ぼちぼち スウェーデン

スウェーデンで見たこと、聞いたこと、考えたことを、同時代に生きるみなさまとシェアーを!

再び寿司ランチ 

2010-11-11 | 人々のくらし

所用のため、街に出かけた。Hötorgetにあるグルメ市場の近くである。そこに寿司屋があるという事を思い出し、地下へ降りた。なんだか寿司が続くこの頃である。

ここの寿司飯は悪くない。かなりしっとりとしている。日本人マスターの話によると、お米を研いでから一晩冷蔵庫で寝かすのが秘訣だそうだ。こちらで売られているお米は、水田ではなく乾田栽培なので、米粒に含まれる水分が少なく、炊きあがりはどうしても粘りが足りない。それゆえの工夫だそうだ。

 鮭の皮側をさっとあぶり、それにほんの少しマヨネーズをたらし、刻んだ玉ねぎをちらして食べるにぎりは始めてであった。なかなかいける。それにサービスの味噌汁のだしも良い。開店して3年になり、スウェーデン人の常連が随分出来たそうだ。 

マスターの話によると、先週わたしが行った「清香園」は、韓国人の経営ではなく、今は日本人だそうだ。その人は寿司屋「Roppongi」が当たり、その儲けで、中国人の手に渡っていた「清香園」を購入し、改修したのだそうだ。 

だれがどのような店をもつかは、国籍や民族性によるのではなく、単純に財力によるらしい。つまり、お金があればどんな店でも入手が可能となるのだ。考えてみたら当り前だよね、これ。

 

 思い出のグルメ市場 

ずっとずっと前、街に近い所に住んでいた頃は、この市場によく来ていた。それで、懐かしくぐるりと一周したが、なじみの顔は、アラブ人でラム専門店の経営者ひとりだけであった。そりゃそうだ、郊外に引越したため、ここに頻繁に買い物をしなくなって20年ばかり経っている。 

60年代には、寿司や刺身用の魚を買いに行く人間は限られていた。スウェーデン人はまだ、生のさかなを食べると聞くだけで、鳥肌がたった時代である。ある魚屋には、仲良しの2人の若い兄さんがいた。彼らは 日ごろ魚を売り、休みになると魚釣りにでかけるという、魚なしに生きられない人たちであった。 

当時から、生の魚の味もちゃんと知っていた。店の前を通りかかると呼び止めて、マグロを地下の冷凍庫から出してきてくれた。当時、マグロはなかなか手に入らず、いちげんさんには通用しない特別サービスであった。 

エジプト人が出している店先に柿があった。今ならいくらでもスーパーで売っている柿が、どこにもなかった時代である。「あ、これ日本語でKAKIというのよ、懐かしいわ」、というと、彼は怒りだして「KAKIはエジプト語だ。カキはエジプトが原産地なんだ」とがんがん言い出した。お互いに 譲らず、言い合いが続いたのも懐かしい思い出だ。

それにしても、柿がよほど珍しかったからなのか、暇だったからなのか、なにが理由で時間とエネルギーを費やしたのだろう。 もし、変形した愛国主義なのだったら、自分はけっこう月並のつまらない人間なのだということを認めるしかない。 

歩いているうちに鳥屋の前を通りかかった。ついでだから、鳥の手羽を買う。近所のスーパーから手羽が消えてから久しい。安いものなので場所をとるだけで利益がうすいからかもしれない。これを中華風に、まず軽く油でいためて、生姜、醤油、白腐乳(発酵した豆腐だと思う)、好みで唐辛子を少し加えてことこと煮ると美味しい。 

手羽の横に、なんと鳥の足の部分が置いてあるではないか。始めてみたのでおどろいた。料理法を聞いてみると、まず茹でてから、スパイスを加え、さらにオーブンで焼くのだという。「へえー、新しいスウェーデン料理なの ね」というと、「いやー、そこの中華料理店で食べたよ」とおっしゃる。う~ん、中華をオーブンで? 飲茶で出るのは、仕上げは蒸してあると思うけど・・。ま、美味しいければどうつくってもいいでしょう。

食べ物の嗜好はグローバルなレベルで変わりつつあるようだ。


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