週末を使ってアラル海に行ってきた!
前は船の墓場のあるムイナクと言う町までだったけど、今回は海まで。
キルギスから同期隊員Mちゃんと22-1Sちゃんが来てくれたおかげで実現!
いいタイミングでタシケントのFさんもいっしょに行くことができて女4人旅
みんながみんな初めて旅する同士だったのにもかかわらずすっごい居心地が良い。
なんだこりゃ?って思うくらい。
いままでずっと一緒にいましたよねってくらい自然で不思議な感覚だったなぁ
そんなだから旅も当然楽しかった
ドライバーのハッサンさんも渋くてかっこいいおじさんで、
ぎゃーぎゃーうるさいマイペースな女性4人を上手にせかしてアラル海まで連れて行ってくれました
そうは言ってもキルギス隊にとっては超弾丸ツアー!
キルギスを出発したその日にウルゲンチまで来てくれて(その時点でかなりお疲れの様子だった)
そのまま夜にヌクスまで移動。
次の日にはアラル海に着いちゃってるもんね、ウズに来て2日目にはもうアラル海にいるってものすごい工程だよね。
ほんとにお疲れ~そんなんで行きの車の中はほぼ爆睡。
本領発揮したのは帰りだったねぇ、よくしゃべったわ
ヌクスからいろいろなビューポイントをめぐってアラル海へ。
こんな道を砂煙をあげながらひたすら進む。
こんなときのトヨタのランクルはほんとにかっこいい!!
日本の道を走るランクルがかわいそうに思えてくるほどに。本領発揮!!
なんとも不思議な世界でした。
ここは人が住んでいない。
オキアミ漁をする中国人がぽつんとユルタにいるだけで、文明みたいなものはなにもない。
ほんっっっっっとになんにもない。
その日は風もなくて、目の前にはただただ海があるばかり。
だまっていたら吸い込まれそうな静寂でした。
人の気配のしない、生活のかおりのしない海なんて初めてだった。
太古の海とか原始の海に思いをはせて壮大な気もちになりました。
1月位あそこに住んでたら悟れそうな世界でした。
海の音しかないってすごいよ。もう一度行きたくなる。
夜も天の川が見えるほど星がきれいで、その中でウォッカを飲みながら食べる夕食。とってもおいしかった~。
MちゃんがただひとりU.F.O.を目撃!
人間ほんとに驚くと動きがとまるってことがわかったね(笑)
ちなみにウズ語ではUFOを「ウフォー」と発音するようです。
寝るのはテント。
星空をもっと眺めていようかなぁなんて思っているうちに爆睡していて朝だった
朝ごはんを食べながらハッサンがこの土地の話をしてくれた。
世界大恐慌のときはみんなが職や食べ物を求めてここにやってきたと。
漁業で栄えており、農業もさかんなカラカルパクはなんでもあった。
でもソ連が「自然改造計画」をしてから水がなくなってしまった。
モスクワからプリカズ(大統領令)が電話で発信されたらだれもなにも出来ない。それに従うだけだった。
今もカラカルパクにはなんでもある。天然ガスなんかいらないから水が欲しい。
アラル海の朝、とても貴重な話が聞けた。
ウズ語が出来て良かったって初めて思ったかも。
まだ漁業をして生活している人はいる。
アラル海近くの湖で。
ウィキペディアより
もうすぐ大アラル海も干上がってしまうね。
で、長話してたら帰るの明日になっちまうぞ!ってまたせかされて、もう一度浜辺に行きたいなんて
言えないまま車に乗せられ帰路につく
アラル海でゆっくりできたせいか、自然のパワーを吸収できたからか、一同良くしゃべる!
ハッサンも意味分からないだろうけどげらげら笑う私たちを見て微笑む
きわどい話もしたけどね、おもしろかったなぁ。
なかなか味わえないこの居心地のよさはかけがえのない思い出になりました
そうそう、ご飯を全部お願いしてあったんだけどね1人30ドルで4食!
全部ドライバーのハッサンがやってくれるの。感動だよ~
それにしても水やら果物やらやたら多いから、これ全部食べた人居るんですか?ってみんなで聞いてみた。
そしたらね、砂漠の中だと携帯もつながらない。夏なら50℃の中助けを待たないといけない時もある。
冬ならその逆-45℃のなか。
帰ると言った日に帰らなかったらトラブルありとみなして助けが来ることになっているけど、
その間の分、水と食料を多めに用意してくれているのだそうだ。
さらに感動!!!!!
ハッサンありがとうアリシェルさんありがとう!!
ヌクスにまた1泊したんだけど、キルギスの調整員さんお勧めのブタシャシュリク屋へ!
その名も「ええじゃないか」
いや、ほんとです。日本名で「ええじゃないか」だそう。
キルギスの調整員さんがウズでボランティアをしていた時代仲良くしていたようで、
調整員さんが帰国後、お店の人たちは日本に行ったそう。
そして富士急に行き、「ええじゃないか」に出会ったようだ。
店内は日本のスナックのようなつくりでちょっとおもしろかったけどそこでシャシュリクを食べた
うまいっ!!!!!
ヌクス駅まえのシャシュリク屋(一番駅側)ですっ。
日本語話せるお兄さんがいるよ
夜はFさんに夜中までつきあってもらってお悩み相談室。とっても癒されました
ヌクスの美術館に行き、ソナタという韓国人が経営する素敵なカフェでお昼を食べ大満足!!!
思い思いのケーキを買ってウルゲンチに。
帰りの運転手さんもいい人だったなぁ。
ウルゲンチではキルギスSちゃんの同期隊員2名が待っててくれていて一緒に夕飯。
Fさん、Sちゃん、Moちゃん、Kくんが同期、私とMちゃんが同期。
みんなリラックスして楽しそうで良かったよねぇ
この旅で言葉についてちょっと感じたこと。
私は事務所に「ジパクジョり」というホテルに泊まると申請していた。
しかしながら夜宿の名前を聞いたら「イパクユル」だという。ウズ語でシルクロードと言う意味。
あぁ、まずいなぁ、連絡しなきゃいけないかなと思っていたら、ホテルの入り口に「ジパクジョリ」って書いてあった。
???
どうやらカラカルパク語のシルクロードだったようだ。
ウズ語がキルギスでも通じるようにキルギス語もウズでは通じる。
Mちゃんはウルゲンチに来てからの方が聞き取りやすいと言っていた。
ウルゲンチから北は濁音が多くなる。
で、カラカルパクに行くと、「イ」や「ユ」が「ジュ」の発音になる。
「ユル!」(行くよ!)も
「ジュル!」となる。
「イパクユル」が「ジペクジョリ」になっていたのもそういうことらしい。
そういうところはキルギス語とよく似ている。
キルギス語で「はい」は「オゥワー」って感じだったけどこれもウルゲンチの「アゥワー」とそっくり。
ウルゲンチから北はキルギス、カザフよりなんだなぁって感じた。
トルコ語もよく似ているらしいし意外とウルゲンチでウズ語を学んだことは悪くないかもね。
って、私たちが帰国3カ月前だっていうときにトルコが開いたよ。
任国外。
くやしー!!!
改めて、いつか旅行しよう。
旅行から帰ってきてここ2日、なににあたったのか久しぶりに激しい胃腸炎症状で悩まされました。
病院も休んだ。
ようやく食べ物を受け付けるようになって元気になったのでブログ更新と相成りました。
駆け足でしたけど、アラル海、お勧めです!!!
キルギス隊員さんも是非来てください!!!!!
ウズ隊員は行かなきゃ損よ~
前は船の墓場のあるムイナクと言う町までだったけど、今回は海まで。
キルギスから同期隊員Mちゃんと22-1Sちゃんが来てくれたおかげで実現!
いいタイミングでタシケントのFさんもいっしょに行くことができて女4人旅
みんながみんな初めて旅する同士だったのにもかかわらずすっごい居心地が良い。
なんだこりゃ?って思うくらい。
いままでずっと一緒にいましたよねってくらい自然で不思議な感覚だったなぁ
そんなだから旅も当然楽しかった
ドライバーのハッサンさんも渋くてかっこいいおじさんで、
ぎゃーぎゃーうるさいマイペースな女性4人を上手にせかしてアラル海まで連れて行ってくれました
そうは言ってもキルギス隊にとっては超弾丸ツアー!
キルギスを出発したその日にウルゲンチまで来てくれて(その時点でかなりお疲れの様子だった)
そのまま夜にヌクスまで移動。
次の日にはアラル海に着いちゃってるもんね、ウズに来て2日目にはもうアラル海にいるってものすごい工程だよね。
ほんとにお疲れ~そんなんで行きの車の中はほぼ爆睡。
本領発揮したのは帰りだったねぇ、よくしゃべったわ
ヌクスからいろいろなビューポイントをめぐってアラル海へ。
こんな道を砂煙をあげながらひたすら進む。
こんなときのトヨタのランクルはほんとにかっこいい!!
日本の道を走るランクルがかわいそうに思えてくるほどに。本領発揮!!
なんとも不思議な世界でした。
ここは人が住んでいない。
オキアミ漁をする中国人がぽつんとユルタにいるだけで、文明みたいなものはなにもない。
ほんっっっっっとになんにもない。
その日は風もなくて、目の前にはただただ海があるばかり。
だまっていたら吸い込まれそうな静寂でした。
人の気配のしない、生活のかおりのしない海なんて初めてだった。
太古の海とか原始の海に思いをはせて壮大な気もちになりました。
1月位あそこに住んでたら悟れそうな世界でした。
海の音しかないってすごいよ。もう一度行きたくなる。
夜も天の川が見えるほど星がきれいで、その中でウォッカを飲みながら食べる夕食。とってもおいしかった~。
MちゃんがただひとりU.F.O.を目撃!
人間ほんとに驚くと動きがとまるってことがわかったね(笑)
ちなみにウズ語ではUFOを「ウフォー」と発音するようです。
寝るのはテント。
星空をもっと眺めていようかなぁなんて思っているうちに爆睡していて朝だった
朝ごはんを食べながらハッサンがこの土地の話をしてくれた。
世界大恐慌のときはみんなが職や食べ物を求めてここにやってきたと。
漁業で栄えており、農業もさかんなカラカルパクはなんでもあった。
でもソ連が「自然改造計画」をしてから水がなくなってしまった。
モスクワからプリカズ(大統領令)が電話で発信されたらだれもなにも出来ない。それに従うだけだった。
今もカラカルパクにはなんでもある。天然ガスなんかいらないから水が欲しい。
アラル海の朝、とても貴重な話が聞けた。
ウズ語が出来て良かったって初めて思ったかも。
まだ漁業をして生活している人はいる。
アラル海近くの湖で。
ウィキペディアより
もうすぐ大アラル海も干上がってしまうね。
で、長話してたら帰るの明日になっちまうぞ!ってまたせかされて、もう一度浜辺に行きたいなんて
言えないまま車に乗せられ帰路につく
アラル海でゆっくりできたせいか、自然のパワーを吸収できたからか、一同良くしゃべる!
ハッサンも意味分からないだろうけどげらげら笑う私たちを見て微笑む
きわどい話もしたけどね、おもしろかったなぁ。
なかなか味わえないこの居心地のよさはかけがえのない思い出になりました
そうそう、ご飯を全部お願いしてあったんだけどね1人30ドルで4食!
全部ドライバーのハッサンがやってくれるの。感動だよ~
それにしても水やら果物やらやたら多いから、これ全部食べた人居るんですか?ってみんなで聞いてみた。
そしたらね、砂漠の中だと携帯もつながらない。夏なら50℃の中助けを待たないといけない時もある。
冬ならその逆-45℃のなか。
帰ると言った日に帰らなかったらトラブルありとみなして助けが来ることになっているけど、
その間の分、水と食料を多めに用意してくれているのだそうだ。
さらに感動!!!!!
ハッサンありがとうアリシェルさんありがとう!!
ヌクスにまた1泊したんだけど、キルギスの調整員さんお勧めのブタシャシュリク屋へ!
その名も「ええじゃないか」
いや、ほんとです。日本名で「ええじゃないか」だそう。
キルギスの調整員さんがウズでボランティアをしていた時代仲良くしていたようで、
調整員さんが帰国後、お店の人たちは日本に行ったそう。
そして富士急に行き、「ええじゃないか」に出会ったようだ。
店内は日本のスナックのようなつくりでちょっとおもしろかったけどそこでシャシュリクを食べた
うまいっ!!!!!
ヌクス駅まえのシャシュリク屋(一番駅側)ですっ。
日本語話せるお兄さんがいるよ
夜はFさんに夜中までつきあってもらってお悩み相談室。とっても癒されました
ヌクスの美術館に行き、ソナタという韓国人が経営する素敵なカフェでお昼を食べ大満足!!!
思い思いのケーキを買ってウルゲンチに。
帰りの運転手さんもいい人だったなぁ。
ウルゲンチではキルギスSちゃんの同期隊員2名が待っててくれていて一緒に夕飯。
Fさん、Sちゃん、Moちゃん、Kくんが同期、私とMちゃんが同期。
みんなリラックスして楽しそうで良かったよねぇ
この旅で言葉についてちょっと感じたこと。
私は事務所に「ジパクジョり」というホテルに泊まると申請していた。
しかしながら夜宿の名前を聞いたら「イパクユル」だという。ウズ語でシルクロードと言う意味。
あぁ、まずいなぁ、連絡しなきゃいけないかなと思っていたら、ホテルの入り口に「ジパクジョリ」って書いてあった。
???
どうやらカラカルパク語のシルクロードだったようだ。
ウズ語がキルギスでも通じるようにキルギス語もウズでは通じる。
Mちゃんはウルゲンチに来てからの方が聞き取りやすいと言っていた。
ウルゲンチから北は濁音が多くなる。
で、カラカルパクに行くと、「イ」や「ユ」が「ジュ」の発音になる。
「ユル!」(行くよ!)も
「ジュル!」となる。
「イパクユル」が「ジペクジョリ」になっていたのもそういうことらしい。
そういうところはキルギス語とよく似ている。
キルギス語で「はい」は「オゥワー」って感じだったけどこれもウルゲンチの「アゥワー」とそっくり。
ウルゲンチから北はキルギス、カザフよりなんだなぁって感じた。
トルコ語もよく似ているらしいし意外とウルゲンチでウズ語を学んだことは悪くないかもね。
って、私たちが帰国3カ月前だっていうときにトルコが開いたよ。
任国外。
くやしー!!!
改めて、いつか旅行しよう。
旅行から帰ってきてここ2日、なににあたったのか久しぶりに激しい胃腸炎症状で悩まされました。
病院も休んだ。
ようやく食べ物を受け付けるようになって元気になったのでブログ更新と相成りました。
駆け足でしたけど、アラル海、お勧めです!!!
キルギス隊員さんも是非来てください!!!!!
ウズ隊員は行かなきゃ損よ~