(前日からの続き)
人は宗教に救いを求めながら、自らの
理解を超えた世界には、実に冷淡な
ものです。
そして、このうらやましさのなかには、
真の霊覚を得た者に対するうらやましさと、
及びがたしと敬して遠ざける想いと、平凡な
肉体人としての感情が入りまじっています。
奇跡がおこる、ありうるということを
頭のなかでは理解しても、事実目の前に
提出されると、これを拒む頑迷さから、まだ、
人類世界はいくらも脱皮していません。
そんななかで、世界平和の祈りの大光明に
守られて、宇宙神のみこころ深くまで、
祈りの階段を上ることのできるうちの会の
人たちは、まだしも、あなたは久遠の
神の光をあびているのです。
祈りが、真理が絶対であればあるほど、
その真理の相(すがた)に反した姿を
みせつけられること─これほどの
かなしみはありません。
いくら消えてゆく姿といっても、
なかなかにその傷がいつまでに癒えますよ
という現世での、軽い人間同志の口約束の
ようにはゆかないでしょう。
なぜなら、その傷を負ったのは、あなたの
心だからです。
心というものが、かなしみにみたされた時、
どれほど人に対して、また、社会に対して、
その傷を癒すまで、固く己れを守り切るかは、
私はこれをよくよく知っているのです。
けれどね、あなたの間違っているところが
唯一つだけある。
なるほど、接しられた二人に代表される
やり切れない人間の業というものに、
あなたは沈んで、心を閉ざして
いるけれども、あなたの閉ざせる範囲は、
人間と、人間がつくった、社会まででは
ないか、神に対して、神の永遠の愛と
ゆるしに対して、あなたは心を閉ざした
のでしょうか、閉ざすことはできない。
そうではありませんか。
赤児のように純な神に素直なあなたの
たましいを、私は切なくおもうと同時に、
限りなく愛して抱いてきたのです。
今もなお抱いています。
私のというより、神への赤誠をまれな
賜物として与えられたあなたの天命と、
その天命に対する信頼とは、今度の
ようなことで、いささかもゆらぐことは
ありません。
会が味わうべき生みの苦しみを、あなたは、
両者からの、猛烈の反発拒絶という
かたちで受けて、消して下さったのです。
人を追いこんでおいてと思うかも
知れないけれど。
会が果たしてゆくべき役割は、まだまだ
大きく深いものがあります。
しかし、それも、神様にすなお、神智に
すなおという心があってはじめて成し遂げ
られるものであって、その資格を失えば、
会は、この深く大きな働き手としての
かがやきを失うでしょう。
二人の大きな個人の業生を、あの時消して
下さったと同時に、菩薩業としてのあなたの
祈りの使徒としての天命があらわれたのだ
と思って下さい。
私の流れ、働きは、7月にあなたが
彼女に会った時に、自ら断じたように、
こういう具体的な流れは、他にあらわれ
てはゆきません。
あなたの天命、彼女たち二人の天命は、
それぞれにちがったものです。
ちがったものでありながら、この三者は
一つの働きー神のみこころを地上に
あらわすということにおいて一つなのです。
統一の中でどうか、私によびかけて下さい。
神の智恵がつねにあなたを守られます
ように、あせる必要はありません。
昌 久
人は宗教に救いを求めながら、自らの
理解を超えた世界には、実に冷淡な
ものです。
そして、このうらやましさのなかには、
真の霊覚を得た者に対するうらやましさと、
及びがたしと敬して遠ざける想いと、平凡な
肉体人としての感情が入りまじっています。
奇跡がおこる、ありうるということを
頭のなかでは理解しても、事実目の前に
提出されると、これを拒む頑迷さから、まだ、
人類世界はいくらも脱皮していません。
そんななかで、世界平和の祈りの大光明に
守られて、宇宙神のみこころ深くまで、
祈りの階段を上ることのできるうちの会の
人たちは、まだしも、あなたは久遠の
神の光をあびているのです。
祈りが、真理が絶対であればあるほど、
その真理の相(すがた)に反した姿を
みせつけられること─これほどの
かなしみはありません。
いくら消えてゆく姿といっても、
なかなかにその傷がいつまでに癒えますよ
という現世での、軽い人間同志の口約束の
ようにはゆかないでしょう。
なぜなら、その傷を負ったのは、あなたの
心だからです。
心というものが、かなしみにみたされた時、
どれほど人に対して、また、社会に対して、
その傷を癒すまで、固く己れを守り切るかは、
私はこれをよくよく知っているのです。
けれどね、あなたの間違っているところが
唯一つだけある。
なるほど、接しられた二人に代表される
やり切れない人間の業というものに、
あなたは沈んで、心を閉ざして
いるけれども、あなたの閉ざせる範囲は、
人間と、人間がつくった、社会まででは
ないか、神に対して、神の永遠の愛と
ゆるしに対して、あなたは心を閉ざした
のでしょうか、閉ざすことはできない。
そうではありませんか。
赤児のように純な神に素直なあなたの
たましいを、私は切なくおもうと同時に、
限りなく愛して抱いてきたのです。
今もなお抱いています。
私のというより、神への赤誠をまれな
賜物として与えられたあなたの天命と、
その天命に対する信頼とは、今度の
ようなことで、いささかもゆらぐことは
ありません。
会が味わうべき生みの苦しみを、あなたは、
両者からの、猛烈の反発拒絶という
かたちで受けて、消して下さったのです。
人を追いこんでおいてと思うかも
知れないけれど。
会が果たしてゆくべき役割は、まだまだ
大きく深いものがあります。
しかし、それも、神様にすなお、神智に
すなおという心があってはじめて成し遂げ
られるものであって、その資格を失えば、
会は、この深く大きな働き手としての
かがやきを失うでしょう。
二人の大きな個人の業生を、あの時消して
下さったと同時に、菩薩業としてのあなたの
祈りの使徒としての天命があらわれたのだ
と思って下さい。
私の流れ、働きは、7月にあなたが
彼女に会った時に、自ら断じたように、
こういう具体的な流れは、他にあらわれ
てはゆきません。
あなたの天命、彼女たち二人の天命は、
それぞれにちがったものです。
ちがったものでありながら、この三者は
一つの働きー神のみこころを地上に
あらわすということにおいて一つなのです。
統一の中でどうか、私によびかけて下さい。
神の智恵がつねにあなたを守られます
ように、あせる必要はありません。
昌 久