ウズベキスタンの風

ここはウズベキスタン。首都から約1000km北西に位置するウルゲンチで活動する看護師の日記。            

アラル海に行ってきました。(長いよ)

2011年10月05日 | 旅行
週末を使ってアラル海に行ってきた!

前は船の墓場のあるムイナクと言う町までだったけど、今回は海まで。

キルギスから同期隊員Mちゃんと22-1Sちゃんが来てくれたおかげで実現!

いいタイミングでタシケントのFさんもいっしょに行くことができて女4人旅

みんながみんな初めて旅する同士だったのにもかかわらずすっごい居心地が良い。

なんだこりゃ?って思うくらい。

いままでずっと一緒にいましたよねってくらい自然で不思議な感覚だったなぁ

そんなだから旅も当然楽しかった

ドライバーのハッサンさんも渋くてかっこいいおじさんで、

ぎゃーぎゃーうるさいマイペースな女性4人を上手にせかしてアラル海まで連れて行ってくれました

そうは言ってもキルギス隊にとっては超弾丸ツアー!

キルギスを出発したその日にウルゲンチまで来てくれて(その時点でかなりお疲れの様子だった)

そのまま夜にヌクスまで移動。

次の日にはアラル海に着いちゃってるもんね、ウズに来て2日目にはもうアラル海にいるってものすごい工程だよね。

ほんとにお疲れ~そんなんで行きの車の中はほぼ爆睡。

本領発揮したのは帰りだったねぇ、よくしゃべったわ

ヌクスからいろいろなビューポイントをめぐってアラル海へ。



こんな道を砂煙をあげながらひたすら進む。

こんなときのトヨタのランクルはほんとにかっこいい!!


日本の道を走るランクルがかわいそうに思えてくるほどに。本領発揮!!








なんとも不思議な世界でした。

ここは人が住んでいない。

オキアミ漁をする中国人がぽつんとユルタにいるだけで、文明みたいなものはなにもない。

ほんっっっっっとになんにもない。

その日は風もなくて、目の前にはただただ海があるばかり。

だまっていたら吸い込まれそうな静寂でした。

人の気配のしない、生活のかおりのしない海なんて初めてだった。

太古の海とか原始の海に思いをはせて壮大な気もちになりました。

1月位あそこに住んでたら悟れそうな世界でした。

海の音しかないってすごいよ。もう一度行きたくなる。

夜も天の川が見えるほど星がきれいで、その中でウォッカを飲みながら食べる夕食。とってもおいしかった~。

MちゃんがただひとりU.F.O.を目撃!

人間ほんとに驚くと動きがとまるってことがわかったね(笑)

ちなみにウズ語ではUFOを「ウフォー」と発音するようです。

寝るのはテント。

星空をもっと眺めていようかなぁなんて思っているうちに爆睡していて朝だった

朝ごはんを食べながらハッサンがこの土地の話をしてくれた。

世界大恐慌のときはみんなが職や食べ物を求めてここにやってきたと。

漁業で栄えており、農業もさかんなカラカルパクはなんでもあった。

でもソ連が「自然改造計画」をしてから水がなくなってしまった。

モスクワからプリカズ(大統領令)が電話で発信されたらだれもなにも出来ない。それに従うだけだった。

今もカラカルパクにはなんでもある。天然ガスなんかいらないから水が欲しい。


アラル海の朝、とても貴重な話が聞けた。

ウズ語が出来て良かったって初めて思ったかも。

まだ漁業をして生活している人はいる。

アラル海近くの湖で。


ウィキペディアより

もうすぐ大アラル海も干上がってしまうね。



で、長話してたら帰るの明日になっちまうぞ!ってまたせかされて、もう一度浜辺に行きたいなんて

言えないまま車に乗せられ帰路につく

アラル海でゆっくりできたせいか、自然のパワーを吸収できたからか、一同良くしゃべる!

ハッサンも意味分からないだろうけどげらげら笑う私たちを見て微笑む

きわどい話もしたけどね、おもしろかったなぁ。



なかなか味わえないこの居心地のよさはかけがえのない思い出になりました

そうそう、ご飯を全部お願いしてあったんだけどね1人30ドルで4食!

全部ドライバーのハッサンがやってくれるの。感動だよ~

それにしても水やら果物やらやたら多いから、これ全部食べた人居るんですか?ってみんなで聞いてみた。

そしたらね、砂漠の中だと携帯もつながらない。夏なら50℃の中助けを待たないといけない時もある。

冬ならその逆-45℃のなか。

帰ると言った日に帰らなかったらトラブルありとみなして助けが来ることになっているけど、

その間の分、水と食料を多めに用意してくれているのだそうだ。

さらに感動!!!!!

ハッサンありがとうアリシェルさんありがとう!!


ヌクスにまた1泊したんだけど、キルギスの調整員さんお勧めのブタシャシュリク屋へ!

その名も「ええじゃないか」

いや、ほんとです。日本名で「ええじゃないか」だそう。

キルギスの調整員さんがウズでボランティアをしていた時代仲良くしていたようで、

調整員さんが帰国後、お店の人たちは日本に行ったそう。

そして富士急に行き、「ええじゃないか」に出会ったようだ。

店内は日本のスナックのようなつくりでちょっとおもしろかったけどそこでシャシュリクを食べた

うまいっ!!!!!

ヌクス駅まえのシャシュリク屋(一番駅側)ですっ。

日本語話せるお兄さんがいるよ

夜はFさんに夜中までつきあってもらってお悩み相談室。とっても癒されました


ヌクスの美術館に行き、ソナタという韓国人が経営する素敵なカフェでお昼を食べ大満足!!!




思い思いのケーキを買ってウルゲンチに。

帰りの運転手さんもいい人だったなぁ。

ウルゲンチではキルギスSちゃんの同期隊員2名が待っててくれていて一緒に夕飯。

Fさん、Sちゃん、Moちゃん、Kくんが同期、私とMちゃんが同期。

みんなリラックスして楽しそうで良かったよねぇ


この旅で言葉についてちょっと感じたこと。

私は事務所に「ジパクジョり」というホテルに泊まると申請していた。

しかしながら夜宿の名前を聞いたら「イパクユル」だという。ウズ語でシルクロードと言う意味。

あぁ、まずいなぁ、連絡しなきゃいけないかなと思っていたら、ホテルの入り口に「ジパクジョリ」って書いてあった。



???

どうやらカラカルパク語のシルクロードだったようだ。

ウズ語がキルギスでも通じるようにキルギス語もウズでは通じる。

Mちゃんはウルゲンチに来てからの方が聞き取りやすいと言っていた。

ウルゲンチから北は濁音が多くなる。

で、カラカルパクに行くと、「イ」や「ユ」が「ジュ」の発音になる。

「ユル!」(行くよ!)も

「ジュル!」となる。

「イパクユル」が「ジペクジョリ」になっていたのもそういうことらしい。

そういうところはキルギス語とよく似ている。

キルギス語で「はい」は「オゥワー」って感じだったけどこれもウルゲンチの「アゥワー」とそっくり。

ウルゲンチから北はキルギス、カザフよりなんだなぁって感じた。

トルコ語もよく似ているらしいし意外とウルゲンチでウズ語を学んだことは悪くないかもね。

って、私たちが帰国3カ月前だっていうときにトルコが開いたよ。

任国外。

くやしー!!!

改めて、いつか旅行しよう。


旅行から帰ってきてここ2日、なににあたったのか久しぶりに激しい胃腸炎症状で悩まされました。

病院も休んだ。

ようやく食べ物を受け付けるようになって元気になったのでブログ更新と相成りました。


駆け足でしたけど、アラル海、お勧めです!!!

キルギス隊員さんも是非来てください!!!!!

ウズ隊員は行かなきゃ損よ~

ただいま!

2011年08月22日 | 旅行
ただいま!

帰ってきました~。


キルギス、もう、ほんとうに最高!!!

私の任地は砂漠の向こうの町。

だからまわりを見回しても山なんてない、川だって干からびるし、砂が俟っている。

そんな乾燥した、茶色の世界から一変、キルギスには自然がたっぷりあった

なんと癒されるんでしょうね。

雪をかぶった山の美しさといったらないね。

昨年のカザフの山々にも癒されて帰ってきたけど、キルギスもまた最高だった☆

でもわたしひとつやらかしたのよね。

なにって、前日はりきってカメラのメモリー空にして、写真いっぱいとるぞ!!

って準備してたらそのメモリーPCに忘れちゃったっていう最悪な失敗を犯しましたよ

ということで写真はあとで一緒に行ったメンバーにいただくことになっております。


キルギスでかったお土産

キルギスはフェルト製品がたくさんあって、とてもかわいいものばかりでした。

一緒に行ったAちゃんに影響されてフェルトのスリッパ購入!

これは買ってよかった♪

お土産めぐりに1日中付きあってくれた同期の2人に感謝!!!!!

このキルギス旅行は観光目的と言うより、同期に会いに行くという目的の方が強かった。

私たちが行くと言ったらったら休みをとってつきあってくれた首都隊員さんたち。

離れた任地から集まってくれたイシククル県の隊員さんたち。

ほとんどの同期に会えました

ほんとにありがとう☆

みんな愛してるよ~


同期に囲まれてわいわいやるってあんなに楽しいことだったのね。

思い出したよ。

一人赴任の子とかいたけど、大変だろうな。

分かってくれる人がそばにいるというのは大切だと実感した旅でした。

久しぶりに心から楽しいと思える旅だった


そんな風に私が楽しんでいる間、日本は66回目の終戦記念日を迎えたのですね。


8月15日、飛行機の中で読み始めた本

彼のお勧めで買ったのだけれど偶然にも8月15日読み始めたのがこの本。

第2次世界大戦での一人の男性の生きざまが書かれていた。

読んでいて昔の日本政府に本気で腹を立てたり、今にも通じるものを感じたり、こころが忙しくなる本だった。

でも登場人物に熱烈に会いたいと思ったのは小学生のころピーターパンに会いたいと思った以来2度目。

この本に出てくる「宮部さん」という人に会いたいなあ。

私はあんな風に生きられないだろうな。

黒と言わなければ間の扱いをされる世で、いや、白だ!と叫ぶでもなく、静かに白を生きる。

かっこよすぎ。

この本の中に情報操作のことが沢山出てきたけど、それはなにも戦時中に限った事ではないよね。

今までテレビや新聞で言われていることが正しいことだと信じていたけど、

日本のテレビから離れてそうではないことを知ったよ。

ウズの情報操作に腹を立てながら、日本も変わらないことに、なにが先進国だとがっかりした。

私たちは、情報を自ら得なきゃいけんよね。

垂れ流される情報だけを得ているだけではもう本当のことは何も見えないもんね。

だれのなかにもある、ほんとうの心の声にしたがって、偏った情報ばかりにきをとられないようにしよう。

そんなことも考えさせてくれた本でした。

お勧め。

何を感じた?

2010年10月03日 | 旅行
お久しぶりです。
旅から帰ってまいりました。

でもなんか、書く気が起きなくて日が経っちゃったな。
私にとってとてもいい旅だったんです。
いろんなこと考えて、感じて、確認して、元気になった旅でした。
でもなんかそれを言葉で表すのがむずかしくって。
感じたまま残しておきたいっていう気もしてね。

行ったのは、ヒバ、ブハラ、サマルカンド。
世界遺産を見て回った感じになるかな。
どこも観光地だけどそれぞれの顔があっておもしろいと思った。


ヒバ(私の任地のある地域)では前に観光隊員さんが入っていたこともあって、
現地語を話す私には現地人価格を言ってくれる人が多い。
私はウズ内の他の観光地に行ったことがなかったからこれが普通って思ってたのね。

そしたらブハラに行ったらもうそんなのおかまいなし。
ここで働いていると言っても、ヒバではもっと安いと言っても
観光客価格で言ってくる。
「ありえん!」「がめつい」「うそつき」
って思いながらまわった。

別にお金を持ってないわけじゃない。
払える値段なんだけどさ、なんか腹が立つ。
なんでこんなに腹が立つんだろう??
そんな疑問を抱えながらの旅になった。

この旅行で沢山のウズベク人に出会ったけど、みんな人懐っこくて警戒心がない。
私がウズベク語を話すと知った瞬間に質問攻めだった@@;
なんかそんなウズベク人が愛らしいなと思えたんだよね。
それは今までの私になかった気持ちかな。

JICAの研修とかでも、現地に来てからも安全のためにいろんな話を聞く機会がある。
いろんな怖いことを想定して安全管理をしなくちゃなんない。
自分は警戒心のかたまりだったと思う。
赴任した時、アパートの準備がまだできてなくて、鍵だってなにそれ?って感じのだったし
2重扉じゃないし。いろいろ聞いてたのと違って本当に怖かった。
地方だし、JICAはすぐには来れない距離で。
事務所に怖いことを訴えたけど、大家に厳しく言うとかもなかった。
教えられてきたことと違うのに、現地事務所はオッケーなんだ。
だったらあんなに脅かさないでほしかった。
実際今まで暮らしてきて、この国の治安の良さを実感してる。
今になって事務所の対応も、そういうことかと納得出来るけど、
赴任当初から半年くらいはウズベク人に対して全然心を開けなかった。

変に硬いところがあるんだよね、私。
まじめに聞きすぎたよ講義・・・

ようやく最近になって、もっと自分から寄って行っていいんだなって気付いた。
っていうか自分が警戒していることに気付けてなかったのかな。
ウズベク人て、ちょっとずるい人もいるけど心底悪い人はいないって分かってきたし。
そんな経過もあって、旅行をしていてちょっとウズベク人が好きになりました。

でね、タシケント戻ってきてタクシーに乗る機会があった。
ホテルの前、駅の前はほんとみんなぼったくりの値段を言ってくる・・・

(またかぁ。)って思いつつ交渉する。
私「お願いお願い、もう一声!!」
ウ「・・・・いいよ、しかたないなぁ。4000で。」
私「ありがとーう!!」

このときね、4000でも結構高いんだけど別に腹は立たなかった。
なんかね、感じたんだよね、ちょっとした愛を。
私の交渉の仕方も普段とは違っていたように思う。
ウズ人を好きになったことで、変わったものがあるのかも。

ブハラで腹が立ったのは愛を感じなかったからかも。
自分がただの観光客なら払うけどさ、ウズ語勉強して働いてるじゃんここで。っていう
「現地人と同じ様に見てよ」って思いがあったんだとおもう。
値段の問題じゃなくてね、なんかさみしいような認めてもらってないような、
そんな気持ちで腹立たしかったんだと思う。
ちょっと傲慢だったかな。ウズ語勉強して働いてるなんてここの人には関係ないもんね。
わかってほしいって気持ちが強かったみたい。

そんな甘え方・・・
ウズベキスタン、全然好きになれないって悩んでたけど、いつの間にか不器用な愛情が育っていたようです。
そんなことに気付いた旅でした。

写真はあまりとらなかったから、1枚ずつくらい載せときますね。

旅行記というか心のなかのお話でした。
またね。



ヒバ


ブハラ


ウズベキスタン伝統工芸のスザニ。全部刺繍して作られていてとてもきれい。

サマルカンド(シャーヒズィンダ廟)

有名なシェルドルメドレセ。偶像崇拝禁止のタブーを破って書かれたライオンと人。


カザフスタン旅行⑤

2010年08月11日 | 旅行
ホテルに帰って2日間お風呂に入れなかった分の汚れを思う存分落として就寝。
次の日朝、起きてみるとベランダから雪山が見える。
なんだか懐かしい風景だな^^


この日はアルマトゥでお土産選び。
カザフで有名なラハットというお店のチョコを購入したり、
革製品をみたりフェルト製品を見たりして楽しんだ♪

ユルタとラクダさん


カザフの伝統楽器「ドンブラ」等々


停電時、ろうそくに照らされながら微笑む2人♪

お昼はまたあの「かぶと」へ行ってきた!
私はうどんを♪他の隊員は天丼とかそばとか食べてた。
おいしかった~!!!
ヤポンスキー最高☆

来年2月に冬季オリンピックがここカザフスタンで開催される。
町から少し離れれば濁った緑色の水で水浴びをしている環境だったけど、
あと半年で選手たちの受け入れは大丈夫かな?
あぁ、でもメインは首都アスタナか。
時期的にはもう一度任国外旅行してもいい時期だし、オリンピック見に来るのもいいかもね^^
なんて思いました。


カザフスタンは観光資源が沢山あって本当に素敵なところです。
でも、国として観光業を管理していないため、
カザフスタンの旅行会社は料金をかなり高く設定しているそうです。
同じ中央アジアのキルギスやウズベキスタンに比べて何倍もの料金がかかるので
中央アジア周遊プランを作りにくい状況だと言っていました。
発展し始めている国だけど、まだまだのところは沢山ありそうでした。
それぞれの国にそれぞれの問題があるんだなぁ。
それを知ることが出来たのも、今回私たちのガイドをしてくれたカザフ人御家族のおかげ。
彼らは日本に住み、日本語を勉強してくれました。
お互いの言葉を学ぶっていいことだなと思った旅でした。

ウズ語なんて帰ったら絶対使わないし、生涯役に立たないと思うけど、
いまはちゃんと勉強しようと思った私でした。



カザフスタン旅行④

2010年08月09日 | 旅行
翌日。
快晴!!
やったっ!!

朝起きてすぐに近くの湖を散歩することに。
昨日は曇っててあまりきれいに見えなかったけど、やっぱ晴れるとすっごくきれい!!





暖かければ泳げるこの湖。
でも夜になるとすごく冷えるから、水はとっても冷たかった。
でもどこにでもいるね、はしゃいじゃう人が。
何人か知らないけど数人の男の人たちがこの冷水に飛び込んでいた。
写真に収められず残念・・



湖の周りの山の裾を歩いて散歩した。
湿った土の香り、澄んだ空気、みずみずしい苔、
どれも最高だった!
生き返ったなぁ。



少し遅めの昼食を食べて、またアルマトゥに向けて出発!
2日目くらいでデジカメのバッテリーがやばくなってしまったから
あまり沢山の写真が撮れず残念だったな。
新品のカメラじゃないならバッテリーの替えは持ってきたほうがいいかもね。

いよいよあした帰ウズだ。
いい国だったなぁカザフスタン!!



ガイドをしてくれたのが中国ウイグル地区で生まれ育ったカザフ人家族だったから
お母さんにウイグル風ラグモンの作り方を教わった^^
ウズのもおいしいんだけど、ウイグル風はちょっとピリからでおいしいんだよね♪
冬になったら作ってみよう☆