昨日のブログで、国の」「愛国民心」のことに触れた。今日はそれを続ける。
日本の歴史を、わたし自身の人生の長さに限るタイムスパンで話をしよう。わたし自身が生き証人となれるからだ。
わたしの記憶にある限り、日本人はずっとお国に奉公してきた。例えば、わたしの父親は、1938年生まれの私の誕生直前、赤紙により召集されて、旗を振られて出征していった。以来、3回の短期一時帰宅はあったが、終戦後、1945年に最終的に帰宅するまで10年以上の間、お国のためにアジア全域で闘った。終戦時には満州でロシア軍の捕虜になり、無事に帰宅した後も、「早く、早く」など、片言のロシア語が話せたのを覚えている。時々、自分の失われた10年を返してほしい、とぼやいていた。国民が「愛国心」をもち、国のために命を投げ出すのは当然とされた時代であった。
今回の東北震災に続く一連の出来事をフォローしながら考えるのは、日本の国民は国に愛されているか、大事にされているかと、ということである。もし、国が住民を大切に思っているのなら、天災国日本で、非常時には水や食料品などを、迅速に支給するなどはじめ、住民の生活と安全を守るシナリオが当然、前もって用意されているはずだ。
東京都の一部が、非常時にそなえ、毛布や暖房具等などを常備しているのをインターネットで見たが、どうもそれは例外的な措置のように見受けられた。国の規模でそれがみられないというのは、大きな驚きである。隣の人たち同志が助け合うしか手段がないというのは論外。国はなんのためにあるのか。「国民あっての国・国あっての国民」の関係ではないのか。
今回の災害が大きいのは、地震、津波、原発事故と予想外の出来事が重なったと言えるかも知れない。しかし、予想外の出来事に備え、あらかじめ住民を守る配慮をするのが国の当然の役目であろう。国民は「愛国心」を期待され、それに応えるのは当然とされているが、国が国民を守る「愛国民心」は問題視されていないようだ。
民主主義の国では、国とその住民の関係は、持ちつ持たれつの平等な互恵関係にあり、専制国体制では、国民の忠誠心のみが問題にされると、前にどこかの社会学者が書いていたのを思い出した。
誤解のないよう付け加えるが、なにも管政権を批判しているのではない。ここで問題にしたいのは、いままでの日本国家の在り方である。戦場を駆けめぐり、空襲に苦しんだあとは、「経済大国」つくりに尽力をつくした国民も、このあたりで大切にされる時が来てもよいと思う。今回の災害を契機に、国家、自治体、全政党レベルで一体となり、災害対策のインフラを構築すべきであろう。民主主義の国らしく、住民を愛し、市民生活を守ることを真剣に考える期は熟している。
「天災」は避けることは難しいが、「人災」により被害が倍増することもあることに留意すべき。ふだんから、きちんとした災害対策がたてられており、原発所の安全管理が行われていたら、これほどの被害にならなかったはず。民主主義国家で、経済大国でもあるこの国のあり方を、日本人の一人として、心ひそかに恥ずかしいと思っている。
ブログを拝見しました。毎日、日本は大変な状況ですが、みんなで助け合って頑張っています。過度なパニックにならず事実を受け入れ、秩序正しく生活を続ける姿に、私たち自身も驚いています。ストックホルムに在住との事で、是非ともこの日本の我慢強い国民性もお伝え頂ければと思います。非常時ですが日本は冷静に対処しています。
下記、興味深いのでお送りします。
◎時系列で可視化された日本列島の地震マップ
http://www.japanquakemap.com/
→3/11の2:46の地震は爆発のようです。
その後は、夜昼に関係なく地震が続き、まるで戦時中のようで、
それが昨日あたりまで続きました。
失礼します、、、
コメントありがとうございました。
おっしゃるように、日本人はがまん強さでこれまで色々な困難に耐えてきたと思います。それはこちらのメディアでも伝えられています。
昨日も、社会が混乱するとかならずといっていいほど出現する泥棒などが今回の日本では見られないと報道していました。
そのようは美徳の国でも、きちんとした災害対策があっても悪いとは思いません。我慢強い、自律精神があるなどのせっかくの美徳が、国が国民を守る義務を怠る理由になってはならないと思います。