12月半ばからは行事が多くなり、24日がクライマックスとなる。スウェーデンはクリスマスでもイヴを祝うので、23日は日本式に言えば大晦日となる。
12日は第3アドベントの日。クリスマスまであと、2週間足らずとなる。
第2~3アドベントの2週間は、人々は樅(もみ)の木の下に置くプレゼントを買い求めるので、街中、人出でにぎやかになる。
翌13日は、ルシア祭。一年の内、一番暗い時期にはうってつけの行事だ。この日の朝、病院や、学校・保育所、高齢者施設などをルシアの行列が訪問する。コーヒーとサフランパンをふるまってもらい、彼らの歌うクリスマスの歌を楽しむ。
ルシアの一行は白い長いパジャマのようなものを身につけ、頭にローソクを飾りつけ、手にも持っている。そんなことは知らない外国からの旅行者が、真っ暗な路上でルシアの行列に出くわすと、あの世から幽霊が出てきたと驚くことがよくあるらしい。
クリスマスとお正月の間の数日間、休みをとる人が多い。すると、24日~1月1日(今年は2日が日曜日だから1日プラス)まで、かなり長い連続休暇となる。
一年の最終日である31日は、12時の鐘を待ってシャンペンなどで新しい年の到来を祝う。元旦は祭日だから二日酔いをさまし、2日からは平常通りに働く。
11日の金曜日は、恒例のノーベル賞の祭典がノルウェーとスウェーデンで行われた。平和賞の授賞式は伝統的にノルウェーで行われるが、この賞の受賞者に関しては、「どうしてこの人が??」と疑問詞が付く年が多々あるが、今年はマトモな選択であったと思う。
受賞者の椅子が空席なのが印象的だった。ノーベル賞委員会委員長の演説はかなり直接的で、劉氏、のもつ基本的人権を指摘した。そして、この北欧の小国が、強い言葉で大国中国を説教した。冗談半分として言うが、ノルウェーはいま石油があるから強く、国として自信のある行動がとれるのかもしれない。
むかしまだ、オロフ・パルメが生きていた頃は、スウェーデンも「世界の良心」の役を担っていた。この小国の首相が、アメリカのベトナム北爆を真っ向から批判し、抗議デモ行進の先頭に立った。70年代は、もうそんな昔のことになってしまったのだろうか・・。
現在は、アメリカの先棒を担ぐ一小国と見られているようだ。スウェーデンがウィキリークスの代表者アサンジュをセクハラで訴えたのは、かなり懐疑的に受け取られている。むしろ、本当の目的は、彼を国賊と仕立てたいアメリカに身柄を引き渡すためと、みる向きは多い。アサンジュ自体、それを恐れているのが何よりの証拠だ。
「世界の良心」国から、アメリカの「岡っ引き」国になってしまっているかに見える現状を、ここに暮らす一員として残念に思うこの頃である。
ところで、土曜日の11日には予想外の出来事が起きた。アラブ系の男性が街の中心地で自爆したのだ。路上ではなく、どこかデパートとか、中央駅とか、人の沢山集まる所で自爆するつもりだったのだが、誤って早く爆発させてしまったのではないかと推測されている。直前に、車も一台爆発させている。死者は本人だけで、他の人を巻き込まないですんだ。
現在、スウエーデンにおける、初めてのテロ行為だと国中大騒ぎだ。
自爆した男性は、ラーシュ・ヴィルクス(ブログ「時の人:ラーシュ・ヴィルクス」をお読みください)と、スウエーデンのアフガニスタン派兵などを批判し、アラブ人よ、立ち上がれと呼びかけている。
これにより、かねてから問題視されているアフガン派兵が真剣に討論されるだろう(PS:されないどころか、国会は多数決で派兵期間を延長した)。そしてまた、イスラム系移民に対する風当たりも強くなるかもしれない。それに、外国人排斥を主眼とする政党、スウェーデン民主党が喜び、さらに支持者が増えるかもしれない。
今年は憂鬱なニュースで終わりそうだ。
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