ウズベキスタンの風

ここはウズベキスタン。首都から約1000km北西に位置するウルゲンチで活動する看護師の日記。            

協力隊応募⑦

2010年04月19日 | 青年海外協力隊応募
面接の次の日は仕事だったから、その日のうちに帰った。

両親は、どうせ止めても聞かないってわかってるから
心配してそうだったけど、それを口に出して言わなかった。
心配かけてすみません。

面接の感触が、なんとなく・・良かった気がする。
もしかして、ほんとに合格しちゃう!?
急に現実味が出てきて戸惑った。
途上国で2年も暮らせるの?私に何が出来る?
どうしよう??
結果は1月後に届く。その間すごく悩み続けた。
そして日に日に行きたくなくなってきた・・・
「合格してたらどうしよう?」
って考えるようになった。
そして1ヶ月が過ぎて、合格発表の日。
ネットを開く。
・・・・・あった。
合格しちゃった。どうしよう、行きたくない。
辞退を言える期間はそれから1週間以内。
もう少し考えて見よう。

その間前に努めてた病院の先輩たちと飲む機会があった。
先輩たちは、うらやましいって言ってた。
私が若かったら絶対行くって言ってくれた。
今しかできないと。
そういう言葉を聞いて少し気持ちが上向きになった。
確かに今しかできない。
ちょっと、まだ怖気づいてるけど、行ってみるか!
自分の最初の思いを信じてみよう!
と、決心した。
迷ってたけど行くってなって、母親がちょっと残念そうだった。
迷ってたぶん、いらぬ期待をさせちゃったね。ごめんね。

まぁ、正直辞退の電話を入れる勇気もなかったのが半分あったんだけどね。
今更かよっ!って話じゃんね。何ができるの?なんて。

そして2ヶ月間の訓練を終えて今ここにいる。
去年1年は、いろんな大事な選択をしてきたと思う。
でもその選択が全部良かったと、最後言えるような毎日にしたい。
行動すると、絶対何かを得られる。いいことある。
風が無いなと思って毎日つまらなかったけど、走れば感じるってわかった。
これは私の財産だ。

今外国で暮らしてるんだよね、私。
まだ信じられない。
始まったばかりと思ってたけど、意外と早く時間は過ぎてく。
でも、焦らない。
焦らないこと。それが大事。今は相手を知る時期。
アイデアは暖める、大事に大事に。
そのチャンスが来たときのための準備期間。
さぁ、今週も頑張っていこう!




協力隊応募⑥

2010年04月18日 | 青年海外協力隊応募
面接

ほんっと緊張した。待ってる間。
2人か3人前の人が帰ってきたら決まった部屋の前に行って
廊下の椅子で座って待つ。
一応予想した質問と答えを書いた紙を持って行ったけど
お守り代わりだったなぁ。
夏で、暑いはずなのに緊張して
手足が冷たくなって変な汗かいてた。

もう、来てしまった・・・やるしかないけど・・

ダメ元とか言いながら立派に緊張した。なんでだろうね。
隣の部屋の前でまってた人が呼ばれた。
緊張が増す。
そしてついに私の横の扉が開いた。
面接が終わった人が出てきて、ちょっと経って呼ばれた。

小さな部屋に4人の面接官。
正面に座っているのが看護の専門家ってすぐわかった。
緊張してたけど、その専門家の方がすごく優しく迎えてくれて、少しほっとする。

最初に聞かれたのは応募動機。
これは書類にも書いたし、緊張しながらも言えた。
次は何が来るんだろう??
って怖かったけど、すぐに私の経験の話に。
あれ?JICAについてとかはあとで来るのかなぁ?

まず看護観を聞かれる。
きたかぁ、やっぱり。
まとめるのに苦労したけどやっぱりなんかうまく言えず、
でもそしたら専門家の方が「分かるわよ」と笑顔でフォローしてくれた。
なんて優しいのぉ~!!!
そして昨日のブログで少しふれたけど、ちょっとした苦い経験についても書いてたから
そのことについても触れられた。
「どんな怖い人が入ってくるかと思ったけど、全然印象が違う」って笑われた^^
部屋の中がかなり和やかな雰囲気になる♪
そして次は、
「もし、現地で活動に行き詰ったらどうしますか?」
とういう質問。これも答えてる時うんうんとうなずきながら聞いてくれた。
つぎは第1希望をウズにした理由について。
そして次が透析の経験について聞かれた。
多分ブータンの透析センターの要請についてだ。
ブータンは行ってみたかったけど、慢性腎不全についての知識は浅い。
経験が少ないことを伝える。

「じゃあこれで終わりです。お疲れ様でした。」と。

おぉ!終わった~!!
ものすごく突っ込まれると思って構えてたけど、和やかに終わったなぁ。
いやぁ、なんともいえない脱力感が襲ったね、終わった後。
でもしばらくどきどきしてた。
こんな感じでした。

聞かれたことまとめると以下。
・応募動機
・看護観
・応募書類に書いた経験について
・現地での活動を想定した質問
・希望国について

これから受けるっていう皆さま、頑張ってください!!!

協力隊応募⑤

2010年04月17日 | 青年海外協力隊応募
面接前日、東京のビジネスホテルに泊まる。
前に書いたようにまだ考えがまとまってないから
友達に会う約束もせずホテルにこもって考える考える考える・・・
うとうとしながら考えてほとんど寝れなかったな。

当日、会場へ。
7月の東京は暑かった。
時間より結構早く着いちゃって、近くのコンビニで飲み物買って会場前で待つことに。
(書いてて思ったけど、コンビニって響きがすでに懐かしく感じた;;)
私と同じように待ってる人がたくさんいたけど、みんな英語の勉強したり
本読んだりそれぞれで、朝から蝉の声だけ響いてたのを覚えてる。

時間になって係りの人が中に案内してくれた。
受験番号順に座る感じになってて何枚かの書類が置いてあった。
何人いただろう?
職種ごと受験日が違うことを考えるとたくさんの人が受験してることが
うかがえた。
待ってる間、もちろん面接対策。でもまわりが英語の勉強してるのがすっごい気になる・・
ちょっと英語の本出してみてみた。
いやいやでも面接何も言えなかったらやばいじゃん!
ということでしまう。
一人落ち着かない感じで時間を過ごしてた。

時間になって係りの人が1日のスケジュールを説明してくれる。
最初に英語。
そのあと面接が始まるそうだ。
私は午後の最初のほうだった。
ちょっと緊張がとける。1番のひと、ほんとかわいそう・・・
ぎりぎりに提出して良かったんじゃない?って自分を正当化してみた。
(受験番号順に呼ばれるから)

英語。
何問あったかもう覚えてないけど
全部マークで、リスニングとライティングが半分ずつ位。
もうほんっと全然分かりませんでした。
あの1年何だったのでしょう?
単語数が足りてなかったねぇ、圧倒的に。
でも私が希望したのは聞いたことないウズベク語の国とフランス語圏。
英語で授業したりする教師は英語力が厳しく問われるって聞いたけど
看護師だし、英語じゃないしなんとか・・・・・

なってください。

そう思いました。

さて、次はいよいよ面接について。

協力隊応募④

2010年04月16日 | 青年海外協力隊応募
面接で聞かれそうなこととしてあげてたのが
・協力隊に応募した動機
・青年海外協力隊とは?
・JICAの理念
・希望した国についての基本的な知識、そこで行われているプロジェクト
・看護とは?
・経験の中で学んだこと
・自分の強みと弱み
・なぜこの国を希望したのか?
・帰ってきたら経験をどう生かすか

だった。
1次の発表から2週間後位だったなぁ、面接。
だから仕事もしてたしけっこう時間なかったと思う。

英語は1年前から習ってたからそのテキストとか使って勉強してたな。

面接対策も面接当日、面接直前までかかってやった。
やっぱぎりぎり、超ぎりぎり・・・
看護観をうまくまとめられなかったからだ。
8年間看護師やってて自分が大事にしてきたものを語れないってのは
問題だなぁと、考えながら逆に悩んだ。
なにかにこだわるってことがあまりなかったなぁと、振り返って思った。
たくさんの体験をしてきて、自分の中の頑なだった部分を無くしちゃったと思う。
人に上手に伝えることが苦手だから頑なだと角がたつ。たちすぎる。
だから無くしちゃった。
ちょっと柔らかくなる感じが良かったんだけどね。
そんな体験も、書類にかいて送ったんだったな。

そんなこと悩みながら面接を迎えるのでした。






協力隊応募③

2010年04月15日 | 青年海外協力隊応募
書類選考の結果を待つ約1月の間、たくさんの先輩隊員のブログを読んだ。
もしも1次をパスした時のための面接対策と、活動について知るために。
そして本も読んだ。
・コミットメントの力
・国際協力師になるために
・世界で1番いのちの短い国シエラレオネ
他2~3冊(名前忘れちゃった)

そこで自分の認識のおおきな間違いに気付いた。

「相手は求めてない」

って事実を知ったからだ。

私は協力隊って相手が求めてる所に派遣されてると思ってた。
協力隊のホームページにも「要請」ってあるし。
でも実際はそうじゃない。らしいことに気付いた。
これは本当に衝撃だった。
「別に教えてもらうことなんてないけど。」
と思ってる相手にどう伝えてくんだろ??
言ってわかってもらえるもんなの?
と、頭の中「?」でいっぱいだった。

結果を待つ間、この事実とよく向き合って、ブログを読んで
そういう場面に遭遇してる先輩が頑張ってることに勇気をもらい、
気持ちが落ち着いた。
それが協力隊なんだと分かった。
このことを知ってから訓練に入って本当に良かったと思う。
訓練中に聞く、講義や体験談がスムーズに頭に入ってきたから。

実際今も
「何しに来たんだ?」
「勉強しに来たのか?」
「日本に仕事はないのか?」

こんな質問を毎日される。でも流せるのは先に知ってたから。
そう、途上国の人たちは外国のことを良く知らない。
ちゃんとした教育がないから。

そういう現地の方を対象とした活動が協力隊。
だから、ちょっと大変。
この事実を知っていても、やっぱりちょっと大変。

で、発表の日。
ダメもととはいえドキドキしながら結果をみた。
PCの画面にたくさんの受験番号。

あった。

「おぉ~、あったあった、とりあえず健康だしね。わたし。」
という感じで、見てた気がする。
いよいよ面接と英語。
面接で聞かれそうなことをこれまた先輩のブログからピックアップして
準備にとりかかった。