伴奏音楽もない状態での130分はさすがに疲れるが・・・それでもやっぱり面白いのである。
第一回アカデミー賞の作品賞受賞作で、アカデミー史上において作品賞を受賞した唯一のサイレント映画。
最大の見所は空中戦シーンである。大迫力。「アビエイター」の「地獄の天使」の撮影シーンのように、実際に全ての飛行機にカメラをつけて撮影したのだろう。
特撮も当時にしてはリアル。(酔っ払いの描写でシャンパンのグラスやビンからアニメの泡が立ち上るところなど、微笑ましい)
内容的には、パイロットを"勇者"と称え、アメリカ愛を高らかに宣言する人たち、ドイツ軍(ストーリーは第一次大戦の設定なのでナチではない。また撮影された年にはまだナチス政権はできていない)VS連合軍の単純明快な図式。国策映画のにおいがぷんぷんと漂う。
ドイツのエースパイロットと主人公の空中戦において、主人公のマシンガンが故障し発砲できなくなったと知ると、ドイツのパイロットは一礼して攻撃を止め去っていく。「空軍にも騎士道精神があったのだ」みたいな字幕。
戦争賛美ではないまでも、戦争を肯定し戦争に協力する映画には違いない。
それでも、この映画は戦争のかっこいい面、美しい面ばかりを並べた、単純な戦意高揚映画とはなっていない。
戦闘描写がリアル。銃撃されたパイロットが口から血を吐き絶命する様をはっきり写したり、クライマックスの大戦闘においては、地上戦でバタバタと死ぬ兵士、戦車につぶされる兵、逃げ惑うドイツ兵を空からのマシンガン掃射でほとんど「虐殺」と呼んで差し支えない殺し方をする様など、戦争の凄惨さもたっぷりと描いている。
そして、ドイツの飛行機を奪って基地に帰ろうとする主人公の親友を、主人公がそうとは知らずに撃墜するもっとも悲しいシーン。
悲惨な同士討ちを描いた映画は、最近でも「7月4日に生まれて(オリバー・ストーン)」「戦火の勇気(エド・ズウィック)」などがある。そしてそれらの映画と同じように、「つばさ」でも戦後、主人公が殺してしまった親友の両親を尋ね、謝罪するシーンがある。両親への謝罪は「7月4日~」でも「戦火の勇気」でも感動的なシーンとして映画の終盤に用意されていた。ただ「7月4日~」でも「戦火の勇気」でも、両親の言うことは同じで、何をしても死んだ息子が帰ってくる訳ではないという悲しみと怒りをぐっとこらえ、息子を殺してしまった主人公を許すのである。「つばさ」も基本的には同じパターンであるが、ただし親友の母親がはっきりとこう言うところが最近の同士撃ち映画と一線を画す
「悪いのはあなたじゃない。戦争が悪いのよ」
前にキネ旬で佐藤忠男氏だったかが、「二十四の瞳」について、「ラストで戦死した生徒を思って大石先生が泣くシーンで観客も涙を流すが、ここでは大石先生も観客も生徒が戦場で何をしてきたか全く分からないからこそ泣けるのだ」という主旨のことを書いていた。なるほどね~、と思ったが、その点で「つばさ」は死んだ人が戦場で何をしてきたかがよく判り、かつラストは泣ける。
そうはいっても、反戦メッセージは戦闘シーンのかっこよさにかき消されてしまうという反戦映画のジレンマを最も典型的に示している映画とも言える。
それに、戦争を称えたり、美化したり、リアルに撮ったり、否定したり・・・企画意図とか制作思想の統一感がないように思える。
予想だが、監督も脚本も撮影しながら次々と変わっていったのではないか?
またこれも予想だが凄惨な戦闘描写や戦争否定発言は、当時は存在したであろう検閲によって初公開時にはカットされたかもしれない。
検閲によるカットが想像できるシーンがふたつ。
中盤、休暇先のパリのシーン。主人公の幼馴染が酔っ払った主人公を介抱するコミカルなシーン(ここも、他のシーンと比べて、トーンが全く異なっており、戦闘シーンと同じ監督・脚本家によるシーンとは思えない)
つぶれた主人公を尻目に女の子が着替えを始めると、MPが部屋に入ってくる。
このとき、女の子の胸が映る。一瞬だがニップルも映ったように見えた。当時、こういう描写が許されていたのか?(こういう映画は海外の兵隊の慰安用に使う場合もあるだろうから、そのためのサービスショットなのかもしれない)
終盤。前述の同士撃ちのシーン。
墜落した飛行機に乗っていたのが親友と知り、息も絶え絶えな親友に泣いて許しを乞う主人公。親友は民家に担ぎこまれ、民家の住人が見ている前で、主人公と親友が語らう。
泣いて謝罪する主人公と、許す親友。2人の顔が近い。そして最後には2人がキスをする。するとカットが変わりウッと顔をしかめる(ように見える)民家の女住人。
ここは明らかにホモセクシャルを描いているように感じた。
男2人のキスの部分さえカットすれば、女主人の表情は「2人を哀れんでいるような表情」として映っただろう(クレショフ効果)
第一回アカデミー賞の作品賞受賞作で、アカデミー史上において作品賞を受賞した唯一のサイレント映画。
最大の見所は空中戦シーンである。大迫力。「アビエイター」の「地獄の天使」の撮影シーンのように、実際に全ての飛行機にカメラをつけて撮影したのだろう。
特撮も当時にしてはリアル。(酔っ払いの描写でシャンパンのグラスやビンからアニメの泡が立ち上るところなど、微笑ましい)
内容的には、パイロットを"勇者"と称え、アメリカ愛を高らかに宣言する人たち、ドイツ軍(ストーリーは第一次大戦の設定なのでナチではない。また撮影された年にはまだナチス政権はできていない)VS連合軍の単純明快な図式。国策映画のにおいがぷんぷんと漂う。
ドイツのエースパイロットと主人公の空中戦において、主人公のマシンガンが故障し発砲できなくなったと知ると、ドイツのパイロットは一礼して攻撃を止め去っていく。「空軍にも騎士道精神があったのだ」みたいな字幕。
戦争賛美ではないまでも、戦争を肯定し戦争に協力する映画には違いない。
それでも、この映画は戦争のかっこいい面、美しい面ばかりを並べた、単純な戦意高揚映画とはなっていない。
戦闘描写がリアル。銃撃されたパイロットが口から血を吐き絶命する様をはっきり写したり、クライマックスの大戦闘においては、地上戦でバタバタと死ぬ兵士、戦車につぶされる兵、逃げ惑うドイツ兵を空からのマシンガン掃射でほとんど「虐殺」と呼んで差し支えない殺し方をする様など、戦争の凄惨さもたっぷりと描いている。
そして、ドイツの飛行機を奪って基地に帰ろうとする主人公の親友を、主人公がそうとは知らずに撃墜するもっとも悲しいシーン。
悲惨な同士討ちを描いた映画は、最近でも「7月4日に生まれて(オリバー・ストーン)」「戦火の勇気(エド・ズウィック)」などがある。そしてそれらの映画と同じように、「つばさ」でも戦後、主人公が殺してしまった親友の両親を尋ね、謝罪するシーンがある。両親への謝罪は「7月4日~」でも「戦火の勇気」でも感動的なシーンとして映画の終盤に用意されていた。ただ「7月4日~」でも「戦火の勇気」でも、両親の言うことは同じで、何をしても死んだ息子が帰ってくる訳ではないという悲しみと怒りをぐっとこらえ、息子を殺してしまった主人公を許すのである。「つばさ」も基本的には同じパターンであるが、ただし親友の母親がはっきりとこう言うところが最近の同士撃ち映画と一線を画す
「悪いのはあなたじゃない。戦争が悪いのよ」
前にキネ旬で佐藤忠男氏だったかが、「二十四の瞳」について、「ラストで戦死した生徒を思って大石先生が泣くシーンで観客も涙を流すが、ここでは大石先生も観客も生徒が戦場で何をしてきたか全く分からないからこそ泣けるのだ」という主旨のことを書いていた。なるほどね~、と思ったが、その点で「つばさ」は死んだ人が戦場で何をしてきたかがよく判り、かつラストは泣ける。
そうはいっても、反戦メッセージは戦闘シーンのかっこよさにかき消されてしまうという反戦映画のジレンマを最も典型的に示している映画とも言える。
それに、戦争を称えたり、美化したり、リアルに撮ったり、否定したり・・・企画意図とか制作思想の統一感がないように思える。
予想だが、監督も脚本も撮影しながら次々と変わっていったのではないか?
またこれも予想だが凄惨な戦闘描写や戦争否定発言は、当時は存在したであろう検閲によって初公開時にはカットされたかもしれない。
検閲によるカットが想像できるシーンがふたつ。
中盤、休暇先のパリのシーン。主人公の幼馴染が酔っ払った主人公を介抱するコミカルなシーン(ここも、他のシーンと比べて、トーンが全く異なっており、戦闘シーンと同じ監督・脚本家によるシーンとは思えない)
つぶれた主人公を尻目に女の子が着替えを始めると、MPが部屋に入ってくる。
このとき、女の子の胸が映る。一瞬だがニップルも映ったように見えた。当時、こういう描写が許されていたのか?(こういう映画は海外の兵隊の慰安用に使う場合もあるだろうから、そのためのサービスショットなのかもしれない)
終盤。前述の同士撃ちのシーン。
墜落した飛行機に乗っていたのが親友と知り、息も絶え絶えな親友に泣いて許しを乞う主人公。親友は民家に担ぎこまれ、民家の住人が見ている前で、主人公と親友が語らう。
泣いて謝罪する主人公と、許す親友。2人の顔が近い。そして最後には2人がキスをする。するとカットが変わりウッと顔をしかめる(ように見える)民家の女住人。
ここは明らかにホモセクシャルを描いているように感じた。
男2人のキスの部分さえカットすれば、女主人の表情は「2人を哀れんでいるような表情」として映っただろう(クレショフ効果)