宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
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霊能霊覚を持つ者の孤独(2)

2023-01-14 12:10:45 | 祈り
   (前日からの続き)
世界平和の祈りによって、だいぶん、
地球世界の波がかわったとはいえ、
心霊一如、肉の身のまま、霊人
であることを自覚する朗らかな空気へと
移行させるためには、思い切った神界の
英断が必要であったわけなのです。
実際、神界の一瞬のすぎゆきは、
地上での二、三年にあたっています。
だから、あなたの家で錬成会を向こう三年間
開くといっても、こちらでは、それらは
すでにおわって、いくつもの成果が出ている
といった具合なのです。
このことは、霊界に自由な霊身をはこぶ
ことのできるあなたなら、容易に納得される
ことでしょう。

けれども、はがゆいことに、現在は、
あの世をうつしたものでありながら、
波動があらいために、いくつ何十もの
業生の波を受けねばなりません。
およそ、あらわれというものは、それが
よいことであれ、悪いことであれ、現世で、
一つのかたち、あらわれとなる時には、
それにみあう抵抗を受けるものなのです。
まして、私が、はっきりした現われ方をした
などということについては、会自体の幾つもの
想いの枠があり、あなた自身にとっても、
私のひびきを感受しながら、会と会の
方たちとの間にたって、どれほど苦しみ、また
孤独におちいったことかと、真実申し訳なく
おもうのです。
しかし、それでも、人間の真性の目覚めの
ために、人類の限りない霊的進化(なぜなら
人間は霊そのものなのですから)のために、
私は、もう一度、地上に呼びかけねば
ならなかったし、それを、何の疑いも迷いもなく、
感受できるのは、あなたしかいなかったのです。
いや、今もいないのですよ。
でも、つくづく霊的ということについての孤独の
深さを考えるとため息がでますね。

それは勿論、どんな賜物も、神様からきている
もので、上下なんかあるはずはないんだけれど、
宗教という、神のみこころを伝え、また
体現してゆく世界では、その教祖や、指導者、
神に仏に、従っていった先覚者は、みんな
すぐれた霊覚を持っていた。
現代でも、宗教の本当の生命ーつまり、
人間のいのちが、大神様、宇宙神のみこころに
溶け入って、遂に愛の光の一筋となる生命を
語るためには、こうしたすぐれた霊覚を得た
指導者を持っていなければ、その宗教は、
日ならずしてほろんでしまうんだ。

けれど、こういう霊覚を得ながら、
肉の身をまとい、肉体人間の
言葉(不自由な)を語ることが、
どれほど辛く、大変なことかは、これは、
経験した者でなければわからない。

神のひびきそのままを伝えたい気持ちに
幾度となくかられ、しかし、それはまだ
許されてはいないことなのだ。

神様は、生命を投げ出した私に、
私の悟る以前の個性を残して下さった。
だからこそ、私はどんな人とも、
肉体の私として、気軽に話ができたし、
地球全体、広く宇宙人類のために、
わかりやすく、真理の言葉をその人に
合わせて語ることができた。

現代という時代には、一時代前の
聖者的なおもかげを色濃くした教祖よりも、
およそ、人間らしい、教祖らしくない
教祖が、そして宗教の臭みのない宗教が
求められたわけだ。
そんななかで神我一体以後の私は、
実にさまざまな人に出会い、神の愛を
説きながら、その一方で真理を直裁に
語り切ってしまいたい気持ちにかられ、
孤独になり、そして、その孤独を
いやして下さったものは、ただ神の愛
であったのです。

だから、あなたがある人を介して、
私を訪ね、大法山の歌の不思議を
たずねてきた時、あなたのなかに、
本当にすぐれた霊能を感じ、同時に、
あなたのためにやり切れない思いに
おそわれたことを告白しましょう。
この人も私もおなじような孤独に、
苦しめられ、或る意味で、自分を神に
預けながら、ひとりになり切って
ゆかねば、道がひらいてゆかないのか
というのが、その時、私のおもったこと
であり、私のおよぶ限り、あなたの孤独は、
私が癒そうと瞬間に感じ切ったのでした。
         (つづく)