中年おじさんの散策part2-2

東京以外の散策を紹介します。

埼玉-1442  幸手 妙観院

2021-09-18 05:31:56 | 埼玉

このブログは「中年おじさんの散策」2の継続版です

この企画は 私が引率します sosamu@ya2.so-net.ne.jp

参加したい方はご連絡ください。090-3436-8532 ネットでカルチャー(散策・グルメ)

 

20210325   幸手 桜・水仙・木蓮
埼玉県幸手市中4丁目
        幸手 妙観院
幸手宿のなりたち
日光道が整備される以前より、幸手は利根川水系による河川舟運と鎌倉街道中道の人の往来で、交通の要衝として栄えていたとされる。特に中世では、古河公方の重臣・幸手一色氏との縁が深く、政治的・軍事的にも重要な場所であったことが伺われる。江戸時代になり日光道が整備されると、1616(元和2)年に幕府より人馬継立を命ぜられ幸手宿となった。幸手宿は日光街道のみならず、将軍家による日光社参の道である日光御成道との結節点でもあり、重要な地だったと考えられる。現在もその当時の道幅のままで約1km続いています。江戸時代、幸手は天領でした。そのことからも幕府が幸手を重要な土地と捉えていたことがわかります。  https://tabicoffret.com/article/76070/index.html
幸手の始まり
幸手の地名は諸説あり、アイヌ語で「乾いている」を表す「さッ」あるいは水が涸れた流れを表す「さッテク」を語源とするアイヌ語説、また倭健命(ヤマトタケルノミコト)が東国下向のおり訪れた島が「薩天ヶ島(さってがしま)」と言われるようになった説など諸説ある。幸手は古くは下総の国に属し、後に大半は武蔵国に編入された。   

 

 

 

 

埼玉-1441  幸手 満福寺

埼玉-1440  幸手 中4丁目付近

埼玉-1439  幸手 満福寺

埼玉-1438  幸手 中4丁目付近

埼玉-1437  幸手 下川崎付近③

埼玉-1437  幸手 下川崎付近②

埼玉-1437  幸手 下川崎付近 

埼玉-1436  香日向4丁目 旧香日向小学校 

埼玉-1435  幸手内国府間八幡神社 

埼玉-1434  幸手市役所 

埼玉-1433  幸手市第1浄水場 

埼玉-1432  幸手 石塚医院

埼玉-1431 幸手 権現堂提付近

埼玉-1430 幸手 権現堂提③

埼玉-1429 幸手 権現堂提②

埼玉-1428 幸手 権現堂提①


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