『切手市場』 慎之介ブログ

慎之介がお届けする切手市場とその他の耳よりな情報です

富沢町界隈の郵便史

2014年12月29日 | 慎之介
皆様こんばんわ。慎之介です。
新年の切手市場は会場が1月3日(土)は休業のため1月10日(土)に開催です。いつもと違う第2土曜日の開催ですのでご注意下さい。かつて慎之介ショップで販売していた戦前の葉書類を眺めていると日本橋界隈が問屋町だったこともあり数多くの商家差出の葉書が見付かり楽しんでいます。今でも隣町の横山町や馬喰町、東神田の繊維問屋街は有名で毎年祭の時期になると飲食の屋台に混じって洋服問屋がファミリーセールをしたりします。
 
左の画像まずは消印の話題から入りましょう。左の「貯めよう!勝たう!/大阪天満18.2.26/時刻空欄」は北海道で昭和17年から先行して始まっていた資材節約のための機械印時刻表示空欄型の全国化初期印影です。地域によっては2月10日台のものも見ます。この機械印の特徴は押印中に空欄部に月日の活字がすべり落ちるアクシデントが多発するため時刻欄には古い年号などの廃活字を逆さまに取り付けてツッカイ棒にしている部分です。このよな初期の段階から〒マークの上部に活字痕が見られるのは最初からずり落ち現象を理解していた事がわかり、また機械印活字部の構造を把握するのにも役に立ちます。
右の「偲べ戦線求めよ國債/日本橋16.2.27前8-12」の印影はその2年前の時代、差出人に注目すると東京市日本橋区大伝馬町二丁目とあります。中央区の前身である日本橋区の名称は明治11年の郡区町区編制法の施工時からで東京府下15区6郡が置かれた中の1つです。明治22年5月1日東京市成立、昭和18年7月1日の東京府・市が都に移行する時点では35区になっていました。この大伝馬町2丁目は関東大震災以降の位置名称で昭和40年からの住居表示実施で日本橋大伝馬町や近隣の町名に整理されました。もう一つ注目したいのが電話番号に併記された局名が「浪花4062番」となっているところで、こちらは東京中央電話局浪花分局のことです。至近に並んでいた茅場分局と併せて現在の小川橋交差点付近にあるNTT茅場兜営業所へと姿を変えていきます。この分局が建っていたのは綿商会館と同じ日本橋富沢町の1番地であり、昭和55年まで浪花町という町名だった部分です。
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