「肝要-三室山-吉野」の写真の落穂拾いをしておきます。地図はNo.468のをご覧ください。
(1)肝要峠に上がるまでの道で見た、岩にへばりついて伸びる木々。

(2)陽が出ると、新緑がきれいです。

(3)肝要峠からの南側の眺望。左:タルクボの峰、正面:麻生山、右端:日ノ出山の一部。
雲が多くて、すぐに暗くなってしまい残念。

(4)肝要峠から北側の眺望。二俣尾が見えます。その上、左端:高水三山、中央:雷電山。

(5)肝要峠の伐採跡地。花粉の少ない樹種(ヒノキ?)の植林が始まっています。正面下は肝要の集落。

(6)林道で見た黒いジャノメチョウ?です。

(7)山林に入ってから見たウラシマソウ?

(8)突然正面に現われた大木。樹種は不明。

(9)昼食中に上から降りてきたムシクン。名のりませんでした。
なんか、こう、「トラのパンツ」のような模様ですね。

(10)山道に顔を出した岩。
これは、ローリング・ストーンではなく、露岩です。つまり、地層が垂直ということです。

(11)キノコ1

(12)キノコ2

暫時休憩!サルノコシカケ?
(13)キノコ3

キクラゲ:庭の朴の木に生えた時に食べました。
もっとも、干さずに調理したので、水っぽい食感でした・・・。
(14)ツツジ:吉野梅郷の天沢院の裏山にある野草庭園で

ちょっと写真インフレでした。
【コレクション 227 メーデー事件裁判闘争史】
きのうは5月1日(メーデー)でした。
メーデーは労働者の祭典ですが、いまから73年前の1952年のメーデーの際、警官隊がデモ隊に実力行使をしたことが原因で騒然とする事件に発展しました。
これについて、警官隊の行為の適法性と、デモ隊の行為に騒擾罪が適用できるかが問われました。
その後、50~60年代に公判が続けられ、70年第一審判決では、警官隊の行為が違法と認めましたが、デモ隊の一部に騒擾罪が成立するとしたため、有罪となった被告が控訴して二審が争われました。そして、71年に第二審判決があり、全員に無罪が言い渡され、その後、検察側が上告を断念したことにより確定しました。
下に、事件の経緯や公判のその様子がわかるところを載せましたから、時間がある方はお読みください。
パンフはB5判6㌻です。B5判3枚分の横長の用紙を三つ折りしてできています。このうち、下に1・2・5・6㌻を載せました。なお、3~4㌻は「総目次」、また、6㌻に刊行案内と関連文献があります。
1㌻

2㌻

5㌻

6㌻

以上です。
きょうはここで。あすはお休みです。

メーデーの来訪者:名前は、今度来たら聴いておきます。