このブログは「中年おじさんの散策」2の継続版です
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20210325 幸手 桜・水仙・木蓮
埼玉県幸手市中4丁目
幸手 妙観院
幸手宿のなりたち
日光道が整備される以前より、幸手は利根川水系による河川舟運と鎌倉街道中道の人の往来で、交通の要衝として栄えていたとされる。特に中世では、古河公方の重臣・幸手一色氏との縁が深く、政治的・軍事的にも重要な場所であったことが伺われる。江戸時代になり日光道が整備されると、1616(元和2)年に幕府より人馬継立を命ぜられ幸手宿となった。幸手宿は日光街道のみならず、将軍家による日光社参の道である日光御成道との結節点でもあり、重要な地だったと考えられる。現在もその当時の道幅のままで約1km続いています。江戸時代、幸手は天領でした。そのことからも幕府が幸手を重要な土地と捉えていたことがわかります。 https://tabicoffret.com/article/76070/index.html
幸手の始まり
幸手の地名は諸説あり、アイヌ語で「乾いている」を表す「さッ」あるいは水が涸れた流れを表す「さッテク」を語源とするアイヌ語説、また倭健命(ヤマトタケルノミコト)が東国下向のおり訪れた島が「薩天ヶ島(さってがしま)」と言われるようになった説など諸説ある。幸手は古くは下総の国に属し、後に大半は武蔵国に編入された。
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