プロコフィエフの日本滞在日記

1918年、ロシアの若き天才作曲家が、大正期のニッポンで過ごした日々

マクスの思い出

1918-05-21 | 日本滞在記
1918年5月21日(旧暦8日)

 驚くほどはっきりとマクス・シュミトホフ〔青年時代の親友〕の夢を見た。彼とは長いつきあいだった。彼の姿を見ているのが嬉しくて、消えてしまうのではないかと不安だった。だが、目が覚めるとマクスは消えていた。彼がピストル自殺してからもう五年。つい最近、ソナタ四番を彼に捧げたが(初版第一楽章への献辞として)、マクスの思い出はすべて消えていき、はるか遠くに離れていった。今再び、彼がこの世にいないことが鋭く胸に突き刺さる。

 ここの緑と青い山々は驚くほど華やかだ。こんな艶やかさは、原生林でしか見られないという。

ヴラゴヴェーシェンスク

1918-05-20 | 日本滞在記
1918年5月20日(旧暦7日)

 一日がだらだらと過ぎていく。旅も十三日目となると疲れてくる。肉体的に疲労するというより、やる気がしないのだ。
 ブラゴヴェーシェンスクを通り過ぎた。どこまで行ってもステップの単調な眺めが続く。

 ペトログラードのニコライ・ヤーコブレヴィチ・ミャスコフスキー〔作曲家、1881-1950〕へ。

「愛しいニャムチク、ありとあらゆる憲兵どもの元締めとして名高いアルハーロフの生まれ故郷からこの手紙を書いています(アメリカへ行くには、どんな場所でも通るのです)。あしたはハバロフスクに、その三十時間後にはウラジオストックに到着します。愛をこめて抱擁を贈ります。聖ニコライの日おめでとう。オーケストラの行進曲の作曲、編曲がうまくいきますように。あなたのS.P.より」

春の香り

1918-05-19 | 日本滞在記
1918年5月19日(旧暦6日)

 春の香りがした。北の遅い春の香り。私は春の香りが好きだ。木々が茂る鮮やかな緑にまじり、ところどころ白樺で真っ白になった丘の間を鉄道は走る。列車の窓からとはいえ、春をほんの少しでもつかまえられたのが嬉しい。さもないと、アメリカへの旅でせかせかしていて、大好きな季節に気づかずに過ごすところだった。九月のアルゼンチンの花咲く大草原で、春に会えることばかり楽しみにしていた。

南へ

1918-05-18 | 日本滞在記
1918年5月18日(旧暦5日)

 這うようにのろのろと走るので疲れてきた。そのうえ、四号室のひっきりなしに続くおしゃべりがうるさく、スペイン語と『彷徨う塔』〔日本滞在中に書きあげる短編小説〕に集中できずに腹が立つ。

 今日はかなり北上して、リャザンと同緯度まで達したが、それもここで終わりだ。これ以上、北には行かない。これからはブエノスアイレスまで、ひたすら南下だ。

芸者衆の噂

1918-05-17 | 日本滞在記
1918年5月17日(旧暦4日)

 今日はアメリカ軍の迂回路線に入り、美しい丘陵地帯をのろのろと進んでいった。

 嬉しい知らせだ。ウラジオストックでは、日本円が2ルーブル70カペイカだという。そんなことは想像だにしなかった。となると私は二千円――つまり千ドル持っていることになる。たいした金持ちだ。これならどこにも止まらずにブエノスアイレスまで行ける。

 隣りの乗客がウラジオストックにいる日本のゲイシャ連をほめちぎっている。「とても親切」だそうだ。


チタ駅

1918-05-16 | 日本滞在記
1918年5月16日(旧暦3日)

 気分が落ち着かない。遠く長い旅に出て、神経がたかぶっているようだ。だがみな過ぎたこと。そんなことで考えこむのは馬鹿らしい、と自分自身に言い聞かせる。
 チタ第一駅、チタ第二駅。最初の駅でコーシツ〔ニーナ・パーヴロヴナ、オペラ歌手、のち米国に亡命。1894-1965〕からの電報が届いているか尋ねたが、来ていなかった。次の駅では思いにふけり、うかつにも聞きそびれた。だがそれもこれも、どうせ電報なんか来るわけない、と思っているからだ。私は旅立ち、ニーノチカ〔コーシツ〕は残った。そのほうがよかった。彼女といると押しつぶされそうだ。

 ペトログラードのB.N.〔ボリス・ヴェーリン、詩人で青年時代の友人〕へ

「親愛なるアメーバ君、僕はバイカルの感慨覚めやらぬままチタに向かっている。アンガラ川の岸辺沿いをゆき、穏やかで、陽光を浴びて空色に輝き、雪を頂く山々に囲まれたバイカル湖に突然接近した時は、強い感銘を受けた。九日間の旅にも疲れを感じていないし、あたりは平静です。イルクーツクで特急が終わってしまったけれど、申し分のない一等車に乗り換えた。満州はカザーク軍に占領されているため、スレチェンスクとハバロフスクを経由していくことになる。二日余計にかかります。抱擁をおくる。S.」

バイカル湖

1918-05-15 | 日本滞在記
1918年5月15日(旧暦2日)

 早朝、イルクーツク。特急列車から普通列車の一等席に乗り換えた。とはいえデンマーク使節団と相部屋のコンパートメントは、広いうえにかなり安い。すぐに絵のように美しいアンガラ川の岸辺すれすれに沿って進む。そこに沈んだ勇者たちの亡骸といえども、この川の冷たく澄みきった水を濁らせることはなかったのだ。しかし、思いがけなく現れた絶景は、アンガラ川河口近くで突然目の前に広がったバイカル湖だった。

 陽を浴びて空色に輝き、どこまでも広く、残雪を頂く山々に抱かれたバイカルは魅惑的だった。