。ここはオリンピックで有名になった街ですが、スポーツ施設らしきものがたくさんあります。バスから見る雰囲気は日本の別荘地みたいな感じに見受けられる光景が多いです。     いきなりですが、夜寝る前のオレンジジュースは子供の歯がボロボロになるので注意しましょうと言われました。
16時55分
別荘地らしき場所をぬけ、アトランタの市街地に入りました。
オリンピック記念公園をついでですので視察させてもらえます。
これほど、ビルが建ち並ぶ場所なのにワシントンDCへむかう列車は平気で一時間も二時間も遅刻してくるそうです。
ちなみにエレベーターに乗るときに閉めるボタンがないエレベーターは結構あります。
お国柄なのでしょうか?
18時30分
アムトラック到着!
列車でワシントンDCへ

アメリカ横断十日目

2008-03-22 12:06:00 | Weblog
本日は日本がいかに治安が良いかについてからにします。
まずはなんといってもホテルのセキュリティ状況についてで、アメリカのホテルはほとんどがその日限り有効のカードキーでした。(持って帰るのは自由で安そうなぼろ宿や田舎の宿にも泊まりましたが私の場合はすべてでした)
要するに不正にコピーすることは宿がグルか客がコピーさせない限りできないわけです。
これについては日本がいかにセキュリティが甘いか分かります。
また、ハイウェイの自動販売機も盗難防止のために柵をつくっているぐらいの防止策を練っています。
最近日本でもATMごともっていってしまうことがありますが、外国人から見れば盗んでくださいといっているように見えてしまうのではないでしょうか?
8時45分
ホテルを出発。
メンフィスのビールストリートを視察へ
ミシシッピ川がまた見えてすぐさきにアーカンサス州があります。
メンフィスは人口が65万人の都市でアメリカが禁酒法を施行していたとき、密造酒を至るところで小窓をつくり馴染み客に売っていたという街でもありました。
9時10分
メンフィスのビールストリートに到着。
朝はほとんど人がいません。
ホームレスが1ドルくれぇーと叫びながら歩いているのと、ミュージシャンがたっているくらいです。

そのちかくに人種差別撤廃を訴えていたマーチン・キング・ルーサージュニアが暗殺されたモーテルを見てきました。
本当に小さなモーテルで日本の政治家に見習わせたいと思うくらいの場所です。メンフィスは黒人の比率が非常に多く、黒人の子供達が見学に来てました。
そのうち黒人、白人の子供達が揃って見学に来てくれることを願っていると思います。
9時55分
ミシシッピ川を越えてアーカンサス州に入りました。あたり一面に豊かな畑が広がります。今はちょうど収穫を終えたばかりのようで何もありませんが
10時
またテネシー州に戻りました。
ハリケーンがくるとミシシッピ川が氾濫を起こし大ピンチになるのは土地が低いところにありそうです。
まだ改善の余地がある状況といえます。

アメリカは竜巻対策として基本的には家の近くに地下壕を作っているようで竜巻がくるとそこにかくれるそうです

15時32分
ナッシュビルに到着
ミリタリー軍事博物館を見てきました。
広島に落とした原子爆弾や日本刀、日本人の寄せ書きの日章旗などたくさんの第二次世界大戦に関係するものが展示されています。
なかには東條英徽の寄せ書きもありました。原子爆弾を見た瞬間に寒気がはしり、もう二度と戦争はしてはならない!巻き込まれてもならない!という気持ちにさせられます。

16時45分
ホテルに到着。
昨日の場所から初夏の暖かさが消えて日本でいう10月ころの寒さになってきていました。
そして、今日は真冬の寒さに様変わりです。
同時期のアメリカ横断というのはこの気候の変化、土地から様々な思考が生まれ、常に日本を対象に入れての思考しなければアメリカ合衆国という巨大な波に飲み込まれてしまうような気がします。
18時
ナッシュビルの街を視察しています。
雪が降り続き非常に寒いです。

ちなみに夕食は一番という日本料理屋さんで食べました。日本酒や焼酎はべらぼうな値段がしますが、料理はそれほど高くはありません。ちなみに店主以外の従業員は日本人に見える中国人の方たちです。店主が日本人のおかげもあり、ここが今まで食べた日本食の中で一番でした。

アメリカ横断九日目

2008-03-20 09:31:40 | Weblog
昨日はニューオリンズの中心市街をくまなくまわりました。
基本的には黒人が多い場所で店の外で踊って客を引き付ける行為など必死な姿を見受けられます。
色々な話を聞きましたが、日本人でも堂々と構えていればいくらでも仲間に入れるチャンスがある街です。
何といっても調べなければならないのは飲み屋です。流行ってそうなバーから必死になって黒人が呼び込みをしているクラブ、オカマバー(これは知らないで流行っているので行ってきてしまいました)
まで行ってきました。
さすがはアメリカでどんなところでも友達になれて様々な話を聞けました。
黒人だけしかいなかったバーで客もあまりいなくて、必死になって踊っているので私も合わせて踊るといっぱい客が楽しそうだなと入ってきました。
しかし、白人はほとんど入ってきません。
また、流行っているオカマバーから先はすべてそういった場所なのですが私が行ったお店は白人しかいない感じです。
勿論黒人も白人もいるお店にも行きましたが、まだ一部でそういった差別があるのかもしれないと実際に行って感じてしまいました。
バーのトイレは凄く汚いです。大のほうは相変わらず扉がないし、ながしてないし、綺麗な場所は手をふく紙をくれるのですが正規の店員である黒人ボーイがつったっていてチップ入れをおいていました。
仕方がないので1ドルチップをを渡しましたが、高いなとは思わないで下さい。
何故ならば千円もあれば十分楽しむことが出来るからです。
高いところでも、二千五百円くらいしかかかりませんでした。
7時30分
ホテルから出発。
相変わらず続く湿地帯も綺麗な湖も霧でよく見えない感じで幻想的な雰囲気をかもし出しています!

9時40分
ミシシッピ州にはいりました。
中国の方と政治について大いに語り合い、お互いの国の悪いところやこれからの世界についてやるべきことの議論を朝からずっとしております。そのなかで非常に必要なことが分かりました。
私は今まで中国の共産党が日本を悪い国にし続けなければ体制を保てないから、いつになっても日本と本当の友好関係になれないのだと思っていました。
これは確かに事実なのですが、考え方が変わりました。
それは日本の国がもっと中国の国民に対して直接何かをしてあげることが必要だということにです。
毎年強制的に何かをしてあげなければならないというものでは勿論ありませんが例えば、現在日本の農家を救うために国がお米などを買い取るシステムがあります。
そして、それは山のようになり保管料もかかるわけです。それをお米が不作の時にだす量ぐらいは残し、直接中国の国民(貧困層)にあげるのです。
そうすれば、日中の国民関係は本当に友好関係になるし、米を多少多めに買い上げる分農家を助けることにもなります。さらには、その農家が地方でお金を使うために地方活性化にもつながります。
補修する必要もない道路を補修して地方活性化を図るより、遥かに良い方向に繋がるわけです。
これからの時代、中国と日本は絶対に手を組まなければなりません。 さらには、これをやることにより中国の民主主義化にも繋がる最高の方法です。
戦争による悪いイメージを今払拭させなければ、中国のなかではずっと、前にもまして日本人は怖いと語り続けられてしまいます。

過去の悪い歴史に対するピリオドをつけなければならない時代が来たのです。
中国に認められてこそ、初めて日本の本当の中立を保てる体制をつくることが可能になるわけです。
但し、この直接中国の国民にアピールする方法は中国政府が反対されてしまえば難しくなってしまいます。実際的に今までもあらゆる技術や物を中国に援助してきたわけですが、それはほとんどの国民が分かっていないようです。
スムーズにはなかなかいかないと思うので、これはこれからの課題とするべきでしょう。

11時40分
ジャクソンに到着。3ドル95セントのチャイナレストランの食べ放題で食事完了!
そういえば、私が乗っているバスのガソリン500リットルが昨日の夜盗まれたそうです。
原油が高騰しているからといって、まさかニューオリンズの駐車場の管理者までグルとは怖いものです。

16時50分
テネシー州メンフィスのホテル到着

アメリカ横断八日目

2008-03-18 10:15:40 | Weblog
今日の宿は窓を開けるといきなり、たくさんのお墓が私達を迎えてくれています。
普通はお墓のとなりにホテルなど作らないはずと思いますが、ここはアメリカ!日本の常識は通じません。
さらにここの近くにまた洋風寿司屋さんがあり、そこの夕食に昨日の夜でかけました。
そしたら、カウンターに無言でお寿司を握っている日本人らしき人が四人ほど、さらにウエイトレスも日本人らしき黒髪のアジア人が多数を占めていました。
悠長な英語で対応しており、さすがだなと思っていたら、最初にサラダが出てきて「サラぁ」
と言ってきて次に刺身が出てきたのですが「・・・」
と無言。
ここで何か味が変だなと思っていたら「ミソスープ」
といって味噌汁を出してきました。
早速飲んだら答えが出ました。
日本人じゃない、、、
白味噌をそのまま溶かした味噌汁を普通出すわけがありません。
アメリカ用に甘くしているといっても不味すぎる。
刺身も、シャリもすべてが日本の寿司屋さんとはかけ離れていました。
これではアメリカ人に日本食は不味いと拒否反応をしめされてしまいます。
まあ、考えようによっては魚達を乱獲されないなと安心できましたが、間違った日本食を欧米人に認識されるのは観光に響くので良いとは思えません。

8時
ホテルを出発
ルイジアナ州は工業も結構栄えています
運河?湾?も大きくアメリカ全土に共通していますが開発をすればまだまだ栄える状況です。

1803年にルイジアナ州はアメリカのものになりましたが、開発が遅れたお陰で自然が残ったそうです。

10時
ニューオリンズへ向け湿地帯が続きます。
そのような土地でも木は生きています。
ちなみに、州の豊かさを図るためには教師の給料をみれば分かるそうです。
ここルイジアナ州は豊かなほうで280万の年収をもらっています。
意外に少ないと思いましたがアルバイトはOKだそうで、びっくりしたのは警察も制服をきてならOKという点です。

治安が良くなるからという理由だそうですが、これは買収されてしまう機会が多くなるような気がします。
他にも意外だったアメリカの点は金持ちでもなく、貧困層でもない人間は一番損をするということです。
貧困層は税金もただ、医療費もただなのに対し、中間層は医療費が高いから民間の医療保険に入らなければなりません。
会社の平均年齢層によりますが1ヶ月4万円近い保険料を払わなければなりません。そのために、働くスピードを調整し貧困層に入ろうとする人間が多いそうです。医療費が高いせいで家を失う人がかなり多いというのが課題といえるでしょう。
あと、現在の日本で問題になっている学生の能力低下問題を解消すべく、アメリカの方針を参考にした方がいいと思ったことは、アメリカでは学生を卒業すると就職する際の初任給が高いそうです。その代わり数ヵ月の能力を図る期間があり、能力不足が認められるとクビになるそうです。ですから、卒業までに必死になって自分の能力をみがくそうです。底力をだすためには参考にすべきシステムだと思います。      10時40分
ミシシッピ川とその橋に到着。ミシシッピ川は泥の川と云われているくらい泥だらけの川です。洪水にも非常に悩まされている場所で、ニューオリンズの洪水は記憶に新しく、略奪の二次被害も激しかったようです。
もうひとつ日本の危機に繋がりかねない事実を知りました。
基本的にアメリカで住宅を買う際は二割の自己資金が必要だそうですが、アメリカの審査が通らないからと日本の銀行の手を借りるケースが多いようです。
何かことがあれば貸してる方が踏み倒されるケースが極めて高いことを気にしなければなりません。

11時15分
違った場所のミシシッピ川の橋を渡り、しばらく進むと緑豊かな牧草地帯や広大な畑が現れ、多数の住宅が並び、さらには石油をその大地から組み上げている装置までもが並ぶまさに何でも出来る大地が続いています。
どうやら、次世代エネルギーになりうるさとうぎび畑のようでした。さすが万事怠りがない!

ここはオークアレイプランテイションという場所らしい。
初夏のような暖かさがあります。
歩くとむしろ暑いくらいです!
15時
ニューオリンズの市街に到着 ビルが建ち並ぶまさにオフィス街といった感じで人も多くどうやらカトリーナの被害がここは少なかったように見受けられます。
ジャクソン広場付近を歩くとチップを貰いたくて子供から大人までが様々なパフォーマンスをしています。
特に黒人の子供が多いことに貧富の差を痛烈に感じました。
ジャクソン広場付近は非常に似顔絵描きの人が多く、油絵までありクレジットカードが使えることに生きるたくましさを感じます。

地元のかっぷくの良い黒人の警察の人と話すことができました。勇気をだせばみんな仲良くなれます。

16時15分
ホテル到着。
ちなみに、ルイジアナ州のニューオリンズは車のナンバーが前はついていません。

アメリカ横断七日目

2008-03-16 09:51:17 | Weblog
ここテキサス州アラモは非常に暖かいです。
基本的にこの季節は半袖で過ごしている人が多く、陽気な人が多いのが特徴な気がします。
まあ、アメリカ人はほとんどが陽気な人かもしれませんが
実は昨日、皆で川下りの舟にのるというので私も乗ったのですが、ほとんどの人がこちらに向かって手を振ってくるのです。何か街全体で観光客をもてなしているのが伝わり、これは日本が外貨を稼ぐために見習うべき点かと思いました。
日本は確かに泊まる旅館とかは歓迎が素晴らしい気がします。(アメリカは日本に比べればサービス不足な気がします)
しかし、街全体が歓迎をしているかは疑問を感じる気がします。
これからの地方は外貨も標的にしなければなりません。
そのためには来た観光客がその街を覚えられるようなサービスを考える必要があると思います。
勿論、街全体で歓迎をするのですから、軌道にのれば観光業以外の人にも何かしらのかたちで還元出来るシステムも考えなければならないので課題は残りますが、、、

7時30分
NASAへ向けて出発。
どうやら、お昼頃に着くそうですが何か食事は間近でとってはならないそうです。
アメリカのカシの求め方はー32÷2+1割がセッシの温度の求め方?です。
エアコンを使えるときに使えそうです。(すいません。ここら辺は全然手抜きの学生時代を送っていたので)
「話を脱線します。私の頭について
実は私の頭はどうやら、基本的なものに疎い体質のようです。
その代わりに自分でいうのもなんですが、これがなければマズイ!とピンチになると驚異の応用力(特に勘)を発揮します。
良い例が宅地建物取引主任者や古美術品商です。
これは、基本である法知識や単語などすべて覚えた上で問題を解くのが常識のようですが私の場合はいきなり、過去問を解いてパターンを読み資格をとってしまったという実績があります。 古美術品の商売でも商売上資本力がない人間や親の代から続いている子供は普通、数年は修行又は買い控えをします。しかし、私の場合いきなり全力で商売をしました。
このように基本の部分を吹っ飛ばしてしまう性質のようです。」

長い言い訳をさせていただきました。「」は飛ばしてください。馬鹿すぎると思われたくなかったので(__)

11時
ヒューストンに入りました。
ここは元々沼地だった場所を埋め立てて作った街だそうですが、なかなかのビルの数です。
しかも規制が甘かったらしくて、どんどんビルができたようで一部の場所にビルが集中していました。一部の場所に集中しているため少し離れるとすぐにいつもの風景に戻ります。
さて、NASAについてですが警備が想像以上に厳しく、入り口で写真を撮られます。
平日は一万人以上が働いているそうで、中には見学のふりして途中でいなくなりスパイ行為を行う人間を防ぐためだそうです。

14時30分
昼食に寿司を含む食べ放題を食べました。
ランチは7・85ドル、ディナー9・85ドルとと意外に安いことが判明しました。ランチは800円くらい、ディナーは1000円くらいです。
味についてですが、アメリカで食べたから美味しく感じてしまったのかもしれませんが、日本の食べ放題とさほど変わらないくらいの寿司を提供していました。米はカリフォルニア米ですが、日本米の種で作っているらしく寿司にしていても酢の味が濃く感じましたが、変わりはそれほどありません。
ただ、驚きだったのはお茶が1杯2ドルもとるのはかなり驚きでした。
日本酒もあるのですが、これも実はカリフォルニア米の日本酒だそうです。
最近美味しい米にこだわらない日本人の方が増えましたが、そのうち安い米ばかりに執着していると本当に美味しいお米がほとんど食べれなくなる時代が来てしまうかもしれません。
私からのお願いなのですが1度でも良いからお値段がはっても最高に良いお米を食べてみてください。
1杯あたりなら5円も変わらないはずです。
本当に美味しいお米を食べれば、日本産のお米のありがたみが分かるはずです。
そして、お米の味の違いが分かるはずです。
現在なら日本米の安くて下のランクくらいの味にカリフォルニア米も近づいてきています。
日本人が米の味が分からないようでは日本の農家を守れなくなってしまいます。
17時45分
ルイジアナ州に入りました。
入った瞬間にウェルカムルイジアナで迎えられ、広い川が見えました。そこから、いつものように広大な草原と森林が続きます。
そのあとは牧草地帯となり牛達が放し飼いにされています。

アメリカ横断六日目

2008-03-15 09:19:18 | Weblog
5時、昨日はテキサスに来たのですが、夕食の時にバスの運転手を我々が傷つけてしまったかもしれないので、朝会ったら英語で「おはようございます。今日も一日よろしくお願いします」
と言おうと考えています。
どのように傷つけてしまったかもしれないと感じたかはバスの運転手はかなりの大柄な人で少し無愛想なのですが、いつもそっと二人分の席を用意してたのにその日に限って一人分の席に座ろうとして、周りの人がそれは無理だよみたいなことを言ってしまい 恥ずかしいから一人で食べるといってしまったのでした。
その事に関して、私も笑ってしまい、非を感じているのです。
ですから、お願いします!と英語で日本人の私が話しかけたいと思いました。

話は変わりますが今私がいるテキサスはちょうど大統領選の予備選挙の真っ只中です。
その雰囲気を感じ取れるよう本日も頑張っていきたいと思います。
8時30分
出発の際にバスの運転手さんに話そうと思ったのですが、よろしくお願いします。という英語はないことに気が付く・
仕方がないのでハワイユーといって握手しながら日本語でよろしくお願いします!と言いました。
テキサス州は日本の1・8倍も面積があります。
大統領選挙の雰囲気を感じることくらいしかできないかなぁーという気分になってきました。
テキサス州は水脈もあり、石油もとれる何でもできる土地です。人口も二千万人住んでおり、アメリカにしては人口が多い都市で、湿度の差が激しい土地です。最近毎日私の神奈川から青森ぐらいの距離をバスで移動しているので距離の感覚がマヒしてきました。
11時30分
少し早い昼食を食べ、トイレに行きました。
するとビックリ大の方の扉がないぃー
アメリカ アメリカ オープンしすぎー!
すいません。取り乱しました。 あまりにもすごい衝撃でしたので、、
幸い私は小でしたが、こういったトイレは意外に少なくはないそうです。

13時
テキサス州の歴史についての映画を見ました。
アメリカの映画ですのでアメリカ寄りの思考でつくられたものですが、私は見ていて非常に違和感を感じました。要するに一度メキシコから奪い取った土地をメキシコが精鋭を引き連れて取り返しに来て砦を守っていたアメリカ軍を全滅させたわけです。
そして、最後メキシコ軍を分散させて将軍を捕らえて命と引き換えにテキサスを手に入れるという内容です。
全滅したアメリカ軍が自分の命を捨てて守ったものだと美化されているわけですが、結局は侵略です。
アメリカ合衆国のハワイも侵略してハワイの王様を追い出したわけですが、これから日本はずっとその場の都合で動くアメリカに追従して良いのか、さらに疑問が残りました。

その映画を見終わっても、まだ、テキサス州です。
見渡す限りの資源豊かな大地が永遠と続きます。勿論水脈もしっかりしてそうです。
日本がきちんとした意見を述べられるくらいの立場をつくること(きちんとした日本独自の防衛力をもって完全な中立国をつくる・現在は日本が守ってもらっているようなことになっていますが実際はアメリカ本土を守るための重要な防衛ラインで核をもつ北朝鮮、中国、ロシアと万が一何かあれば真っ先に米軍基地がある日本が狙われる)に皆様が反対なら、いっそのことアメリカ合衆国日本州になってしまった方がこれから、資源がなくなったときに生き残れるのではと考えてしまいたくなってしまいます。

15時15分
映画の砦であるアラモの砦につく、ちなみにメキシコ軍を打ち破ったのはヒューストンです。

17時50分
アラモよりホテルへむかう。

アラモは軍人がたくさん来ているのですが、すこしだけ義足の退役軍人に話を聞くことが出来ました。