プロコフィエフの日本滞在日記

1918年、ロシアの若き天才作曲家が、大正期のニッポンで過ごした日々

日本領事館

1918-05-24 | 日本滞在記
1918年5月24日(旧暦11日)

 最初の訪問――ビザをとりに日本領事のもとへ。このタチの悪い形式主義者ときたら、ビザの取得に五日もかかるという。日本人はロシアからボリシェビキやドイツのスパイが来るのを懸念しているのだ。領事いわく「おわかりでしょうが、そんなに簡単にビザを出したらビザの意味がないでしょう?」私が書類やら何やらを盾に強く言い張ると、ここで長々と話しているより、ビザに必要な写真を今のうちに撮りにいったほうが早いですよ、と領事はのたまう。この言い草は大いに不満だったが、スピード写真を撮りにバザールに出かけた。というわけで、水曜まで五日間ウラジオストックに足止めだ。キスロヴォーツクを出る時すでに、この旅は一筋縄ではいかないと予期し、トラブルにあっても冷静さを保ち、気を悪くしないと心に決めていたので、怒ってはいない。

 ウラジオストックは実に活気のある町で、カフェーが多く、そこにはペトログラードの人間がすっかり忘れてしまったような品物が溢れていた。ケーキにチョコレートに甘食パン、それに、本物の真っ白な、ダイヤモンドのようにサラサラの砂糖も好きなだけ手に入る。