神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.278 マツノ書店

2024-08-31 00:09:31 | 追憶
(1)いま台風の中心は中国四国地方にあるようですが、ずっと離れた関東でも被害が出ていて、広域的に警戒が呼びかけられています。なんとか注意して頑張っていただきたいと思います。

(2)昼ごろ、テレビ番組を見ていたところ、台風が愛媛県付近にあるとを報じていました。
 地図が出て来ると、「神足勝記が歩いたか」、「自分は行ったか」、ということを思い浮かべながら見ることが普通ですが、私は中国・四国地方に行ったことがありませんし、また、神足は、宮島・厳島神社に参詣したのちは、島根県の方に山越えして、日本海側に沿ってぐるりと回り、赤間関〔あかまがせき:下関〕・小倉の方に巡回していて、瀬戸内海はもっぱら船で移動していましたから、私は漠然と位置確認をしているだけでしたが、しばらくして周南市のマツノ書店のことを思い出しました。

(3)マツノ書店は周南市銀座2ー13にある古書店です。もし自宅の近くに在れば、出かけた帰りには必ず立ち寄るであろうような魅力的なお店です。もちろん、行ったことはありませんが、いただいたパンフで見る限りではそういう雰囲気のお店です。古書の売買だけでなく、「維新史料の復刻・出版」にも長年取り組んでこられた有名店です。

(4)私がマツノ書店から「目録・刊行案内・お知らせ」をいただくようになったのは、1995年末か96年初めにお電話を差し上げてからです。そして(途中はまた別の機会にしますが)、2018年8月に店主の松村久氏が逝去されるまで約20年間の長きにわたりました。
 この間、マツノさんからいただいたものはすべて専用の箱に取ってありますが、今日見たところ、その最初と最後のものが見つかりましたから、下に紹介しましょう。
 左が松村健様よりの「ご挨拶」、右が私の電話への「ご返事」です。
 


 また、マツノさんはミニコミのパンフを何種類か発行されていました。送っていただいたものすべてが手元に残っていますので、その中から、最初に送っていただいた「防長 火車日誌 ’95/12」(170×110mm 4㌻)を裏表とも載せておきます。時間がある方はどうぞお読みください。
  1㌻                    4㌻ 
   3㌻                   2㌻ 

 私は、マツノさんが復刻刊行されるのに合わせて、すでに入手困難になっていた稀覯本を順々に揃えることができました。いま棚を見ると、優に3段分を越える量に及んでいます。そしてその最初のものが、高杉晋作の『奇兵隊日記』だったようです。

 きょうは、台風の余波・・・です。
 みなさん、お気をつけてお過ごしください。では。

   
     日傘?
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No.277 大帆船 

2024-08-29 23:34:53 | 好奇心
(1)むかしは、大気が不安定というと、雷がなるとか、突風が吹くとかいうのが多かったように思いますが、このごろは、きょうの宮崎県や、ちょっと前の茨城県などのように、竜巻の心配も必要になりました。
 私などは、実際に経験したことがありませんから、あの、地上から空に向かって渦巻いて延びる竜巻のさまを見ると、戦慄を覚えます。実際、きょうの宮崎県での台風被害もすさまじい破壊力を示してました。

(2)いつも言うことですが、軍事は外交の力〔言葉の力〕で避けることができますが、地震・噴火・竜巻・雷・台風などは、備えを万全にして、被害を最小限にするしかありません。調査・観測体制を強化し、防災のプロの組織を作るようにしましょう。
 日本が最も警戒しなければならないことは、平和憲法を壊さないこと、同時に、小泉純一郎内閣のイラク派兵から前のめりになってきている、アメリカの世界戦略の片棒を担がされないようにすることです。その意味で、金子兜太さんの「アベ政治を許さない」は言いつくしている、と思っています。
 はやく武力の時代を終わらせるようにしましょう。

    
     アケビ がんばれ!もうじきだ。

【コレクション 72】
 きょうは、『大帆船』です。これは、イギリスの軍艦の話です。
 上で軍事を批判しておいて軍艦を取り出すとは「なんだ」、「けしからん」という人もあるでしょう。しかし、軍事は金がかかる財政問題なのです。日本の防衛費〔軍事費〕も、つい最近まで4~5兆円でしたが、岸田内閣の置き土産で8兆円を超える規模に膨れ上がります。この3~4兆円があるだけでも、火山の研究から農林漁業、中小企業、福祉・年金、授業料免除、奨学金給与などなどいろいろ対策を工夫できます。
 まあ、ともかく次のパンフをご覧ください。なにがわかりますか。


 このパンフは、大きさは A4判、4㌻です。
 1㌻ 上掲
 2~3㌻ 刊行にあたって 内容案内
   *3㌻は下に載せます。
 4㌻ 内容見本 装丁見本〔おおむね1㌻・3㌻と同じ〕
    刊行案内 350㎜✕265㎜ 32㌻ 1800円 1994年4月刊 岩波書店
 以上です。
 これを見ると、とりあえず、大型船・火器(鉄砲・大砲)が見えます。刀・弓矢・投石器ではありません。武器が進化しているのがわかります。
 刀・弓矢・槍なら自弁できるかもしれません。しかし、鉄砲は一人で操作できますが、その購入費や火薬代は個人負担では限界があります。火薬代をケチって打つのをためらうようでは戦争になりません。
 そして、これが船や大砲となると、もはや集団でないと操作できませんし、その操作技術も、知識として習得し、各人がその持ち場で存分に行動できるように訓練しておかないと使い物になりません。
 もちろん、その前に大砲や火薬の製造費・購入費は個人負担というわけにはいきませんから、その資金をまかなうのに足りる資金力を持つ人、とくに国家のように膨大な財政資金を動かせる権力が背景になければならないということになります。そうすると、一方にその知識を教育できるシステムがあることや、資金を経理する知識を持つ人がいて、さらにそれを教育できるのでないと成り立たないことになります。王様の時代も、近世に近づいてくるにしたがって、このことが重要になってきます。財政学でいう官房学の時代がそれです。それに成功したのが、当時のドイツでは、ハプスブルク家やホーエンツォレルン家〔フリードリッヒ大王〕だったわけです。
 もう端折りますが、これが王様が強い軍隊を持てるようになる背景です。これがあって、この図のような場面も可能となりました。
 そして、この舞台裏を描いたのが次のページです。
 目いっぱい大きくしましたが、天眼鏡があっても読みにくいかもしれません。何をやっているかだけでも見てください。一番上の右では、牛のと殺や鶏の卵とりなどもやっています。
 


 ちなみに、この間、あるテレビ番組を見ていたところ、「トイレはどこにあったか」という設問がありました。
 答えは、帆船は後ろから吹く風を帆に受けて前に進みますから、舳先です。
 きょうはこの辺で。
 
   
     図書館で見た表示

 「個〔人で使える〕室=individual room」です。
 では、「個人の部屋」は? 「個人のもの」は?
 おもしろいですね。ヒマな時に考えてみてください。
 では。
 
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No.276 水害・恩賜林 

2024-08-28 23:59:12 | 追憶
(1)現在、九州地方南部に、これまでで最強といわれる台風が到来しています。みなさん、対応に追われていることでしょう。
 台風の中心は現在のところ九州の島しょ部ですが、今後西から東へと向きを変えて日本列島を縦断するかもしれないと推定されていて、どんな被害に見舞われるか余談を許しません。
 みなさん気をつけて下さい。我が家では、先日に続いて今回も庇を全部外しました。

(2)先日も山形・秋田両県で水害があったばかりですが、ここ10年ほどでも、温暖化の影響で、全国で無数の水害に見舞われました。記録画像を見ると、たいがいどれも記憶が蘇ってきます。ところが、私は、幸いにもまだ辺り一面が海になるというような水害に見舞われたことがありません。ですから、原体験としての水害とでも言いましょうか、水害といって頭に浮かぶのは、およそ次の3つです。

(3)一つは、群馬県藤岡市の水害です。
 藤岡市では、西の富岡市の方から流下してくる鏑川〔かぶらかわ〕に、南西の山地から流下してくる鮎川〔あゆがわ〕が市の北西で合流します。このあと、鏑川はすぐに烏川〔からすがわ〕に合流し、烏川は利根川に合流していきます。
 いつのことかもう忘れてしまいましたが、母から聞いた話なので、昭和初期か大正でしょうか。このころはまだ多野郡藤岡町といっていた時代です。
 この鮎川の堤防が、奥の山地に降った雨のために決壊したそうです。そのためにあたりが水浸しになったと。

(4)もう一つは、70年頃に読んだプロレタリア作家の谷口善太郎という人の作品を読んだときのことです。うまい作品とは思いませんでしたが、その中に京都の宇治川が、これも上流の山地に降った雨のために氾濫をおこしたことが書いてありました。
 町が一面の海と化して、上流から家が流されてきたので見ると、生き物も必死にしがみついていたなどということがリアルに描かれていたことです。
 残念ながら、本が見つからないので記憶だけです。

(5)3つ目は、山梨県の御料地に関してです。
 これは、研究も進んでいて、検索するといろいろなものを読むこともできます。
 たとえば、下に載せた、書名の『明治40年大水害実記』や、副題の「武田千代三郎」で検索しみてください。
    

 この本は、同名の本の現代語訳なども含めた復刻版です。A5判87㌻、編集者丸山太一・熊谷喜孝、発行者長田組土木㏍、平成13〔2001〕年発行、非売品です。

(6)「山梨県には国有地がない」というのはウソですが、山梨県の山林は現在ではほとんどが県有林です。これは、明治20年代の初めにそれまでの官有林・官有地〔現在の国有地・国有林〕がほとんどすべて御料地に編入されました。すると、それまでの入会地などの山林利用に制限が加えられたため、県民の反発・抵抗がはじまり、山が荒れる原因となりました。その結果、山の保水力が低下することなり、明治30年代末~40年に、笛吹川など大河川が氾濫するようになりました。その結果、山梨県の御料地・御料林は、甲府市北側の一帯を残して、ほぼ全部が山梨県に下賜されることとなりました。これが、現在は恩賜県有林と呼ばれて県によって管理されている林です。そして、残された御料林が戦後になって国有林に移管されました。
 なお、この「下賜」についての私の評価は、本ブログのNo.42にあたる「恩賜林:御料林の下賜」で書きました。ここでは略します。

(7)甲府市へ行くと、駅南にある城跡に次の写真の記念碑があるのがわかります。写真の出典は『上記書』の口絵です。
 左が「謝恩碑」、右は水害の際に「住民96人が3日間難を逃れたという柿の木」です。説明が読めると思いますのでどうぞ。



きょうはここまでです。 

     
     こんな天気で・・・でも元気です
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No.275 被爆者からの伝言

2024-08-27 23:10:30 | 時評
(1)日本では、「死者にムチ打たない」とか、「神様にしてしまう」ということがよく見られます。
 だれでも知っていることですが、どこの市町村でもアチコチに神社があります。神社そのものが、上のことに関わるわけですが、そのほかに、「頌徳碑=功績のあった人を称賛するための碑」、「忠魂碑=無念・怨霊の鎮魂のための碑」などがあり、これらが正にそれです。
 これらは、魂の存続を解く儒教に元があり、日本で生まれ育ったわれわれにとっては無意識のうちに生活習慣となっているものです。

(2)しかし、儒教に元があるといっても、大本の中国の儒教と、それが伝わった韓国の儒教、日本の儒教では、だいぶ意味が違うようです。生活習慣化して儒教の希薄化が進んだとかを含めて、過去だけでなく、現在のこの3国の国民生活の深層では違いがあるようです。

(3)ちょっと違うかもしれませんが、なにか不幸な出来事があった時、中国や韓国では人前でも「大泣き」します。「泣き屋」というのもあるそうです。それに対して、日本では人前で泣くのを耐えるのが美徳でした。いつからかはわかりませんが、最近は、電車の中でも大声で話をするなど、だいぶ変わってきているようです。
 似たことで、柔道の勝者が、相手を投げたと同時にガッツポーズして勝ち誇るのを見ます。これも、私などは、相手を慮らない失礼な行為と見ます。試合が終わっても、少なくとも畳の上にいるうちは感情をあらわにしない、相手の無念を慮る精神が基本です・・・。
 
(4)オット少し脱線しました。
 最近も、死をもって身の潔白を示すとか、抗議するとか、償うというのがありました。死はいろいろな意味を持ちます。
 しかし、庶民でも政治家でも戦争に加担した人、戦犯は、生死にかかわらず、きちっと裁くことが必要です。なぜなら、それが同じ誤りをしない保証だからです。
 先日、ドイツではナチスの時代の収容所の事務員99歳が裁判にかけられました。
 日本では、どうでしょうか。GHQの政策だけでなく、背景に儒教はないでしょうか。

(5)私は、財政学をやっているものとして「国家」の問題をいつも意識しています。その際、無意識化が進んでいるとはいえ「儒教の意味」は重要と思っています。その意味でも、No.271で紹介した『韓国デカメロン』はおススメです。

    
     ムカゴ 
      〽秋晴れの 光となりて~ 

【コレクション 71】
 きょうは、『被爆者からの伝言』です。
 死者に対する追悼と同時に、生者の声を聴きましょう。


 大きさはB5判、6㌻です。B5判3枚分の横長の用紙を、最初に右の3分の1を谷折りし、ついで、左の3分の1を谷折りするとできます。
 1㌻ 上掲
 2㌻ 刊行にあたって
    推薦者
   *下に掲載しました。
 少し大きめに載せておきます。ゆっくり読んでください。推薦者も錚々たる人たちです。



 3~5㌻ 内容紹介 「見る・聞く・読む」の3つができる本です。
 6㌻ ほかの宣伝
 以上です。
 先ほど地震がありました。
 台風と地震と火山噴火が重なったら、この国はどうなるんだろう。

 軍事ではなく、防災に力を入れる人が総理になってくれるといいな!
 日本は、火山の研究などで、人も研究予算も研究所も少ない・・・なんとかしないと。

 きょうはここで。
    
     ワレをもつかむ
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No.274 イ肝臓

2024-08-27 00:26:33 | 時評
(1)トルストイの『戦争と平和』をロシア語で読みたいなあ、それには、あの中にずいぶんフランス語が出てきたから、まずフランス語をやり直さなくっちゃ・・・、でも、『御料局測量課長 神足勝記日記』(J-FIC)は形になったけど、今やっている作業はメモを造るだけで年内一杯はかかる・・・、いつからフランス語の時間が取れるか・・・とか何とか云って、結局、この世ではムリかなと諦め半分です。

(2)ところで、『戦争と平和』は映画化されて、長大なソ連版と、それよりだいぶ短いアメリカ版がありました。ソ連版の主役はリュドミラ・サベーリエワ、アメリカ版はオードリー・ヘプバーン、どちらも労作・名作でしたが、主人公のナターシャ役の成長に合わせて撮影していったソ連版には圧倒されました。
 その中で、とくにモスクワを焼き払ってナポレオン軍を迎え入れたロシアの知恵や誇りは見事でしたし、ナポレオンとナポレオン軍の帰還は哀れでした。そして、その後、モスクワの街が再建されて生活が復興すると、チャイコフスキーは『大序曲「1812年」』を作曲して祝いました。あの曲は「祝砲音」まで入っていますね。

(3)今のロシアとプーチン大統領は、どんな思いでいることでしょうか。
 「ウクライナなんか、圧力をかければ1週間かそこらで片が付く」と踏んでいたらしいですが、もう2年半もたって、収拾がつかなくなっています。昭和天皇のように「一撃」を加えて戦果を挙げてから終結では長引くばかりで、あらぬ事態を引き起こしかねません。
 すでに、これまでの死者は?、戦費は?、この先いくらかかる?、とんとわかりません。

(4)その例を挙げましょうか。
 私がまだ中学生だった1964年8月2日、アメリカが北ベトナムに戦争を仕掛けました。トンキン湾事件です。当時は冷戦の時代で、ベトナム戦争はアメリカとソ連の代理戦争といわれましたが、アメリカは2週間程度で決着がつくと軽くみて戦争を仕掛けました。
 仕掛ける側は、蹶起にはやって、たいがい見込み違いをします。
 結局、この戦争は1975年5月にサイゴンが陥落して終りますが、この間だけでも10年余、死者は米軍側だけで56,000人、戦費は45兆円(1200億ドル)といわれています。北ベトナム側の被害はもっと大きかったでしょう。

(5)ベトナム戦争は、ホーチミンに指導されたベトナム人民が自主独立を守って終った戦争でした。
 ウクライナ戦争はどうなるか、ガザはどうなるか。世界を軍事で分断させないために、平和憲法を持つ日本が今こそ平和のために頑張る時と思います。そういう気概のある人が立候補者の中にいそうですか?

   

【コレクション 70】
 きょうは『肝臓の研究』です。
 医学にまったく不向きな私が、こういうパンフを持っていました。おもしろいですねぇ。まあ、多少の心当たりがありますから、戒めのために持っています。
 でも、〽私は~げんき~・・・どんどん行こう~! 
 おっとっと!こりゃいかん。

   

 大きさはB5判、4㌻です。なお、黄土色に見えるところは、文字も含めて「金色」です。
 全体は、
 1㌻ 上掲
  2~4㌻ 全部、下に掲載した内容紹介です。
   

 以上です。
 1㌻に「HEPATOLOGY」(肝臓学)という単語があります。
 「hepat-」は「肝臓」の意を表し、「hepatic」は「肝臓の」、「hepatitis」は「肝炎」・・・肝臓は「沈黙の臓器」といいます。気をつけましょう。
 きょうはここまでです。

   
     雲が南西から北東へと蛇行してました
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