中年おじさんの散策part2-2

東京以外の散策を紹介します。

散策 「長野-61」  松本 辰巳の御庭

2016-04-30 06:02:23 | 長野

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201500824 松本
長野県松本市大手
          辰巳の御庭
 辰巳の庭は、江戸時代に松本城の辰巳門と城主の辰巳御殿があった所で、今は小さな公園となっています。春には桜も楽しむことができます。
 湧き水のせせらぎを聞きながら、ホッと癒される憩いの場所です。この辺は江戸時代に松本城の辰巳門と城主の辰巳御殿がその偉容を誇っていた所です。
その昔を偲ぶと共に町を美しくするために昭和五十年八月緑町の住人の総意及び多くの市民の善意と努力により復元されたものです。
 井戸の場所案内には「辰巳の御庭」とありました。
江戸時代に松本城の辰巳門と城主の辰巳御殿があった場所です。平成6年に井戸も整備され、ベンチのある広場になっています。飲料はできませんが、水の音色を聴いたり、ただその流れを見ているだけでも心癒される感じです。

 

 

 

 

塩尻名物山賊焼き② 本家「元祖・山賊」で食べてみた。

...松本(塩尻)近辺はなかなか行きにくい場所である。 今日は、塩尻にやや早く着いたので、駅前の料理店に入... 中年夫婦の外食 2015/10/28 03:...
中年夫婦の外食 2015/12/08 05:19:00

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散策 「長野-60」  松本 地蔵清水

2016-04-29 07:00:18 | 長野

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20150823  松本
長野県松本市丸の内
      松本 地蔵清水
 松本城の裏手にある自噴井戸。小笠原貞慶による城下町整備の際に井戸を掘らせたところ、水とともにお地蔵様が出現したためにこの名が付いたとされる由来を刻んだ石碑がそばに立つ。平成の名水百選「まつもと城下町湧水群」の一つ。
  松本城主、小笠原貞慶が総堀内を武家地と定めて城下町を形成した際に、地下の湧水と共に地蔵も一緒に出てきました。
   JR松本駅より徒歩約20分 松本周遊バス(タウンスニーカー・北コース)約5分(松本城・市役所前下車) 松本ICより約15分  

 

 

 

塩尻名物山賊焼き② 本家「元祖・山賊」で食べてみた。

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散策 「長野-59」  旧片端町近辺  松本城お堀(東)

2016-04-28 08:13:22 | 長野

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20150824  松本・史跡
長野県松本市城乾東
松本城お堀(東)
      旧片端町近辺
 『享保13年(1728)秋改松本城下絵図』によると松本城は典型的な近世城で、城郭・城下町ともに計画的に造られているといえます。城下町は南から北へと広がり、南の十王堂から北の十王堂まで歩いて約3.2kmです。そのうち、町人地は、女鳥羽川の南に中心を置きながらも、すべて街道(善光寺道)沿いに配置されています。武家地は、町人地とはっきり境界を分けて北部中心に配備されています。町人地のさらに外側、東から南にかけて社寺を並べて有事の防衛空間としていました。
  松本城惣堀の外の武家屋敷地帯で、東側のみ屋敷割りされたことから町の名がついたらしい。「信府統記」によれば、「・・・・、片端南北二百二拾四間余・・・・」と家並が続いていたようだ。

 

 

 

 

塩尻名物山賊焼き② 本家「元祖・山賊」で食べてみた。

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散策 「長野-58」  旧司祭館

2016-04-28 08:10:55 | 長野

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20150824  松本・史跡
長野県松本市丸の内
            旧司祭館
  松本市旧司祭館(まつもとしきゅうしさいかん)は、長野県松本市に残る明治時代の洋式住宅である。
 フランス人の神父・クレマンにより1889年(明治22年)に松本カトリック教会の宣教師用住居として、松本城内三の丸の大名屋敷があった地蔵清水に建設された。松本城北側の街路拡幅事業にともない、1991年に現在の旧開智学校の隣地に移築復元される。
 アーリー・アメリカン様式を備えた下見板張りの西洋館で、各部屋には暖炉があり、1・2階ともにベランダを備えている。1994年3月の松本市重要文化財指定を経て、2005年3月28日には旧松本カトリック教会司祭館として県宝の指定を受けた。
 セフラン神父が明治34年から27年の歳月を費やし、日本で初の日仏辞典を編纂した場所でもある。

 

 

 

 

 

 

 

塩尻名物山賊焼き② 本家「元祖・山賊」で食べてみた。

...松本(塩尻)近辺はなかなか行きにくい場所である。 今日は、塩尻にやや早く着いたので、駅前の料理店に入... 中年夫婦の外食 2015/10/28 03:...
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散策 「長野-57」 旧開智学校②

2016-04-27 05:48:26 | 長野

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20150823  松本・史跡
長野県松本市丸の内
      旧開智学校②
 旧開智学校(きゅうかいちがっこう)は、長野県松本市開智に残る明治時代初期の洋風校舎である。文明開化における学校の役割を絵解きしたようなデザインで、文明開化時代の小学校建築を代表する建物として広く知られている。
 地元出身で大工棟梁の立石清重が設計施工を担当した擬洋風建築である。擬洋風建築は建築に当たり棟梁が横浜などに見学に出かけたという伝えが残っていても証拠が残っていない場合が多いが、立石は上京の記録「東京出府記」と付随するスケッチ集「営繕記」を残しており(立石は1875年の2度の上京で東京の開成学校、大蔵省、三井組を訪れたほか、山梨県の日川学校、琢美学校(藤村式建築)のスケッチが残っている。)、どの建物を参考にしたかが判明している点で開智学校は擬洋風建築の中でも重要な建物である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

史跡-54 旧開智学校①

 

塩尻名物山賊焼き② 本家「元祖・山賊」で食べてみた。

...松本(塩尻)近辺はなかなか行きにくい場所である。 今日は、塩尻にやや早く着いたので、駅前の料理店に入... 中年夫婦の外食 2015/10/28 03:...
中年夫婦の外食 2015/12/08 05:19:00

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