酒飲み掃除日記

掃除用具のレビューや飲んだお酒の感想とかをつれづれなるままに書いてます。

「美味しんぼ 日本酒の実力」の変なところ(2)

2006年08月30日 | 酒類関連本

第二話 日本酒の実力<2>

極亜テレビの金上が酒の卸問屋を乗っ取り、
そこに借金のある江戸一番の蔵元に
ある要求をしてきます。

P35
均野(兄)
「私どもで造る酒を全部、金上が新たに
買収した酒造会社に売れ、と言うのです。」
「金上は買収した酒造会社を大々的に売り出すために、
酒がたくさん必要なのです。」
「その会社だけでは金上の必要とするだけの酒が造れないので、
私たちの酒をよこせと言うのです。」
P36
「しかも金上は品質はどうでもいいから
今より三倍の量の酒を造れ、と言うのです。」

有能な経営者であるはずの金上が考えることとは思えません。第一話で
P25
栗田
「そうね。最近評判がよくて、普通のお酒屋さんでは手に入らないようだから・・・・・・」
というように、江戸一番は地酒として名高く一部でプレミア販売もされていそうな設定です。
普通なら、他から持ってきた酒に江戸一番のラベルを貼って出荷するでしょう。
それに、江戸一番の長所は高い品質のようなのに、長所を殺すような指示をするでしょうか?
そもそも、量を確保したいならば手造りで少量の生産しかできない江戸一番を乗っ取るよりも
近代的な設備で大量に生産できる会社を買収した方がコスト面で圧倒的に有利ですし、
得られる量も天と地ほど違います。
この理にかなわない展開は、山岡に次の台詞をいわすためのものでしょう。


P35
山岡
「本当に汚い話だ。」
「でも現実に、日本酒の世界では長い間行われていることだよ。」
「"桶買い"と言って、大きな酒造会社が小さな酒造会社の造った酒を
桶ごと買って、それを自分の酒の名前で売るんだ。」

かつて、大手酒造会社が中小の酒造会社から桶買いをして、
その酒に自分の会社のラベルを貼って出荷していたのは事実です。
しかし、「行われて"いる"こと」ではなく「行われて"いた"こと」です。
この回が描かれた95年当時には、未納税移出(桶売り)は、
中小の酒造会社→大手酒造会社ではなく、
大手酒造会社→中小の酒造会社という流れがメインになっていました。
自ら醸造することができなくなった酒造会社が集約醸造に参加という形をとり
大手酒造会社が造った酒を移入していたわけです。
そもそも、大手酒造会社による桶買いをしていたのには理由があります。
戦後長い間、酒造米は、昭和11年の生産数量を基準に割り当てられていたのです。
そのため、企業の販売能力と割り当てられる米に大きなギャップが生じ、
大手酒造会社は中小酒造会社の酒を買わねば製品を確保できませんでした。
しかし、昭和44年に自主流通米制度に移され、造石権のようなものは消滅し、
酒造会社は自ら醸造する数量を決められるようになりました。
こうして、中小酒造会社が桶売りしていた酒は、
大手酒造会社が自製した酒とのコスト競争に晒されるようになり、
大手酒造会社に桶売りするのは極一部の会社に限られるようになりました。
既に過去のものになったことをわざわざ持ち出す理由が解りません。


P46
山岡
「それどころか、日本酒業界で"普通酒"と言えば、三増酒のことなです。」

国税庁の「市販酒類の成分等について」によると
かつては、増醸酒が市販酒の80%以上を占めていましたが、
級別制廃止以降は平成5年を除き、増醸酒よりもそれ以外の酒の割合が高くなっています。
普通酒にも増醸酒でないものが増え、三増酒だけが普通酒ということではありません。


P47
山岡
「日本の酒造業界は、酒税を徴収するために、大蔵省の監督下に置かれています。」
「大蔵省は、酒の質には無関心です。まがいものの酒でも、たくさん造れるほうが
酒税をたくさん徴収できるから良い。」

国税庁(国税庁が発足する以前は大蔵省)には、国立醸造試験所
(現在の独立行政法人 酒類総合研究所)という機関があり、
酒類に関する研究や調査などを行ってきました。
山廃もとや速醸もとを開発したのは、醸造試験所です。
蔵元の後継者の多くも醸造試験所の講習を受けています。
酒の質に決して無関心だったわけではありません。


その(3)につづく