ジョルジュ・サンド George Sand

19世紀フランス女性作家 George Sandを巡って /日本ジョルジュ・サンド学会の研究活動/その他

サンドのHP

2006年02月26日 | G.サンド研究

サンド研究者の皆さんは、すでにご存じのことと思いますが、ナレーション・音楽つきの以下のようなサイトがあります。雨の日の気晴らしに・・・

http://www.georgesand.culture.fr/

日本のシンポジウムの概要

2006年02月10日 | G.サンド研究
先のブログに書いた「生誕二百年記念シンポジウム」、これから徐々に公開していこうと思っている「Cerisy国際学会」に関する内容は、昨年、依頼を受けて、大学紀要に書いたものです。少し堅苦しいもので恐縮ですが、ご参考までに。

<日本のサンド国際シンポジウムの概要>

 第一部の「政治参加としての小説技法」「イギリス趣味と作品Indianaにおける政治」「ジョルジュ・サンド・十九世紀フランス女性知識人」は、サンドの作品内部における政治・哲学思想の偏在性と両義性に着目しつつ、一貫したポリフォニックな詩的小説世界を構築するサンドの創作技法とバルザックやゾラのように堅固な文学理論をもたぬ女性作家における文学ジャンルの独創性を論証した。
 より具体的な観点から、第二部の芸術・前編では、「Laura, voyage dans le cristalにおける色彩と芸術」が、鉱物学にも硯学であった作家サンドの芸術観とノヴァリスの作品にも通底するサンド独自の世界観との相関性を検証し、次いでロマン主義時代の出版文化に大きく寄与した「挿し絵家Tony Johannot」とサンドの作品との関係が詳細なデータをもって論じられ、「サンド、芸術と偶然ーペンと絵筆」と共に、創作技法の背景となった科学と美術の役割を射程に収める新たなサンド論を展開した。
第二部の芸術・後編の「モーツアルトとサンドの諸作品」「サンドの作品を通してみられるnaif」および「映画化された創作作品」は、ロマン主義文学の中にサンドの作品と芸術観を位置づける綿密な試論であり、また映像、音楽芸術と創作の共生関係についての果敢な論究であった。
 第三部の政治編では、「ルルーの世代継承論とサンドの自伝的作品およびコンスエロ」が、これまでルソーの思想的影響のみ多くが語られてきたサンドを、フランス初のフェミニズム運動体であるサン・シモン主義の系譜を継ぐピエール・ルルーの思想との関連において照射する一方、「ファンシェット」は、二月革命を中心に捉えたサンドの政治思想と知られざる作品との深い関連を鋭敏な視点をもって論証し、『黒い街』は、台頭する十九世紀フランス産業社会の一産業都市と民衆を描いたサンドの、現実をフィクションの中に独自の手法で描き込む創作技法を強調した。
「サンドの作品における女性芸術家像ー政治と美学」「女性の問題と祖母の童話集」「ジョルジュ・サンドにおける娼婦の貌 ーイズィドラ」は、中・後期作品群の芸術上の枠組を再構築するのみならず、ジェンダーの視点からサンドの作品を捉え直した斬新かつ造詣深い考察であった。
 最後の「政治と審美の狭間でーある旅人の手紙」は、倫理と美学の互換性およびこれを止揚統一し融合させる作者の創作姿勢を闊達に論じ、コロック全体のエピローグとして、歴史学、社会学、女性学、建築学を始めとする諸分野の学際的研究を射程距離に入れた超領域的な国際サンド研究の未来のありようを示唆した。
                               


G. サンド・ワークショップ L'Atelier de George Sand en 2005

2006年01月03日 | G.サンド研究
「日本ジョルジュ・サンド学会」は、2005年の十月、新潟大学で開催された「日本フランス語フランス文学会」秋季大会において、サンドのワークショップを開催しました。

三名のパネリストが各自のテーマに沿って、OHPを使い映像を交えた発表をおこないました。フロアからも、活発な発言や質問を頂き、充実したワークショップとなりました。以下は、司会の坂本さんが発表者のレジュメをもとにまとめてくださった内容ですが、これは、日本フランス語フランス文学会のHPにも掲載されています。

http://wwwsoc.nii.ac.jp/sjllf/archives/taikai/2005a/2005a.html

 一番目の高岡さんのテーマは「サンドの創作活動:現実からフィクションへの道程」。サンド作品の創造過程の特徴の一つは、現実に取材した物事の中に問題を見つけ、それに対する解決を、美しい形、あるべきものと思われる形に作り上げて提示する、つまりイデアリザシオンにあるとし、その読み方としては、できあがった完成形としての理想を読む、あるいは単なる作者個人の夢として退けるというよりも、むしろフィクションの根底に存在するサンド特有のレアリスムと、それがずらされてイデアルに向かって行く過程に注目すべきであろうと言うのが高岡さんの主張であった。

 二番目の渡辺さんのテーマは「サンドにおける芸術」。渡辺さんはサンド小説に現れる芸術家のタイプを分類し、ある特定の分野におけるイエラルシーの問題と、異なる芸術間の移行について述べた。そのあと、サンドの創作過程におけるノアンのマリオネット劇場の重要性が指摘された。サンドは、より真実に近い人間心理に近づくため、単純化し典型化した登場人物を分類し、あたかもマリオネットの人形のようにそれを作品内に置いて自由に動かしていたのである。

 最後は西尾さんの「ジョルジュ・サンドと第三の性:横断と変容・流動と継承」。サンドはフロベールの言う「第三の性」ではないとする M.Reidの論に対し、西尾さんは初期作品群のヒロインたちの分析を通し、「第三の性」とは19世紀の男女役割分担意識では定義しえない、性差を超越し自由闊達に生きる作家像、継承されていく「自由な創造者」を象徴する言葉であり、そこにサンドの創作姿勢を見ることができるのではないかという「第三の性」肯定論を展開した。

写真はスリズィ城の内部にある書斎です。

 


明けましておめでとうございます Meilleurs voeux !

2006年01月03日 | G.サンド研究
  
MES MEILLEURS VOEUX A TOUTES ET A TOUS!

    明けましておめでとうございます。
    今年もよろしくお願いいたします。


年頭にあたり、サンドに関する新刊書および論文をご案内します。

*George Sand : Valentine, Re'edition de l'original d'Aline ALQIER aux Editions de l'Aurore, P.U.G.

*SAND-DELACROIX, correspondane, le rendez-vus manque', e'dition de Franc'oise ALEXANDRE, Les Editions de l'Amateur.

*Be'nita EISLER : <Les funerailles de Chopin> traduit par Me'lanie MAX, E'ditons Autrement

*Odile KLAKOVITCH : "George Sand et la censure ou la bonne dame du the'a'tre" in Bulletin de la socie'te' de l'Histoire de Paris et de l'Ille de France.

*Sand-Buloz, une rencontre savoyarde : Les cahiers de la F.A.C.I.M. no.4, E'ditions Comp'Act.

 
写真は、著名な作家、哲学者、芸術家、写真家、建築家、知識人の国際シンポジウムを開催することでよく知られる、Saint Maloにほど近いCerisy城の全景です。
 

「われ愛す故に存在すJ'aime donc je suis.」

2005年09月09日 | G.サンド研究
デカルトが 「Je pense donc je suis. われ思う故にわれあり」と云ったことは有名ですが、ジョルジュ・サンドは「われ愛す故に存在すJ'aime donc je suis.」と知人への手紙に書き残しました。恋多きサンドの言葉です。が、その作品を読むと「愛」という言葉が必ずしも男女間の限定された愛に留まるのではなく、友愛、師弟愛、親子の愛、人類への愛と限りなく広がりのある「愛」が小説世界に散りばめられ、描き込まれていることに驚きます。

八月末からパリとマルセイユにしばらく滞在して帰国したところです。
いつもは学会参加が主な目的のため、一箇所に留まって、閉鎖された時空間を過ごすことが多いのですが、久しぶりにパリのホテルや友人宅に滞在し、フランスの日常社会に溶け込んで、世の様変わりを経験してきました。

以前は多かった泥棒や、メトロや公園の物乞いの人々の数はごくわずかでしたし、意図的なお釣りの計算間違えにも出会うこともなく済みました。こちらが云いたいことをはっきり相手に伝えるという毅然とした態度をモットーにしたことが、少なからず、功を奏したのかもしれません。
例えば、円をユーロに替えたい時には窓口の人のいうなりになるのではなく、これこれの額のユーロを欲しいのだがそちらの条件はどうか、と交渉するのです。両替の窓口によっては信じられない額の手数料comissionを要求するところがあるので、よく注意しなくてはなりません。銀行だからといって日本のように安心できないのがフランスです。ある両替所では欧米人らしき旅行者と、自由経済なのだから譲れないと高額な取引を主張する窓口の居丈高な女性とが大喧嘩をしていました。良心的な両替所もあるので、そのような両替店はさっさと見切りをつけた方が賢明です。

ところで、「世界の国々の中で、友人を作るならフランス人が一番だ」とよくいわれますが、今回もフランス人の友情の厚さに様々な場面で感動しました。彼らは大げさなことはしません。ですが、仏人の友人は概して、友人となった相手には自分のできる範囲で、さりげなく、時には懸命ともいえるほどの暖かい友情を捧げてくれます。友人ではなくても心を動かされる出来事に出会うことがこれまでにもたびたびありました。機会を見つけて、このブログにそんなことも書いてみたいと思っています。

L'amour 愛

2005年08月13日 | G.サンド研究
Michel de Bourges への手紙より

O magique puissance de l'amour !

O philosophie, tu n'es qu'un reve de l'orgueil. Religion, tu n'es peut-etre
qu'un leurre de l'Esperance. Amour seul tu es poesie et charite, desir et
jouissance, espoir et realite.

A certaines heures, l'amour est si bien supreme, d'autres heures, c'est le supreme mal.

L'amour seul me parait assez chaud, assez lumineux, assez digne des cieux
pour croire qu'il en est descendu et qu'il doit y retourner.

George Sand

息子モーリスのフランス語 langue

2005年08月13日 | G.サンド研究
Lettre de G.Sand a son fils Maurice

A dix ans, je ne faisais pas une faute, mais on se depecha trop de me faire quitter la grammaire, j'oubliai donc ce que je savais si bien et au couvent on m'apprit l'anglais, l'italien, et on negligea d'examiner si je savais bien ma langue. Ce ne fut qu'a seize ans qu'etant a Nohant, ayant honte de si mal ecrire en francais, je rappris moi-meme la grammaire. Eh bien je n'ai jamais pu la retenir tres bien et souvent je suis embarassee, et je fais des brioches. Apprends donc bien maintenant. C'est le bon age, ce n'est ni trop tot ni trop tard. J'etais bien contente de ton avant-derniere lettre : mais cette fois-ci, tu as mis des s partout*.

Lettre a son fils Maurice

* Exemples : Ca m'a etonnes... je n'en avais pas ete avertis... je suis sortis

十才のとき、母さんはひとつも間違いをしませんでした。でも、文法の勉強からあまりにも早く引き離されてしまったの。だからよーくわかっていたことを忘れてしまったし、修道院(寄宿舎)では英語とイタリア語を教えてくれたけれど、母さんが自分の国の言葉がよくできるかどうかをちゃんと調べてくれなかったのです。ノアンに戻った16才になって、やっと、ひどいフランス語を書いていたことを恥ずかしく思って、自分でもう一度文法を勉強し直したのです。それでもちゃんと覚えていなくて困ってしまいます、よくへまをしてしまって。だから、今、しっかり勉強しておきなさい。早すぎもせず遅すぎもしない今が丁度そのときよ。二通前の手紙はとても良く書けていて、母さん、うれしかったけれど、今度の手紙にはやたらにSがついていますよ。

サンドの誕生日 l'anniversaire de G.Sand

2005年08月05日 | G.サンド研究
サンドは1804年7月1日生まれだと云われている。しかし『わが生涯の記』(1854)にサンド自身も書いているように、これは確かな生年月日ではないようだ。

7月5日だとする説もある。
長い間、サンド自身もこの日を誕生日だと思い込み、誕生祝いをしていたようである。

二つの説の間をとったフランス政府は、2004年7月3日に、フランス共和国に多大な栄誉をもたらした、この偉大な作家の生誕二百年を記念し、作家の故郷のノアンの館で盛大な記念祭を催した。この祭典には、当時の民族衣装を着飾った地元の人々や風笛や様々な楽器を手にした音楽隊の演奏に迎えられ、サンドにゆかりのある芸術関係者、作家、女性学や文学研究者、各国からの招待客が数多く参列した。文化コミュニケーション担当大臣は、多忙であること、また折からのテロ対策と警備の関係もあったのだろう、ヘリコプターで駆けつけて、演説を述べるという華々しい祝典であった。城館の奥に普段は観光客に開放されない広いスペースがあるのを知ったのも驚きだった。
だが、よく考えてみると、何年か前にここを訪れたある夏の夕べに、サンドの小説『ナノン』の演劇を見たのがこの広場だったこと、持田明子氏との約束が変更になって、La petite Fadetteの投宿を延長したことなどを想い出した。特別な催しのときにのみ公開される場所なのだろう。7月末という夏のまっただ中なのに、ひどく寒い夜だった。地元の人たちに混じって、たった一人で観劇している薄着の東洋人は奇妙に映ったのだろうか、寒くはないかと親切に心配してくださる方もいた。
広場の式典と参列客のざわめきをよそに、城館の木陰には、ショパンとサンドが語りあったこともあっただろう、ひっそりと小さな古い木のベンチが置かれていた。

一方、毎年、歴代の著名な作家を讃えて国際シンポジウムを開催している由緒あるフランスのCerisyのシャトーでは、世界のサンド研究者が集い、こちらでは7月1日から一週間に渡り、今日のサンド研究の最高峰が披露された。日本からも三名のサンド研究者が参加し、様々な研究者と親交を深めることができた。車に便乗して海辺の町を訪れたり、近くの小さな町に行ってみたりする他は、連日、奥まったシャトーでほとんど一日中、発表を聞くという毎日だった。そんな中では、食事が以外な楽しみとなった。
シャトーに住み込み、長年、国際シンポジウムの開催を手伝っているマダムの鳴らす古い鐘の音が聞こえてくると、それが「お食事ですよー!A la table !」というシャトーのお知らせ。フランス人の中には「昨日のリフォーム料理ね!」と陰口を叩く人もいたけれども、概して出てくる料理はボリュームもあり、地元の珍しい野菜や果物の添えられた美味しいものだった。
中でも最後の夕食に出されたOmelette de Norvegeというデザートは、圧巻だった。中はアイスクリーム、外側はメレンゲ状のガトー。歓声の中を、リキュールの燃える炎に包まれ、荘厳な儀式のようにいそいそと運ばれてきた大きなケーキは、まさに生誕二百年を祝うサンド国際コロックColloqueの終幕を飾るにふさわしく、Cerisyの麗わしく優雅な女神のようだった。フロベールの『ボヴァリー夫人』に出てくるウエディング・ケーキのシーンを想い起こしたのは、その華麗なイメージに共通するものがあったからだろうか。

Raymonはレモン?

2005年06月29日 | G.サンド研究
フランス語のカタカナ表記について

ブログはフランス語では、ブロックノット bloc notes というのだそうです。ブロックという呼び方は、日本人にとって違和感があるような気がします。大作『フランス女性の歴史』の著者、Montreynaudを「モントレイノー」とカタカナ表記された方がいて、フランス人に「モントレノー」ではないかと聞いてみたところ、「モントレノ」と表記するのが正しく、日本人はすぐに「-」と延ばしたがると訂正されたことがあります。

 ジョルジュ・サンドの小説”Indiana"に登場する金髪の美青年Raymonのフランス語の発音は、日本人にとっては、酸っぱい果実を連想させる「レモン」なのです。レモンは、クレオールの女中Nounヌンの一途な思いを裏切り、人妻Indiana を誘惑します。このことを知り、レモンの子を宿していたヌンは入水自殺をしてしまいます。結局、レモンはIndianaをも欺き、金持ちの令嬢ロール・ドゥ・ナンジと愛のない政略結婚をするのですが、この金髪のDonJuanのイメージとレモンというカタカナ表記の発音はぴったりマッチしていて、フランス人にとっては何ら違和感はないのだそうです。レモンはフランス語ではcitronですから、日本人のように即座に果物のレモンを連想する習慣のないフランス人にとては問題はないのでしょう。

 ちなみに日本ジョルジュ・サンド学会は、共著『ジョルジュ・サンドの世界』を刊行した折に、こうしたカタカナ表記が問題となり長い議論の末、これまでの翻訳の表記にあったアンデイアナとレリアをアンディヤナとレリヤに改め、統一することに決定しました。二重母音ですからPianoは、フランス語ではピヤノでなくてはならないはずだ、私たち教師は勇気をもってこうした先人の誤りを訂正していく義務がある、という議論が勝算を得たのでした。
しかし、このように共有度の低い言葉については問題は少ないとはいえ、英語の影響により日本人の意識の中にすでに長い間、居座り、文化として内在化してしまっている言葉については、これを正しいからといって即座に訂正できないものもあるような気がします。

 いっそのことクレオール語のような言語に変化してしまえば、独立した言葉として存在権を主張できますが、このように曖昧な形で言葉が混在化した運命を引き受けている日本語は、ある意味ではもうひとつの悲劇の言葉といえるのかもしれません。しかし、現代世界は、どんな作家も自国の言葉のみでものを書くことはできない時代だとも言われます。それほどに、どの言語にも他国の言葉が多少なりとも進入し混在しているのです。

 それにしても、学生によってはなかなか正しく覚えてくれない、rendez-vous(会うこと、予約)、chemise(ワイシャツ)、travail(転職や旅行ではなく仕事、勉強)といった言葉に出会うと、最初にこの言葉を訳出した先人を少し恨みたくなってしまいます。