プロコフィエフの日本滞在日記

1918年、ロシアの若き天才作曲家が、大正期のニッポンで過ごした日々

ウラジオストック

1918-05-23 | 日本滞在記
1918年5月23日(旧暦10日)

 鉄道の旅、十六日目にして最後の日は、のろのろと過ぎていく。午後八時、ウラジオストックに着くとすぐに、賑やかなアメリカ風の数階建ての駅舎に降り立った。町は人で溢れていたが、私と隣席のモスクワ特派員は、なかなかいい部屋をとることができた。私は早速、手持ちの書類の効力を試そうと、電話をかけてみた。ドゥケルスキーは日本にいるが、かわりに地元最大の新聞社の編集者がすこぶる親切そうなので、その晩は彼のもとを訪ねる。

 日本行きの船は明後日になりそうだ。海外渡航の手続きはけっこう簡単なのだが(ロシアでは散々おどかされたのに!)、円が、円が……なんと2ルーブル70だったのが今や4ルーブル。またしても貧乏になった。