ご無沙汰しておりました。
キリスト教徒ではないですが、こういうきっかけで過ごせる人がいると言うのは幸せなことです。
プレゼント選びは苦手ですが、年に一度こういう日があってもいいね。
いやぁこの2週間、ほんとに忙しくすごしておりました。
最後のセミナーが終わった後、日中は同僚たちとのお別れ。
夜は帰国報告の準備と部屋の片付け。
やっとのことでタシケントに上がった後は、医療部会、帰国報告会、もう一度医療部会、送別会、と催し物たっぷりでした。
まずは同僚とのお別れについて書こうかな。
帰国報告でも言ったし、ウルゲンチ隊員には話したけど、
同僚たちとはほんとに家族のようになりました。
うん、知らないうちになってました。
私は思ったことをはっきり言うので、けんかになったり雰囲気悪くなったりいっぱいしたけど、
彼女たちはそれを引きずらないんだよね。
次の瞬間には忘れてまた普通に話せるし、笑いあえる。
そういうところに助けられていたんだと思います。
日本では、そうはいかない。
あの人はそういう人だときめつけられて、窮屈な思いをして働かなくてはいけなくなる。
あんなに言いたいこと言いあっても笑いあえるってもう家族でしょ。
一人のサニタリカが言いました。
「お互いのいいところも悪いところも全部知って、家族みたいになったのに、帰るのね。」
同じ気持ちでした。
先輩隊員が1年前、帰りたいと思えないって涙を流したのを見て、
自分がそうなれるのか不安でした。というか多分無理って思いました。
だからそういう先輩隊員がうらやましく見えてましたね。
けど、そうなれた。ほっとした気もちも正直あります。
私はなかなかウズベキスタンのこともウズベク人のことも好きになれませんでした。
でも好きになった方がいいに決まってるでしょ、活動の面でも、心の面でもとにかくすべてにおいて。
好きになれればもっと活動もスムーズになるのも分かってたから、余計、苦しかったです。
他国の同期隊員の話を聞いていると、自分の国が好き!同僚が大事!って言うんですよ。
そう思えない自分がとっても劣った人間に思えて仕方がなかったです。
だから、帰りに、涙を流して、寂しくて離れたくないって思える関係を作れたんだって言うことが
とてもうれしいです。
同僚たちのお陰だと思っています。
べらべらよくしゃべって下ネタ大好きで、かなりパンチのきいたサニタリカさん。
でも情があつくて、涙を流して私と別れを惜しんでくれました。お世話になったなぁ。
彼女はICUで一番賢い子。最初みんな外人と話すことを怖がっていたけれど、彼女だけ積極的に寄ってきてくれました。とても勉強熱心で、今はヌクスにあるハイレベルな病院とかけもちで働いています。
医師になりたいと言うので、私が日本で使っていた聴診器をプレゼントしました。
患者さんのことを良く診ているし、日本でも働けると思う。
活動を終了した後も、食事に誘ってくれて一緒にウォッカを飲みました^^
タシケントに上がる日は、大きなタクシーを用意して
空港まで見送ってくれたんです。プレゼントと手紙も用意してきてくれて。
感動しました。本当に感謝。
彼女はブログにもよく登場したミフレボン。
彼女もとても賢い子で、察する能力が半端ありません。
察するってね、日本でだって難しいでしょ、彼女は人をしっかり見ていて、その人の気持ちちゃんと分かろうとしてるんですよね。だから私も沢山助けられた。
彼女のこと心から尊敬しています。
離れるの、一番つらかった・・・。
全員紹介したいくらいだな。
みんなのこと大好きです。
こんなに大切な友達がウズベキスタンにいるって、私の自慢です。
私を受け入れてくれた彼女たちに感謝の気持ちでいっぱいです。
彼女たちに沢山幸せが訪れますように
困難があってもそこから沢山のことを得ることが出来ますように
笑顔が絶えない人生になりますように
ドクターが大きいのか、私がチビなのか・・・
ここまでのことちょっとずつブログで振り返って行きますね。
ではまた。
キリスト教徒ではないですが、こういうきっかけで過ごせる人がいると言うのは幸せなことです。
プレゼント選びは苦手ですが、年に一度こういう日があってもいいね。
いやぁこの2週間、ほんとに忙しくすごしておりました。
最後のセミナーが終わった後、日中は同僚たちとのお別れ。
夜は帰国報告の準備と部屋の片付け。
やっとのことでタシケントに上がった後は、医療部会、帰国報告会、もう一度医療部会、送別会、と催し物たっぷりでした。
まずは同僚とのお別れについて書こうかな。
帰国報告でも言ったし、ウルゲンチ隊員には話したけど、
同僚たちとはほんとに家族のようになりました。
うん、知らないうちになってました。
私は思ったことをはっきり言うので、けんかになったり雰囲気悪くなったりいっぱいしたけど、
彼女たちはそれを引きずらないんだよね。
次の瞬間には忘れてまた普通に話せるし、笑いあえる。
そういうところに助けられていたんだと思います。
日本では、そうはいかない。
あの人はそういう人だときめつけられて、窮屈な思いをして働かなくてはいけなくなる。
あんなに言いたいこと言いあっても笑いあえるってもう家族でしょ。
一人のサニタリカが言いました。
「お互いのいいところも悪いところも全部知って、家族みたいになったのに、帰るのね。」
同じ気持ちでした。
先輩隊員が1年前、帰りたいと思えないって涙を流したのを見て、
自分がそうなれるのか不安でした。というか多分無理って思いました。
だからそういう先輩隊員がうらやましく見えてましたね。
けど、そうなれた。ほっとした気もちも正直あります。
私はなかなかウズベキスタンのこともウズベク人のことも好きになれませんでした。
でも好きになった方がいいに決まってるでしょ、活動の面でも、心の面でもとにかくすべてにおいて。
好きになれればもっと活動もスムーズになるのも分かってたから、余計、苦しかったです。
他国の同期隊員の話を聞いていると、自分の国が好き!同僚が大事!って言うんですよ。
そう思えない自分がとっても劣った人間に思えて仕方がなかったです。
だから、帰りに、涙を流して、寂しくて離れたくないって思える関係を作れたんだって言うことが
とてもうれしいです。
同僚たちのお陰だと思っています。
べらべらよくしゃべって下ネタ大好きで、かなりパンチのきいたサニタリカさん。
でも情があつくて、涙を流して私と別れを惜しんでくれました。お世話になったなぁ。
彼女はICUで一番賢い子。最初みんな外人と話すことを怖がっていたけれど、彼女だけ積極的に寄ってきてくれました。とても勉強熱心で、今はヌクスにあるハイレベルな病院とかけもちで働いています。
医師になりたいと言うので、私が日本で使っていた聴診器をプレゼントしました。
患者さんのことを良く診ているし、日本でも働けると思う。
活動を終了した後も、食事に誘ってくれて一緒にウォッカを飲みました^^
タシケントに上がる日は、大きなタクシーを用意して
空港まで見送ってくれたんです。プレゼントと手紙も用意してきてくれて。
感動しました。本当に感謝。
彼女はブログにもよく登場したミフレボン。
彼女もとても賢い子で、察する能力が半端ありません。
察するってね、日本でだって難しいでしょ、彼女は人をしっかり見ていて、その人の気持ちちゃんと分かろうとしてるんですよね。だから私も沢山助けられた。
彼女のこと心から尊敬しています。
離れるの、一番つらかった・・・。
全員紹介したいくらいだな。
みんなのこと大好きです。
こんなに大切な友達がウズベキスタンにいるって、私の自慢です。
私を受け入れてくれた彼女たちに感謝の気持ちでいっぱいです。
彼女たちに沢山幸せが訪れますように
困難があってもそこから沢山のことを得ることが出来ますように
笑顔が絶えない人生になりますように
ドクターが大きいのか、私がチビなのか・・・
ここまでのことちょっとずつブログで振り返って行きますね。
ではまた。