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神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.297 官林の形成

2024-10-08 05:43:44 | 先行研究
(1)7日、午前中に退院後1週間目の検診に伺いました。結果は、「右目も左目も全く問題なく経過している」ことがわかりました。あとは、1ヶ月後検診で問題なければ、全治となります。
 ということで、そろそろ本来の研究作業に戻るつもりでいますが、きのう、雨の庭で夢中で草花の写真を撮っていたところ、地面の方に住む見知らぬ虫さんが見舞いに来てくれていたようです。膝下に7件の丁重なお見舞いの記帳をいただきました。いまは、忸怩たる思いで、紅くふくれた脛のほてりを鎮めています。

    
      立川南口商店街で

(2)前に何度も書きましたが、このブログは『御料局測量課長 神足勝記日記』(J-FIC)の周知・宣伝を目的として始めたものです。しかし、もうそのことはほとんど頭からは抜けてしまって、勝手なことを書いていますが、きょうは、それに関わって一言。
 かつて「皇室財産とは何か」ということを問題として設定しました。皇室財産というのは、「皇室」とはいうものの、天皇一家だけのことではなくて、それによって賄われる宮内省所管の財産=宮内省の収入源のことですが、ここでは、差し当たり「御料地・御料林」のことです。その御料地・御料林は、国から支給されるの皇室費の不足を補うことを目的として官有財産(当時に国有財産)から編入されたものですから、その定義は「皇室費を補完する官有財産」というのがふさわしいというのが私の結論です。これは今も変わりません。

(3)問題は「官有財産」です。これも、ここでは官有地・官林のことですが、この官有地・官林がどのように形成されたものかについての関心が希薄です。
 明治維新後の新政府は、慶喜の大政奉還によって「将軍職」の返還=政治権力を掌握したもののまだ「辞官・納地」を求めるようなことで、徳川の幕府領〔天領〕すら取り込んでいませんでしたから、全く財政基盤を持ちませんでした。その後、新政府は財政基盤を作っていきますが、その要点は幕府領や諸藩領の編入です。そして、この結果「官有地・官林」が形成されます。この官有地・官林があって明治政府の財政基盤もようやく緒に就きますが、のちの御料地・御料林が形成もこれに拠るわけです。

(4)この官林の形成を取り扱った研究が実はあります。
 藤村重任〔ふじむらしげとう〕『日本国有林の形成過程』(水利科学研究所刊、昭和45〔1970〕年9月)です。
 私がこの本を知ったのは、もうだいぶ前のことで、20年?いや30年前かもしれません。もちろん、これまでにもだいぶ読みました。しかし、この研究の意義を本当に知ったのはまだ最近です。それまでは「労作だ」と思うばかりでした。
 ともあれ、いま「先行研究」とはこういうものだというのが実感です。必要とされる方はぜひどうぞ。

    
 
(5)昭島市の選挙はザンネンな結果になりました。
 結果も重要ですが、驚いたのは投票率の低さです。前回が33.93%、今回が37.95%でした。60%以上の人が無関心。しかも、自分の生活に直結する重要問題を抱えている市政の方向を決める選挙なのにです。
 一方、わかったことはもあります。それは、投票率が上がった分の大半は、現市長にではなく、敗れたりとはいえ共闘した側の票として積み上がったということです。それから、現市長を支援したのは自民党・公明党・都民ファーストでした。この人たちの中にも、物流センター問題、基地問題、PFAS問題に不安を持っている人は当然いるでしょう。
 要するにまだ声が届いていないということです。
 
 イスラエルの横暴を止められない現実が世界にはあります。その一方で平和への希望は大きい。「アベ政治を許さない」の精神はまだまだ有効です。私は元気です。

 きょうはまた雨。この辺で。

    
     来年に望みあり


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No.241 歴史学研究

2024-07-24 23:52:59 | 先行研究
 きょうの雷雨、だいぶ被害が出たようですね。
 わたしの処では、昼前頃からあたりが急変して、横殴りの風をともなって雷雨が急来し、一時は台風直撃を思わせるすごさでした。しかし、幸いこのあたりは被害など何もなくてじきに収まりました。
 だいぶ涼しくなったと思っていると、それもつかの間のことで、午後は猛暑に戻りました。
 積乱雲が去ってからも、いくらか雲が残っていましたから、きょうの散歩は夕焼けが楽しめるかなと期待して出ましたが、平凡なものでした。
     
   
【コレクション 29】
  きょうは、次の『歴史学研究』復刻のパンフレットです。
(1)『歴史学研究』はについては、現在も刊行されていますし、広く歴史・経済史などに関心のある人なら必ず見るはずのものですから、ここで説明の必要はないことにしましょう。
 その代わりとして、下に「復刻にあたって」を載せました。これには通常は知り得ない刊行の経緯が記されていますから、都合よいと思われます。 
 

 このパンフレットは、大きさがたて220mm✕よこ215mmと、ほぼ正方形をしています。 
全体は表紙とも16㌻です。そして、これを横書きに使って、いちばん左のページを1ページとして右ページへ進み、いちばん右ページが16ページとなります。
 全体の構成は次のようになっています。
 1㌻ 上掲
 2㌻ 『歴史学研究』〔前後第一期〕の復刻にあたって 〔下の(2)に載せました〕
 3㌻ 『歴史学研究』のあゆみ
 4㌻ すいせんのことば 〔4㌻分は下の(3)に載せました〕
     家永三郎 戦後史学の源流を示す
     宇佐美誠次郎 10年をへて  
 5㌻  鶴見俊輔 復刊によせて 
     丸木正臣 真の歴史教育のために 
 6~13㌻ 第122号(1946年6月)~第230号(1959年6月)主要目次
     〔これが貴重ですが、紹介できまず うーん!ザンネン〕
 14㌻ 内容組見本 
 15㌻ 各巻収録内容 装丁見本
 16㌻ 刊行案内 1986年11月刊行開始 毎月1冊刊行 1988年3月完結 
     青木書店刊 B5判 平均400㌻ 各巻10000円

(2)ここに、上の2㌻の「復刻にあたって」を載せます。得意説明をつけませんから、読めそうなところを読んでみてください。


(3)ここに、上の4㌻の推薦文を掲載します。
 恩師の宇佐美誠次郎先生の写真があるのは珍しいので、載せることにしました。
 併せて、家永三郎先生の分も、あえて削る必要がないので、載せます。このまま読めるかと思われますから、ぜひ頑張って読んでみてください。両名とも、現在の私と同じか、若いはずです。


 パンフレットについては以上です。

(4)もう一言。
 宇佐美先生は、藤の花がお好きとのことで、お宅の庭には藤棚が作られてありました。時期になるときれいに咲いて、よい日陰を作ってもいました。
 先生は、1997年4月25日に亡くなられました。2年後、関係者が先生を追悼して『学問の人 宇佐美誠次郎』(青木書店、2000年1月)を作成しました。先生の学問を知るよくできた本と思っていますが、その口絵には、藤棚の下でにこやかに撮影されたお写真を見ることができます。〔ほかにも貴重な写真がありますが、今日は割愛します。〕
 じつは、藤は私の出身地の群馬県藤岡市の「市花」になっています。偶然とはいえ、嬉しく思ったことが忘れられません。それもあって、先生の没後、一つ詠みました。
  車窓より薄紫の花見えて 師の影恋し 夏は来にけり 
 これは、埼玉県熊谷市にあった立正大学法学部の授業に向かうとき、東武東上線の森林公園駅からのバスの車中で藤を見たときに詠んだお気に入りです。
 ご笑覧、いや真剣に、味わってみてください・・・。
 では、きょうはここまで。

    
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No.238 山田盛太郎

2024-07-21 22:47:28 | 先行研究

     
      きょうの西の空

(1)「きょうも少し雨が降ってくれるように」と願っていましたが、きれいに晴れました。
 温暖化や戦争など何も懸念されることがなければ、きれいな夕焼けで、あすに思いを馳せるにうってつけの平穏な夏の夕べというところでした。

(2)しかし、現実は次の通りです。
  平和憲法の下 防衛予算を倍加させ 軍需で成長をいうまでになったニッポン 
 これが、財政学をやってきたものとして訴えたい現実です。
 すでに、川崎重工が、裏金を造って自衛隊員を接待したとして癒着が問題化していますし、一方、自衛隊では、手当の不正受給や、「特定秘密」の管理について不正管理があったとして218人が処分を受ける事態が発生しています。
 いまからでも間に合います。なんとか、安倍政権が閣議決定をした2014年の前の状態に戻せれば、より平和な日本を取り戻すことができます。せめてそこまで、そう願っています。
 きょうは、そんなことを思いながらバイデン〔走るマネ〕をしていると、雲が見えました。

(3)バイデン中だったのせいか、写真の雲が「鮎の塩焼き」のように見えました。
 ちょっとムリがありますか? 
 でも、まあ、食べたいと思えばそう見えますよ。
 ともかく、それは主観の問題ですが、おなかのところを白い雲が貫通しています。
     

  
(4)それからしばらくして、雲の位置の関係で夕焼けが薄くなって、雲が分解しだしました。すると、貫通している白い雲の向こう側が鮮明になりました。
     

(5)それからしばらくして、さらに雲が分解し、夕焼けが戻り、白い雲がより鮮明になりました。 
   

 飛行機雲でもないのに、雲の間を雲が貫通しています。
 不思議ですねぇ、ロマンですねぇ!
  天つ風 雲の通い路ふきとぢよ 鮎〔をとめ〕の姿しばしとどめむ (僧正遍照)

【コレクション 27】
(1)きょうは、「山田盛太郎著作集」です。
    
 
 山田盛太郎さんは、No.233で取り上げた「日本資本主義発達史講座」の編輯者4人のうちの1人で、『日本資本主義分析』や『再生産過程表式分析序論』の著者として、日本経済史や再生産論の分野の先駆者として有名な人です。
 明治30(1897)年1月に愛知県に生まれ、昭和55(1980)年12月83歳でなくなりました。

(2)パンフレットは、B5判大で、表紙とも6㌻です。その体裁は、横長の用紙を3等分して、最初に左から3分の1を谷折りし、次に右から3分の1を谷折りすると出来上がります。  
 構成は、 
  1㌻ 上掲 
  2㌻右半分 肖像〔右写真】 
                       
        岩波書店「刊行のことば」
  2㌻左半分~3㌻ 上3分の2 推薦文
        大塚久雄(東京大学名誉教授) 一時代を画した業績
        置塩信雄(神戸大学教授) 手がたい実証と清冽な論理
        大石嘉一郎(東京大学教授) 日本の社会科学に絶大な示唆
        小倉武一(日本銀行政策委員会委員) 山田盛太郎先生と私
    同 下3分の1 山田盛太郎先生略年譜〔下に掲載〕      
 
  4㌻上3分の2 第1~5巻内容
  同 下3分の1 別巻内容 
          八高時代の集合写真
  六㌻ 右半分 編集にあたって
  同  左半分 講義ノート写真 本著作の特色
 
(3)この著作集の意義は、やはり、ほとんど入手困難になっていた山田さんの著作を読めるようになったことです。
 私が学生だった1970年代初頭には『日本資本主義分析』(岩波書店、定価600円、学生のアルバイト時給250円)がありました。手元ものは昭和46(1971)年9月刊行のものです。その後、1977年9月に岩波文庫版が400円で刊行されました。
 しかし、このほかは、当時はまだコピー普及してなくて、古本屋に出ても高価で手が出せず、図書館で借りてノートを作るより他に方法はありませんでした。

(4)上の年譜にあるように、山田さんは昭和6(1931)年に『再生産過程表式分析序論』(改造社)を書き、その後、それに基づいて昭和9(1934)年に『日本資本主義分析』を書きました。
    

 ところが、『分析』と略称される『日本資本主義分析』は、戦時中の検閲官も手が付けられなかったのではないかと思われるほどの難解のものでした。(『分析』は図書館でご覧ください。)
 私もノートを取りながら読みました。読むと、難解とはいえ、なんとなくはわかったような気がします。しかし、どうもよくわからない。それでまた読み直すと、やはり同じ感想・・・ということを繰り返して、とにかく読んだというのが実情でした。
 これは、皆さん同じようで、たとえば、中村政則(一橋大学)「山田盛太郎先生に学ぶ」(『図書』第411号、岩波書店、1983年11月)を読むと、回顧談も含めていろいろと書いておられます。(この紹介は今できません。図書館でお読みください。)
 それから、山田『分析』について書いたもので、気が付いたものに、次のものがあります。
 不破哲三『『資本論』全3部を読む 第5冊』(新日本出版社、2004年2月)198~208㌻です。(これも図書館でお読みください。)
 そのほか、いろいろの人の苦労談を読み・聴きして、わたしも一応の理解にこぎつけたわけですが、要するに、マルクスが『資本論』第2巻で解明した再生産(生産手段生産部門と消費手段生産部門がどう結びついているか)の「型」が各国の産業資本の確立期に出来上がると、その「型」が各国の資本主義を特徴づけ、その後の発展の制限ともなっていくというものです。
 だいぶ長くなりました。きょうはここまでとし、別の機会にいくらか補いをつけることにします。では。

    
 

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No.227 ハーバード・ノーマン全集

2024-07-10 23:35:20 | 先行研究
【コレクション 17】
(1)小さいころから、よく本屋に行きました。
 古書店でも普通の書店でも入って背表紙を見て、おもしろそうな本、持っていたくなる本はないかと、それを期待して入ってひとわたり品定めをして、ごくたまには買うというくらいの子供でした。
 その時もいまも、本を読むのはメンドウ。読みたいのでなく、見ていたいというだけ。そこは変わっていないようです。
 群馬県藤岡市立藤岡小学校(のちに第1小学校)の、多分2年生の時、バスの発車までに時間があったので、5丁目にあった古本屋(貸本屋も兼ねていたかもしれません)に興味をもって入ったことがあります。
 店は、昔の上半分ガラスの重い引き戸式の入り口で、中をしばらく覗いてから、ゴロゴロと音を立てながら開けて入りました。中はまだ江戸時代の帳場の雰囲気で、そこにいまの私と同じくらいのジイサンが座って店番をしていました。
 入って、読めもしないのに、ジイサンの前の本をひとわたり見て、ジイサンと目が合うのを避けて、右にしつらえられた棚の方へ目をやりました。そこも小学2年生に読める本などあろうはずはありませんでしたが、だまって棚の上の方の本を見ていると、後ろから言いました。
 「一番上の本、読める? 読めればあげるよ。」
 それで、挑戦しましたが、1冊目から読めませんでした。
 気まずくなり、すぐに出てきてしまいましたが、だいぶ後になって、あのとき読めなかった字は「埋」だ、と確信しました。

(2)きょうは、昨日出てきたハーバード・ノーマンの「全集』です。
 ノーマンは、カナダ大使館員でしたが、ソ連をスパイと疑われて悩み、1956年に47歳という若さで自殺してしまいます。大窪愿二さんは、約20年かけて遺稿を翻訳整理されて刊行にこぎつけました。それが次のパンフレットです。
     

 このパンフレットは、B5判大、表紙とも6ページです。
 1枚の用紙を3等分して、まず左から織り込み、次に右から折り込むと上のようになります。
 
 内容は、次のようになっています。
 1ページ表紙
 2~4ぺージが見開きでは、2~3ページの下3分の1に次の「全4巻の内容」が紹介されています。
   第1巻 日本における近代国家の成立 
   第2巻 日本政治の封建的背景 
   第3巻 安藤昌益 
   第4巻 日本の兵士と農民・歴史随想
 次に、上3分の2を使って、次の5氏の「推薦のことば」が紹介されています。
   桑原武夫 クリオの目で知人
   中野好夫 忘れ得ぬ豊かな思い出
   丸山真男 逝きし者も近し
   遠山茂樹 本来の歴史学とは何か
   ジョン・ダウワー ノーマンよ 蘇えれ
 そして、4ページ目の上4分の3に組方見本、下4分の1に次の略年譜があります。
 
 
 つづいて、5ページ目の上4分の3に「刊行のことば」、下4分の1に次の「編者のことば」があります。
    

 この、前段には編者の思いが語られていて、後段からは、その達成感を読み取ることができます。これは、山に登った時に感じるものと同じです。ぜひ、ゆっくりと読んでみてください。
 なお、岩波書店は「刊行のことば」で、ノーマンについて次のように評価しています。
 「歴史の女神であるクリオは、片手に書物を片手に楽器を持ち、その顔は清く住んでもの思わしげなさまを示しているという。歴史学が文明を進歩させるための学問であるとの確信に立ち、歴史の価値について譲ることのない信条を持ち続けたE・ハーバード・ノーマンは、その生涯の生き方において、「クリオの化身」と呼ぶにふさわしい人であった。」

 最後の6ページ目には、「本全集の特色」・装丁見本・発売予定が記されています。
 発売は1977年4月27日からと記されています。
 
(3)私は、『資本論』のゼミにいたので、ノーマンをいつから、どのくらい読んだか、記憶がはっきりしませんが、『ノーマン全集』が刊行された1977年4月に立教大学の修士課程に入学して、日本経済思想史の逆井孝仁先生の授業に出席できるようになりましたから、すでに岩波新書などでノーマンを読んでいたとは思いますが、『全集』刊行が話題になって、とくに安藤昌益、その前に三浦梅園にも関心をもっていましたから、それまでよりもやや余計に読むようになったものと思われます。
 しかし、御料地・御料林・皇室財政問題に向かうようになってからは、だいぶ遠ざかってしまいましたので、この頃の人がどのくらい研究しているのかは不明ですが、きのう・きょうと、棚から取り出して読み返しました。やはり優れた人でした。
 では。

   
    西の空
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No.226 安藤昌益全集

2024-07-10 00:05:51 | 先行研究
【コレクション 16】
 毎日、夕食後にパンフレットの箱を開けて、きょうはどれにしようかと見ます。前にはそういうことはありませんでしたが、ここのところ、習慣のようになってきました。前日に、明日はこれにしようと決めておいてあるにもかかわらず、やはり見ます。すると、知らず知らずに読みいって、あっという間に1~2時間すぎてしまいます。「耳学問」ということがありますが、これは「パンフレット学問」とでもいったらよいでしょうか。
 みなさんに現物をそのまま全部をお見せできなくて残念ですから、参考のためにいくらかの文章を書くようにしていますが、それでもなかなか現物を手に取ったようなわけにはいかないものですから、とりあえずは、花の写真の時と同様に、見た目を楽しんでいただければそれでよいかと思っています。そして、本屋に行ったとき、お目当ての本だけでなく、どんなものが置かれているか注意てみてください。楽しいものです。大事なのは、自分の目、関心です。

(1)きょうは、『安藤全集』です。
   

 この全集は、書き下し・現代語訳が全16巻・別巻1冊、復刻編・影印版が全5巻、あわせて、全21巻・別巻1からなっています。これが、昭和61(1986)年10月に農山漁村文化協会(農文協)から発行されました。
 パンフレットの大きさはB5判大、表紙とも16ページですから、かなり読みごたえがありますが、全体の構成は次のようになっています。
 1.表表紙(上記) ただし、右上の「昭和62年度 毎日出版文化賞「特別賞」受賞作品」とある箇所は、このパンフレット作成後に受賞が決まったようで、貼付物です。
 2.2~7ページは、農山漁村協会による内容紹介です。この部分の一部は下の『安藤昌益特集』に利用されていますkら、読めそうなところを読んでみてください。
 3.全11巻の構成。
 4.9~13ページは、内容解説。
 5.14~15ページは組方見本。
 6.裏表紙は販売宣伝と装丁見本。

 以上ですが、この全集の画期的なところが、表表紙の中央上に「出版史上初めての全巻復刻・全巻書下し・全巻現代語訳・注解・解説という・・・編集」にあることが書かれています。とはいえ、これを紹介できませんから、代わりに『安藤昌益特集』という小新聞の一部を紹介します。

 
(2)『安藤昌益特集』(パンフレットの2~7ページの一部が掲載されています。) 

  『安藤昌益全集 一』に挿入されていた宣伝紙です。

(3)安藤昌益の名は、すでに少数の人に知られていたということですが、戦後、ハーバード・ノーマン(カナダ人)による研究・紹介で知られるようになりました。わたしもノーマンの次の著作を通して知りました。
 『忘れられた思想家 ―安藤昌益のことー 』(全二冊、大窪愿二〔おおくぼげんじ〕訳、岩波新書、昭和44(1969)年12月)
 この本は、たいがいの図書館にありますから、これは措いて、別の一冊を紹介しましょう。

(4)『安藤昌益』(八戸市立図書館編集、伊吉書院〔八戸市〕刊、昭和49(1974)年6月)
      

 これは、巻頭に司馬遼太郎「昌益雑感」があるほか、「安藤昌益研究略史」や「安藤昌益関係資料目録」のほか、昌益に関する研究や回顧が編集されていて、すでに刊行から半世紀が経過しているものの貴重なものと思われます。
 
    
     チョウセンゴヨウマツ(山梨大学で)

(5)戦いすんで、その分析が始まりました。
 どんな分析結果になろうと、 えばる人はダメです。 ツッケンドンな人はダメです。 ウソを言う人はダメです。 率直でない人はダメです。ひとことで、傲慢な人はダメです。
 ただの個人ならば、「あいつはバカだ」、「ああいうのはキライだ」で済みますが、政治家は違います。ひとたび当選すれば、権力をもちます。その人がわがままを言えば、多くの人がおろおろするハメになります。
 権力は、必ずではありませんが、しばしば腐敗します。腐敗するのは、もともと傲慢だからか、あとから、うまい汁を吸って傲慢になるからです。
 まず、もともと傲慢な人を代表に選ばないこと。不適格者だから。

 では。
    

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