プロコフィエフの日本滞在日記

1918年、ロシアの若き天才作曲家が、大正期のニッポンで過ごした日々

芸者衆の噂

1918-05-17 | 日本滞在記
1918年5月17日(旧暦4日)

 今日はアメリカ軍の迂回路線に入り、美しい丘陵地帯をのろのろと進んでいった。

 嬉しい知らせだ。ウラジオストックでは、日本円が2ルーブル70カペイカだという。そんなことは想像だにしなかった。となると私は二千円――つまり千ドル持っていることになる。たいした金持ちだ。これならどこにも止まらずにブエノスアイレスまで行ける。

 隣りの乗客がウラジオストックにいる日本のゲイシャ連をほめちぎっている。「とても親切」だそうだ。