ウズベキスタンの風

ここはウズベキスタン。首都から約1000km北西に位置するウルゲンチで活動する看護師の日記。            

春だ春だ春だ~♪

2010年03月29日 | ウルゲンチ

一面枯れ木と砂のまっ茶色なさみしい世界に
花が咲いた^^
暑くなったり寒さが戻ってきたりしてる近頃のウルゲンチだけど
この杏の花をみて元気をもらってます!
(そう、これ杏なんですって。桜に似てない?桜かと思ったよ私。)


緑もほらこの通り!
茶色の中の緑ってほんとに映える☆
そしてひきつけられる。
なんだろうね、この新緑のパワー☆★☆
これからいっぱい生きるぞー!!って言ってる気がするもん。
毎日慣れない生活と、慣れない言語と見通しのつかない活動に
悩んだり落ち込んだりするけど、頑張らないとなぁって思わせてくれるよね。
ありがとう春!

トラブルッ!!

2010年03月23日 | ウルゲンチ
夜中。
チョロチョロチョロ~・・ピチャピチャピチャ・・
小川のせせらぎのような心地よい音でさわやかな夢をみた♪
うっすら起きたはずなのにまだ聞こえる。
ピチャピチャピチャピチャ
「う~ん・・雨かなぁ?まだ眠いぃ~。」
ちょっと寝そうになってまた聞こえる
ピチャピチャピチャ
・・・音が近い。
まさかっ!!



きゃ~っ!!予想が当たった!
でもうれしくない!
水漏れだ。
どうすんのこれっ。
まだ頭は寝てるのに考えなくちゃ。

で、取り合えずしたことがこれ。


ビニール袋をあてがう。

でもビニールじゃ変形するから目が離せないしどうしよう(オロオロ・・)
袋の位置を調整しているうちになにか黒っぽいものがポロリ。
!?
そのとたんもう1か所からポタポタポタポタ・・
もー!悪化しちゃったよ。応急処置失敗。
ってゆーか何時よ?
3時半・・・
大家寝てるだろうなぁ。100万が1起きても今来てもらっても困るし。
朝まで待つしかないか・・
あぁ、ビニール袋がいっぱいになってきたぁ。
お風呂場に水を捨てに行って、と。
あ。洗面器。



変形しないから水溜まるまで動ける!
洗面器最高。なんて優秀なんでしょうあなた。
こんなに洗面器を褒めたことはない。
うれしくなって時計を置いて写真なんか撮ってみた^^
3月19日 4時26分02秒
何やってるんでしょう、早朝から。
15分おきに水を捨てながら朝を待って。
身支度もしたし、早く直れば仕事も行ける。

7時大家(26歳 男性)に電話。
「○☆▼△■×ξ・・・・」
ロシア語のお姉さんがなんかしゃべってる。
何度電話してもつながらない。
さては電話代払ってないな。
とりあえず同僚に電話して今日は行けないことを伝えた。
さらに2時間待って、大家に電話。
つながらず。
もう仕方ないっ!
洗面器にビニール袋をかぶせて、大家のお父さんのお店に行く。
お父さんは説明するとすぐに息子と連絡をとってくれた。
奴が来るまでのあいだお父さんと、お父さんの義理の弟さんとお話をした。
義理の弟さんはウズベクにしては珍しく日本について良く知っている。
話してて癒された。日本て言えば「おしん」しか知らないもん。他の人。
30分くらいしてやっと大家が来た。
寝てたらしい。
大家が電源切るなー!

一緒に家まで行って応急処置。

若干水の出が少なくなった。
この時すでに11時をまわってた。
そして職人さんがきて何やら話をしてまた出て行ってしまった。
そんなことが2~3回あって、ようやく大家だけが帰ってきた。
そして・・

大「あ~、退屈になっちゃった。パソコンみせてよ。なんか面白いものないの?」
私「無い」
大「無いの?退屈だなぁ、なにしようか。」

何しようかじゃなーい!責任感のせの字もない。
しょうもないっ!

30分以上待ったかな。
職人さんがようやく到着して、バーナーとそこらへんに落ちてそうな
錆びた針金で溶接を始めた。
15分くらいで終了。


結局全部終わったのは13時30分。
溶接の写真撮っておけばよかったって後で思ったけど、
寝不足と大家への無駄な怒りで疲れ果てて忘れてた。
しかも大家、最後に人ん家で顔と頭を洗って帰った・・・
手と顔を洗いたいと言ったからOKしたのに
靴下をぬぎ、お風呂のカギを閉めた。
さっぱりした顔で出てきた時は髪の毛も綺麗に整えられていた。
「ちょっと。いいかげんにして。」
多分あの大家とは最後までおりが合わないんだろうなぁ。

因みに今回溶接した部分の床に焦げた跡があったから、
多分初めてじゃない。
帰るまでにあと何回この腹立たしいやり取りをしなきゃいけないんだろう・・
気が重いよ。
これからはお父さんを頼りにしてこう。

先週の木曜日の出来事でした。











アラル海へ

2010年03月18日 | ウルゲンチ
週末アラル海に行ってきた。
アラル海はウルゲンチからさらに北西に4~500キロ行ったとこにある。

道中、雪?ウルゲンチは15℃以上はあったけど・・・


するとドライバーさん「塩だよ」と。
ウルゲンチなんてまだまだ生活しやすい場所だったのだと実感。
お湯を送る配管も見当たらないし、この辺に住んでる方たちは
どんな生活をしてるんだろう・・・

アラル海はとても遠いので、途中1泊。
たくさんの遺跡を見て回って泊まったのはユルタという場所。



中はこんな感じ。
電気は太陽光発電で、終わったら終わり。
到着したのが16時くらいだったけど、電気18時近くにはなくなってしまって
暗い中夕飯を食べた。
中に薪ストーブがあって、木をくべながら暖をとりました。

翌日アラル海へ。
途中何もないさみしい道が続きました。


アラル海。
海岸線ははるか向こう。
テレビでよく見る置き去りにされた船と、砂漠が続くばかりの土地。
ここまで来ると気温差がさらに広がってすごく寒かった。
曇っていたのも手伝ってさみしい印象が残りました。
この周辺も塩が多くて冬に凍った水がまだ溶けられずに残っている状況。
海が無くなってから漁業で生活をしていた人たちの仕事が無くなり
たくさんの人がロシアやカザフスタンに出稼ぎに出たそうです。

いやぁ、考えさせられます。











今感じてること

2010年03月09日 | ウルゲンチ
昨日は国際女性の日ってことで、病院はお休みでした。
この国ではこの日が結構大きなお祝いの日に位置づけられているみたいで
私が働くICUでも、土曜にパーティーがありました。
食べて飲んで踊って、すごく楽しかったなぁ。
日本との違いは「さぁ、2次会~!」とはならないところ。
19時前には(16時開始)終わってみんな帰りました。
この国はイスラム教の方が大半だけど、長くソ連の中にあったからか
そんなに敬虔なイスラム教徒はいないです。
まだお祈りをしている人を見たことがないくらい。
宴会でもウォッカをがぶがぶ。
でも自分を見失うまで飲む人はいなかったです。
最後の班飲みの誰かのように・・・

私が働いている病院は国立病院で、治療費や一部の薬(麻薬やカテコラミンなど)は無料。
国の人々はとても助かってると思う。
ただ、そのほかの薬と、尿の留置カテーテルなんかも家族が薬局から買ってきたものを
使う感じ。
それにどのくらいお金がかかってるのかはまだ調べてないけど
それでも治療費無料に勝るものはないか。
働いている看護師さんもDrもみんないい人たち。
新規派遣にも関わらず受け入れてくれています。

まぁ、まだ毎日何もできていないわけなんだけどね。
いいなぁ、と思うのは患者さんと看護師のあいだに壁がないこと。
日本は医療ミスに過敏になりすぎてて患者さんはまだしもその御家族と
関わりづらいってことも多かった。
でもウズでは同じ目線で話してる。
ご飯は病院供給ではなくて家族が作ってくるんだけど、
それを一緒に食べたりしてるからね^^
日本では看護はサービスになっちゃったけど
私はこういう関わり方も大事だと思った。
ただね、あんまり緊張感がなさすぎて、仕事とそういう関わりの時間の区別が
ついていないのはちょっと問題なんだけど。
日本と足して2で割りたい。
先進国の看護が全部いいわけじゃないよね。

今週も毎日7番ダマスに乗って通いますよ~!
みんな元気?
風邪引かないようにねっ!
うがい手洗いだよ!!



船便が届いたー!!らしい

2010年03月05日 | ウルゲンチ
怖い噂ばかり聞いて、半分あきらめていた船便が届いたようです^^
やった!
夏は40度以上になるウルゲンチで、夏物がないのは痛すぎると・・
現地の服を着て過ごすことも考えていただけに
うれしいですねぇ。
やっぱ、ゆうぱっくの箱だとしっかりしてるし
ちゃんと届く確率高いのかもしれないですね。
しかしながら届いたのは首都。
そうです、1000㌔離れたタシケント。
4月位に看護師の集まりがあるのでその時まで事務所で待ってていただきます。
飛行機で迎えに行くからね。私の夏物たち・・・。

最近毎日晴れて気持ちがいいよ^^
そういえば、あったかくなったからってコンロのガスがめっちゃ少ない!!
この国ではコンロのガスをつけっぱなしにして部屋を暖める習慣があるんです。
それでいま春が来て、ガスつけたら1センチだもん(TT)
コンロは料理のためにもあるのだと訴えたい。
あれじゃ時間がかかってしょうがないね。
仕方ないんだけれど・・

ウズに来てまだ2カ月。
まだまだいろんなことに驚かされそうだ。