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湖を渡るフェリー

2012-07-12 21:42:57 | イギリス一周 花の旅

 ワーズワースが湖水地方で創作活動を始めたのは1800年頃のことです。

 今から200年以上も前の湖水地方はどんな様子だったのでしょうか。

  

 高速道路を使って、車で簡単に入れる場所でなかったことは明らかですが、当時としても、それほど辺鄙な場所ではなかったような気もします。

  

 フランスから戻ったワーズワースが、湖水地方で住んだ家はパブとして使われた建物だといいますから、少なくとも客商売が成り立つような場所だったはずです。

  

 しかし今回、私がイギリスを一巡りした経験から、イギリス人にとっての湖水地方は、私達が考える以上に、花が微笑み、鳥の歌う、美しい自然の宝庫として認識されていたに違いないと思えるのです。

  

 日本のように、常に山に雲が掛かり 、清い水が流れ、村の社を木々が包むような、山紫水明を見慣れた目で湖水地方を判断するのは、盃でビールを味見するような行為なのかもしれません。

  

 日本では、春になれば雨が降り、豊かな水が田を潤し、田には毎年稲が稔ります。イギリスでは畑に毎年同じ作物を育てれば連作障害を起こし、牧羊で生計を立てるには相当に広い牧草地を必要とします。

 

 人々が稲を育てたり、羊を飼ったりする行為を数百年以上も繰り返せば、それぞれの山河はその行為に応じて、様々に影響されるのではないかと思うのです。

  

 その現象の一つが、例えばイギリスに於けるジギタリスの繁茂だと捕えれば良い訳です。

 

 日本で、近年注目されてきた里山も、稲作を常とする村里の生活で、人々が煮炊きなどに使う薪を、年余に亘って裏山に求めて来た結果ですから、早春の林床にカタクリが咲く、麗しい光景は、日本人が作り上げてきたものと言っても過言ではありません。

  

 さて、今度は、ウィンダミア湖の南端から、西岸の細い道をナビを使わずに北上しました。

 

 すると、20分も走った辺で、ウィンダミア方面を指す道路標識を目にしたので、そちらへ走りますと、以外なことに湖岸に出てしまったのです。

 

 そして、そこにはフェリー乗り場があり、丁度今、フェリーが対岸へと岸を離れたところでした。

  

  

 予期せぬ事態に「これは面白い、 良い思い出になるぞ」とばかり、この場所でフェリーの帰りを待つことにしたのです。

  

 フェリー乗り場には、現在地を示す地図とともに料金表が掲示されていました。

 乗用車は一台4.3ポンドと料金も手頃です。

  

  

  

 思わぬ所で、思いがけない経験ができます。

 きっとナビを使っていたら、ここへは来なかったでしょう。

 なにしろナビは有料道路を通らない設定のままでしたから。

  

 フェリーが対岸から帰って来て、私は馬を運ぶトレーラーに続いて、馬と一緒に船上の人となりました。

  

  

 車の運転席からはフェリーの金網越しに、行き違う遊覧船の姿が見えます。

  

  

 そして、10分もしないうちに対岸のウィンダミアに到着です。

  

  

 貴重な体験ができました。

  

 そうか、そうだったのか、ウィンダミアという所は、かなり以前から水路も含めて、交通の要だったのですね。

 

 

 

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ウィンダミア湖 微笑みの花

2012-07-12 17:52:47 | イギリス一周 花の旅

 湖水地方というブランドイメージで、私は上高地なみの、清く澄み渡る景勝地を期待していましたが、ウィンダミア(Windermere)には苦笑いです。

  

 例えが良くありませんが、そう、現実とイメージが乖離している播磨屋橋のようなものです。 

 (高知市民の皆さん御免なさい)

    

 日本アルプスや東北の山々を見慣れた目には、ウィンダミア湖の背景となる山の標高が1000mにも満たないので、まるで房総半島の丘を見ているようです。

  

 数時間前にスノードン山を見てきたので、余計に貧相に見えたかもしれませんが・・・

 

 それでも、取り敢えず、一通りは見ておこうと、湖の南端のレイクサイドへ向いました。

  

 10数分も走ったでしょうか、湖畔に明るい芝の広場が見えたので、入って行くと「フェル・フット・パーク」と掲示されていました。

  

 パーキングに車を停めて、歩いてみました。

  

 

  

 パーキングの石壁には、ツルアジサイが清々しい微笑みの花を咲かせていました。

  

 

  

 綺麗です。

 

 公園の芝では家族連れや、若夫婦が、静かに寛ぎの時を過ごしていました。

 

 爽やかな時間がゆっくりと流れていました。

  

  

 細波が模様を作る湖面にヨットが浮かび、

  

  

 湖畔に、石造りのボートハウスがエレガントな趣で水面へ影を落としていました。

  

  

 芝の広場では石楠花がピンクの花を咲かせています。

 

  

 湖畔に置かれたベンチは、若い二人の出合いを待っているかのようです。

  

  

 多分、ウィンダミアもワーズワースが詩を書く頃はこんな様子だったのでしょう。

  

 200年以上も前のことですから、比較にならぬ程に、草や木々が表情豊かに詩人に語りかけていたもしれません。

 

 

 

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湖水地方 ウインダミア

2012-07-12 14:43:48 | イギリス一周 花の旅

 リバプール(Llandudno)を出発したのが14時頃でした。

 

 この頃までにはイギリスでの距離感と、主要な道路の交通事情などを十分に把握していましたので、今日中に湖水地方を見て廻れるという予測が立っていました。

  

  

 速度違反の罰金なんて払いたくありませんから、頭の中に「襟裳岬」のメロディーが浮かんでくる程度のスピードで車を走らせます。

  

 と言っても、最高速度が70マイル/時(112km/時)ですから、他の車より多少ゆっくり目といった意味ですが、青い空が広がり始めた景色を楽しみながら北上を続けました。

  

  

  

 どうも近年になってから、良いことばかり続くように思えてしかたありません。

  

 「昨日はウエールズで雨に降られたけど、雨が念願の湖水地方に入るまでに降ってくれたお陰で、今日は晴れるタイミングになってくれた」と言った具合です。

  

 誰かが、「それって、単にお目出度くなっただけじゃないの?」と囁く声が聞こえましたが、そう思いたい人には思わせておきましょう。

  

 ナビの案内で高速道路を外れると、やがて正面に小高い丘が見えてきました。

  

  

 そろそろ、でしょか?

 

 

  

 列をなして、車が小高い丘へ登って行きます。

  

 そして、前奏曲のような丘を越えた先に

  

  

  

 え! ・・・  もしかして、此処?

  

  

 馬車が走ってる!

 此処かもしれない!

  

 ああ! 此処だ! 此処だ! ここがウインダミア(Windermere)だ。

  

 率直な感想を言えば、何だか、芦ノ湖の元箱根を貧相にしたような雰囲気です。

  

  

 ここか~  

  

 まぁ、旅行記ですから、お金をかけて、苦労したので、意地張って、良かった!良かった!って書きたい気持ちもありますが、これじゃ~ね~、そうは書けませんよ。 

  

 人々で混み合う場所を早々に退散して、ウィンダミア湖の南、湖水が流れ出る方角へ車を進めました。

  

 ア ~!  ウィンダミアの街を写すのを忘れてた!

  

  

 

 

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リバプール植物園はどこなの

2012-07-12 11:20:56 | イギリス一周 花の旅

 スランディドノウ(Llandudno)を出発して、ウエールズから再びイングランドへ入りました。

  

 途中でガソリンを補給して、SPARでサンドイッチの朝食を済ませました。

 

 イギリスのガソリンスタンドには必ずこのようなコンビニが付随してますので、私はここまで、ほとんどの食事をこのようなコンビニの食品で済ませてきました。

  

  

 時には片手でハンドルを握り、片手で食べながら走り続けて来ました。

 その甲斐もあってか、初日に心配した「イギリスを廻りきれるかな~」という心配も薄らいで、何とかイギリス周遊の計算が立ちそうです。

  

 リバプール市街へ向かって、ランコーン(Runcom)で橋を渡りました。

  

 

  

 リバプールへ来た一番の目的はリバプール植物園訪問です。

  

 インターネットでリバプールに市立植物園があるとの情報を得ていました。

  

 リバプール植物園は51haの広さで、温室があり、一万種類以上の植物が植裁されているのだそうです。

  

 昨年のアメリカ横断旅行でロサンゼルスなどで植物園を見付けられなかった経験から、住所もしっかりと確認し、グーグルマップの地図もプリントして持参しました。

  

 ナビにその住所(Nursery Lane、Liverpool L19 6PR United Kingdom)を入力し、車を走らせます。

  

  

 閑静な住宅街の一角でナビが「目的地に到着しました」と告げました。

  

 ん? 

  

 しかし、それらしきものが見当たりません。

 嫌な記憶がよみがえりました。

  

 ナビの画面の地図を操作しても、近くにそれらしきものが見当たりません。

 

 散歩していた男性に尋ねたり、花屋で尋ねたりして、その時々の答えに従って繰り返し探しても、全く見当たりません。

  

 そもそも、ナビで直接「リバプール植物園」を検索しても出てこないのです。

  

  

 プリントして持参した、グーグルマップ地図の赤ピンの周囲2km四方は探したでしょうか、最後にはとうとう諦めました。

  

 全く腑に落ちないので、帰国してから再度ネットで詳細に検索しますと、「リバプールの植物コレクション」というページを見付けました。

 

 そこにはリバプール植物園は1964年に設立され、1984年に閉園されたと記載されていました。

  

 何と言うことか! 安易にネット情報だけに頼ると、こんなこともありうるという、良い教訓となりました。

  

  

 90分以上を費やし、植物園を探したのですが、結局徒労に終わり、がっかりして、次の目的地を目指しましたが、

  

 「まて、まて、折角リバプールに来たのだから、せめて数か所程度は何かリバプールらしきものを見ておこう」 と思い直し、再度市内へハンドルを向けました。

  

  

 その最初が、マージー川沿いにあるアルバート・ドック横のリバプール博物館(外観だけ)

  

  

 次が、ビートルズ発祥の地であるマシュー・ストリート(Mathew Street )

  

  

 そして、英国国教会系大聖堂として世界最大のリバプール大聖堂(これも外観だけ)

  

  

 その次は、

 ビートルズによって世界的に有名になったペニー・レーン(Penny Lane)を散策して、

  

 

 

  

 「ふむ、ふむ、今日はこれで良しとしておこう」

   

 ということで、湖水地方に向かおうとした矢先、

  

 道路横に「ナショナル・ワイルドスラワー・センター」の看板を見つけて、黙ってやり過ごすこともできず、つい、フラフラと。

  

 

  

 ここの野草園、内容は全くだったのですが、素人の小母さんがバザーで販売していた手作りのバーガーはとっても美味しかったです。

  

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スランディドノウとはとても

2012-07-12 06:12:34 | イギリス一周 花の旅

 コンウィ(Conwy)から20分弱、スランディドノウ(Llandudno)の街へやって来ました。

 この町名の最初の「 Ll 」の発音はウエールズ語独特のもので、日本語で一番近い音は「ス」なのだそうです。

  

 しかし私には、スランディドノウとは、とても読めません。

  

  

 もっとも、日本語の「流石」にしても、漢字本家の中国人にさえ、流石に「さすが」とは読めないはずですから、似たようなものかもしれません。

  

  

 

  

 以前、ウエールズ西海岸のアベリストゥウィスを、「小さなナポリと表現したくなる」と記しましたが、このスランディドノウは「北のナポリ」と呼ばれているそうです。

  

 街外れの、元は島だった標高200mほどの岩山は、コンウィ川の流水が積もらせた砂礫によって陸と繋がったそうです。

  

  

  砂浜に面した通りにホテルやゲストハウスが軒を並べ、ゆったりとした朝食時間を過ごしていました。

  

  

  山へ登るトラムがあるとガイドブックに記されていたので、探し訪ねますと、営業時間前でした。

  

  

 トラムの線路の先に車両進入禁止の標識が見えます。

  

  

 車で山頂へ登る道はないかと探すと、岩山の右手に有料道路を見つけました

 

 料金所は無人で、進入禁止の標示もないので、そのまま進むと、岩壁に沿って私好みの道路が続いていました。

  

  

 坂の途中で振り返ると、海上に桟橋が伸びていました。

   

 イギリス人はこのようなビアが好きなようで、台風が来ない為か、イギリス各地で似たような施設を目にしました。

  

  

 岩壁の下から続く道路にも羊が姿を見せました。

 

 街に面した場所には住宅が建ちますが、それ以外は牧羊地となっているようです。

  

   

 山の頂きに、トラムの駅とビジターセンターなどが設けられていました。

  

 

  

 帰路はトラムの線路に沿って、急勾配の道を下りました。

 

 眼下にスランディドノウの街並みが見えます。

  

 

  

 このスランディドノウは「不思議の国のアリス」の物語が生まれた町とかで著者のルイス・キャロルの記念碑などがあります。

  

 しかし、「モデルとなったアリス・リドルが毎年避暑に来ていた」だけの様に思えるのですが、どなたか詳しい経緯をご存知でしたら教えて下さい。

  

 そして私は、この街からリバプール(Liverpool)を目指すことにしました。

  

 今ここで、この時間であれば、もしかして、今日中に湖水地方に入れるかもしれないのです。

  

 

 

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コンウィの世界遺産

2012-07-12 03:58:41 | イギリス一周 花の旅

 ペン・イ・パス(Pen Y)峠を過ぎて、A498を下ります。

 

 

 左右の山の斜面は石壁で区切られた牧羊地が広がっています。

 

 

 そんな牧羊地の中に湖が姿を現します。

 

 日本の湖とは装いが異なり、周囲に樹木の姿がなく、ほとんどが草地で囲まれていました。

 

 私は昔、これと似た風景を、北海道大雪山系のヒサゴ沼で見ています。

  

  

 ヒサゴ沼は大雪山系化雲岳の南、標高1600mに位置しており、夏は周囲にニッコウキスゲが咲き乱れる美しい湖ですが、イギリスでは緯度が高いので、北海道の高山と類似した生態系が、このような光景をもたらすのでしょうか。

 

  

 コンウィ川に掛かる美しい橋を眺め、ナビのガイドのままに車を走らせます。

  

  

 そして、コンウィ川の河口に、イギリスきっての堅固な城が建つ、コンウィ(Conwy)の町に到着しました。

  

  

 コンウィにはエドワードⅠ世がウエールズ制服のために1283年から4年間で建てた城があり、イギリスの城塞の中でも最も保存状態が良く、世界遺産にも登録されています。

  

  

 コンウィの街は城壁が周囲を囲み、中世の雰囲気を色濃く漂わせていました。

  

  

 街の東側にコンウィ川が流れ、そこに城壁が築かれています

  

  

 今朝は5時半に出発しましたから、この時が朝の8時少し前。

  

  

 まだ街は朝餉の時間なのか、人の姿をほとんど見かけません。

  

 

 

  コンウィ城の開示は9時半なので、何時ものように車の散策で、コンウィの街中をくるくると走り廻ります。

 

  

 

 小さな街の通りに花壇を見つけたり、城壁のジギタリスなどを眺め廻りました。

 

 それにしても、いったいどうやって石を積み上げたのでしょうか?

 

 今回の旅では、イギリス全土をほぼ隈なく見て回りましたが、ほぼ全ての建築物が石で作られていました。 

 

 石の文化に触れての感想

 

 1666年に起こったロンドン大火の後に、イギリスでは建築法によって建築物は全て煉瓦または石造とするとされ、木造建築は禁止されたそうです。

 それ以前に作られていた城塞なども全て石造りであることを考えると、すでに木造建築を禁止できる技術的基盤が確立されていたのだと推測します。

 

 日本では同時期に何度も江戸が大火に見舞われています。そして、日本では全ての城が木造建築です。ロンドンのように江戸の大火後に木造建築を禁止しなかったのは、石で建物を造るという発想と技術の蓄積が無かったからでしょう。

 豊かな森林に恵まれ、無尽蔵に木材が得られる状況と地震の多い国であることが影響したのかもしれません。 

 

 もしかすると、1639年から始まったとされる鎖国が無ければ、ロンドン大火の情報も日本へ届き、日本の建造物に何らかの変化をもたらしていたかもしれません?

 

 「鎖国が無ければ」などと考える事に、意味があるとは思いませんが、過去の制度や歴史の積み重ねの上に、日本人の常識が構築されていることに間違いありません。

  

 人々は宗教などの教義なども含め、多くの事象を「当たり前」のこととして、無意識に判断を進めますが、異なる文化や異民族の思考方法などに広く目を向け、合理的かつ柔軟な思考と発想で、場合によっては旧来の方法を打破する勇気も必要なのだと、かねてから考えていました。

 

 「未経験者や若い者は黙っていろ」とか「ダメなものはダメ」「ならぬものはならぬ」といった、既存概念や少数のリーダーに判断を委ねた発想だけでは、次の世代に未来を残すことはできないと、コンウィ城などの石の文化を見てきての感想です。

    

  

 

 

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