移日々之事物

気になったこととかに関する戯言とか

責任転嫁

2006-01-16 00:28:40 | Weblog
耐震偽装問題でヒューザー社長が国を批判しています。

国や検査機関の態勢不備が被害の拡大に繋がった。強度不足を察知した後、入居者に伝えずに部屋を引き渡した疑惑については、検査機関からの指摘がなかったため約に基づきカギを引き渡すしかなかった。大体こんなところでしょうか。

責任逃れに聞こえてしょうがないです。要約すると国や検査機関が何も言わないのだから渡すしかない。私たちの責任ではない。そういっているように聞こえますが何か間違っているでしょうか。

物を売る人間というのは気配りが求められます。商品に何らかの不備があると思われるときは、その点をお客様に説明することが必要でしょう。そのうえでお客様が買わないという結論出すことが予測できていても、そうしたことが信用につながり、逆にそれをしないということは信用できない会社・店ということになるでしょう。

そしてそれがなぜ求められるか。それは商品というのは作った人間だけではなく、それを売った人間にも責任が求められるからです。物を売る側の人は売る物の管理責任を負っているからでしょう。

国や検査機関が行うことはいってみれば商品の完成度のチェックでしかないわけで、作る側の一員といっても良いかと思います。売る側であるヒューザーはその商品に不備があると思われるのであれば、国や検査機関も含めた作る側になんらかのアクションを起こすべきだったと思います。そして買い手であるお客様に対しても説明なり何なりをするべきだったでしょう。

なのに国が悪い、自分たちは悪くないなどというのは物を売る立場にあるまじき責任逃れです。契約というものが軽くないことは承知ですが、それを踏まえた上でもなすべきことというのがあるでしょう。

国や検査機関が何も言わないから契約に従うしかなかったなどというのは通じません。何も言わないのであれば問い合わせればいいし、おかしいと思うのであれば買い手に説明して、場合によってはヒューザーの側から契約を破棄することを勧めるくらいのことはするべきだったでしょう。

売り手が負うべき責任を作り手に押し付けようとしたって無理があります。国や検査機関にも問題はあったと思いますが、それはヒューザーが負うべき責任とは違う領域でしょう。国に責任を転嫁しようなどというのは恥知らずとすら感じてしまいます。