ウズベキスタンの風

ここはウズベキスタン。首都から約1000km北西に位置するウルゲンチで活動する看護師の日記。            

ちょっと前に進めたかな

2013年03月11日 | 岩手県
岩手に来て10カ月が経とうとしています。

まさか、またこのブログを更新するとは自分でも思わなかったな。

FBにあげることも考えたけど、長い独り言はこっちで処理しようか。


5月、陸前高田市に初めて足を踏み入れたのは夜だった。

途中の町で、初めて自分の目てみた仮説住宅。それを見ただけで、テレビの中の出来事がぐっと現実味を帯びてきた。

思わず「あぁ、すごいな。」って言ったら、

調整員に「こんなもんじゃないよ」と言われた。

分かってる。

そういうつもりで言ったんじゃない。

暗に、「なめるな」と言われた気がした。

その人は、震災直後からずっと高田にいる人で、いろいろ、状況も人も見てきた人だから

高田を愛していて、新しく高田に入るボランティアには、ちょっと警戒しているようにも見えた。

そして、ちょっとした発言が、地元の方を傷つけること、そういうのがいっぱいあること、

それを一番に注意するように言われた。

そして私は動けなくなってしまった。

委縮した。

震災直後を知っている人のテンション、これから被災地を知ろうとする人間にはちょっときつく感じる。

私は今しかわからない。

それが、罪悪感になっていった。

被災地の現状を初めてみた時、涙がでそうになったけど、それも一番大変だった時を知らない人間が

泣いちゃいけないんじゃないかって感じてひっこめた。

何話せばいいか分からなくて、地元の方とも積極的に話せなくて、

一緒に働くスタッフの輪にもうまく入れなかった。

仕事はしたけど、「一緒に仕事をした」という感じじゃなかったかな。

そしてひと月が過ぎて、任期が終わって、隣の隣の町で働き始めた。

ずっともんもんしてる。

なんなんだろう。

気持ちが消化不良起こしてる。

そういう気持ちで今日まで居た。

今後の進路を決めるに決められないのも、この消化不良を起こしていたからだと思う。


今日、3月11日、3年目に入った。

ある仮設住宅の追悼式に参加した。

やっと、自分から動いてなにか出来た気がした。

やっと、自分の気持ちを自分で受け入れられた。

やっと、ちゃんと泣けた。


悲しいとか、辛いとか、ショックとか、そいういう自分で感じたそのままの気持ちをそのまま受け止めればよかったんだよね。

それに、やっと気づけた。

そして、そういう気持ちを共感することから始めればよかったんだと。

「被災者」って名前がついただけで、委縮してしまったけど、

同じ人だったんだよね。

自分の中の罪悪感が、物事をゆがめてみせてたんだろうな。

それで苦しかったこころ。

今日追悼式に参加出来たことで、ちょっと楽になれました。


知り合いの臨時職員は、やっぱり県外から来た人で、「被災者」さんたちと接する仕事をしている。

ただでさえ、違う土地に住むのはある程度ストレスがかかるのに、

ここはその何十倍ものストレスがかかる。

難しい。

行政に派遣されている人が自殺してしまったりしてるけど、だれもがそれと隣り合わせでやってるんだよね。

辛い思いをした人たちの為に働いている自分たちが

「辛い」とは言えない。言っちゃいけない。

でも本当はすごく「辛い」、「休みたい」。

その人たちのフォロー体制を充実させる前にやることがいっぱいある現実。

支援者の支援、それか、リフレッシュするための定期的な長期休暇、それは絶対必要。

それより被災者支援が先だという元気な人がいるなら、来てやってほしい。

支援者も疲れてきてる。

だから地元の人たちもなおさらだ。

そんな現実を最近目にします。

あ、話ずれたね。


私もどこかで吐き出さないときつかった。

ブログあって良かった。

読んでくれた人いたら、ありがとう。