すどうたかなり【須藤教成】~政治家改革~徒歩と自転車にて演説をし、政治について色々な人の話をききながら日本縦断達成!

徒歩と自転車で日本縦断達成!目標は1政治家改革を訴える2政治を中心に広く皆様のこえをきく3その地域の雰囲気を体で感じる

無茶なひと

2009-01-28 21:07:48 | Weblog
階段横の小さなスロープを原付で登るなんて、、、
と思って見てたら案の定下がってました・
激突も少ししてたし。あまりにビックリして激写です。

進退を未だに決せられず

2009-01-26 10:50:05 | Weblog
昨日せっかく非常に行きたい仕事場を誘ってもらえたのですが、今の政治情勢を見ると臨機応変に自由に動きたいので、毎日出席しなければならない、遅刻をしてはならないの仕事場は行くことができません。(私たちの業界ではほとんどが自営業者なのでそういう束縛がないのが常識です。)さらにはせっかく親身に紹介してくれる人にも申し訳がないですし。自分の優柔不断が悪いのですが、、、

犯罪の加害者、被害者

2009-01-25 10:42:24 | Weblog
犯罪というものは加害者がいてその被害者がいます。
昨日はその家族の映画をやっていたようですが、ふと考えると私は高校卒業から10年が経とうとしていました。ちょうど傷害罪の被害届の時効を迎えることになります。高校時代に呼び出されてとか、誰々に殴られたとかそういう話も聞いたことがあると思いますが、この犯罪もようやく、被害届を出されなければ時効が成立することになるのです。いうなれば、高校三年生(浪人なければ)の二月に受けた傷害で診断書をとっていれば被害届けを出すことも出来るのです。
若気の至りで、では通用しないものですね。

不景気とは何故来るのか

2009-01-24 07:50:53 | Weblog
不景気の理由は要するにその時代にお金をいっぱい持っている人が使わないからくるのだという単純な理由だと思います。
何故ならば、紙幣というのは、わざと国が減らすなどということは、ほぼないからです。
紙幣を燃やしたり捨てたりするひとは極わずかしかいないと思います。
食べる人もほぼいないでしょう。究極の話、紙幣とは紙です。洞窟に閉じ込められれば、何の意味もありません。
私は日本国振興券(枚数限定で販売し、有効期限一年)を強く推奨します。まずは日本の経済活性化!!

祖母の葬儀

2009-01-19 16:02:20 | Weblog
祖母が死亡したその日のうちに葬儀屋をよび、色々と打ち合わせをしましたが、図らずも近い日程で日柄も問題がなかったのは21日が告別式でした。何が図らずもというと、1月21日は祖父の命日だったのです。要するに祖父が迎えにくるわけで、祖母らしい葬儀となりそうでした。しかし、ここでも仕事の事情が出てきそうになりました。葬儀までの時間が短すぎて、父や父の兄の仕事関連の人達を呼べないというものです。
私の要求は戒名を祖父と同列のランクをあげるというものだけでしたが、祖父の命日を外すということにすれば、他の日は通夜と告別式いずれかが友引や仏滅が混じることになってしまうことになってしまいました。
通夜が友引、告別式は仏滅というのは、問題はないそうですが、都合のいい日程はいずれかがそれに該当してしまいます。
友引だけは、よくてもやめようとなりましたが、骨にする釜が21日は午前10時しか空いていません。これでは、朝早すぎて告別式はできないとなってしまいました。ここで23日通夜24日告別式がすべてにうまくいくという理由で本決まりになりそうになります。私は21日にという案をすてたくはなかったのですが、よく考案すれば24日は仏滅。問題はなくても、仏滅に仏を送り出すのは絶対に許せませんでした。
私の我が儘でしょうが、「24日に告別式をやるなら、僕はでない!!」
と今度は私が怒りました。
そしたら、24日派と思われた父の兄の奥さんが山形の風習で(私の祖母は山形の人間でお墓も山形に入ります)告別式は焼いて骨にしてからするという話をしてくれたのです。
何か100万の援軍を得たような気持ちでした。
結局その言葉が決め手となり、祖父の命日に祖母を送り出すことが可能になりそうです。
葬儀は祖母にとって一番良い結果であったのか 私が死んだときに問いかけたいと思います。

祖母の死

2009-01-19 16:00:49 | Weblog
祖母の体調が急変してから、わずか二日で(正確には本日0時を僅かに超えたために三日)死亡してしまった。
私は呼吸器を付けてでもと考えていたが、これは前のブログに書いたような理由で諦めていました。
しかし、せめて本人が頑張っている間は周りが声をかけて励ますくらいのことはしたかったのです。
しかし、それをやると怒られました。「苦しむのが可哀想」
という理由です。納得がどうしても出来なかった。
祖母は看護師がビックリするくらい強靭な心臓で誰の声援も受けずに何度も止まっては動き始めました。苦しんでいるようには私には見えなかった。ただ、頑張っているようにしか、、、
祖母からみた子供達三人全員が自然な状態で頑張らせることに反対をしました。私の名前をつけてくれたのも祖母と祖父だし、自宅から30秒くらいの場所に住んでいたので元気な頃はしょっちゅう会いに行き(特に幼少のころは私一人で泊まりに行ったりしてました。)生活をしていたので、少なくとも祖母の性格はわかっているつもりです。死の直前まで諦める人ではありません。声を出すと怒られるので、ただ、手を握っているしか出来ませんでした。私は悔しさと悲しさがおりまじり、涙がとまりません。せめて、手で応援しよう。せめて、死を迎えるまで何があろうと寂しくないように手を握ってやろう。そう思ってひたすら握っていました。最初に心臓が止まってから、どれだけの時間が過ぎたのだろう。一時間以上は心臓が何度もとまり、呼吸も何度もとまっては動き出しました。そのたびに手で私に諦めない大切さを教えてくれているようでした。そしてついに、、、私の中で美味しい料理(旅館を営んでいたのでプロも合わせ)ナンバーワンも祖母でし
た。私の料理判定の基準になったともいえます。
身内のなかで一番好きな存在でした。私の人生の中で一度も不満を持たせなかった人でした。(何でも買ってくれるという存在ではなく、自ら作ってくれました。勿論私もねだったことはありませんが)

最良の手段とは?

2009-01-18 09:51:14 | Weblog
私はどうすれば良いのでしょう?今日カラクリに気付いてしまいました。
延命装置(二酸化炭素放出)を取り付ければ、心臓が動く間は生きていけるが、この先ずっと酸素吸入と二酸化炭素放出を続けなければならず、おそらく、莫大な金がかかることや不自由な生活をおくることに父やそのきょうだいが恐れているのだと思います。
延命装置をつけずに(体の二酸化炭素が増える。増えすぎると危険)命がもつ間、抗生物質が効けば、一番普通の人として生きていけることになるわけです。
要するに抗生物質を投入出来る期間が長くなる代わりに一生が不自由になるか、抗生物質が投入出来る期間短い代わりに快適に生活できるようになるか。
どちらを選ぶのが正しいのか。
私にはわからなくなってしまいました。
私は孫として、どんなかたちであれ、生きてほしい!こういった考えですが、不自由に苦しみ続ける祖母という観点では強く主張出来ることでもありません。
ましてや、祖母の子供達である父やその兄、姉は延命装置に反対しているのです。
孫としてどうすれば良いのか?

正直辛いです。

そういえば、昨日の夜中から、ナースは忘れ物するし、今日は点滴落とすし本当にいい加減です。
今朝呼吸器を外して顔を拭いておりましたが、まさか呼吸器が外れてたって、外したのを忘れてたんじゃないのか?って気分です。

祖母が危篤

2009-01-17 16:34:05 | Weblog
私の祖母は腰を痛めてしまい、11月から入院しておりました。
そして、今月に入り、新年の挨拶をしたときも普通に元気でした。病院からは、もう調子が良くなってきてるので、退院をしてほしいとまでいわれていました。ところが、一週間ほど前に急に肺炎にかかってしまったとの報告を受けて、急に悪い状況に陥ってしまったのです。私は前から担当医師について良い印象を持っておりませんでした。見かけはロン毛で髭をはやし、いかにも今時風の若者といった感じで検診も凄まじい位のサッとしたような適当なものなのです。何やら、定期検診の時も外来患者と一緒にされたようで明らかな院内感染といった感じでした。これだけで許せない気持ちだったのですが、15日に酸素吸入をしなければならないような状況にまで陥ってしまい、今日は朝方に酸素吸入器が外してしまったようで危篤状態に陥ってしまったわけです。

私の父やその兄弟はその先生の言う、入院する前から肺炎だったなどという言葉を信じてしまっています。
ですが、そんな状況なら何故退院させようとしたか?
明らかに矛盾しています。
私は孫として父達を差し置いて病院を怒ってはいけないのでしょうか?
もうわけが分かりません。