今日はNo.61の余録です。
「説明板を読むのは面倒」という人は、パスして先へ行ってください。
塩山市の塩ノ山の近くに向嶽寺があります。
正確な位置を記憶していませんが、確かここだったと思います。つぎの説明板がありました。
興味ある人は読んでみてください。メンドウという人はパスでOK.。
それから、向嶽寺といえば、大村主計の「花かげ」の詩碑があります。
もう最近は歌っているのを聞いたことがありませんが、昔は教科書にも出ていた?ように思います。
「〽じゅう~ごや おつきさ~ま ひ~とりぼち・・・」
まず全体のようすです。
3点見えます。右から歌碑・説明板・西条八十の詩碑です。
下に、右から順に拡大写真を載せます。
(1)花かげの歌碑
ご存じでしたか?
私は「うま」と思っていましたが、「くるま」(たぶん「人力車」)だったんですね。
「〽う~まに ゆ~られて」
「〽くるまに ゆ~られて」
どっちでも、なんとかなりますね。
ともかく、優しいお姉さんがいる人は、こういう記憶があるでしょうねぇ。
「おねえちゃんがお嫁さんにいっちゃう・・・ていう感じですね。」
それで、これが神足とどうつながるかですが、『御料局測量課長 神足勝記日記 ー林野地籍に礎を築くー』日本林業調査会(J-FIC)の183ページ上の明治31年12月6日~8日の項に、神足が、塩山の北にある大藤村の萩原御料地で作業中の田中安次郎〔のち従之〕技手補を巡視に来たことが記されています。そして、田中が逗留していた「藤屋」を訪れますが、大村のお姉さんの嫁ぎ先も「藤屋」・・・らしいのです。(これは記憶です。目下メモを探索中。同じ村であることは確かです。)
(2)説明板
お姉さんの嫁入りは大正期のようです。嫁入りの時期などいろいろ調べたことがありますが、いずれまたメモが出てきた時にとして、予告だけしておきます。
説明板に拠れば、大村主計は蘇峰と知合いですし、一方、蘇峰と神足は熊本人で、神足一家は蘇峰にかなりの援助をしていますから、ちょっとこじつけがましいですが、無縁ではありません。
(3)西条八十の詩碑
これは、上の説明板の中の詩2作です。
わたしは『神足日記』でずいぶん勉強しました。
知らないこと、わからないこと、読めない文字が出てきたら、かならず調べる、可能なかぎりやる、ということを決めて、時間を限らずやりました。それでもまだまだわからないことがいろいろ残ってますが・・・。
皆さんには、読めるところから、読んでいただけるとよいと思っています。