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神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.499 大塚山―御岳山―日ノ出山

2025-06-13 01:26:50 | 
(1)きょうは、朝5時頃に外を見たら、いくらか雲がありましたが、きれいな晴れ空になる雰囲気でしたから、30年くらい前に登ったコース(青梅線古里駅から大塚山)をたどることにしました。
 正確には、まず、青梅線の古里駅から丹三郎に行き、そこから大塚山に上がり、さらに、昨年末から歩いてきた御岳山ー日ノ出山ー麻生山ー金毘羅尾根ー武蔵五日市と縦走するコースです。

(2)ところが、奥多摩行きに乗っているうちにだんだん雲が多くなってきて、あたりは完全に曇りとなり、時々薄日はさすものの、小さくドーンと雷鳴のような音がする不安な天候になってきました。そのため、途中から「下山すべきか」とも思いましたが、直に明るくなって来たりしたので続行を決め、結局、次のコースを辿りました。歩いた総距離10~15kmくらいでしょうか。
 なお、丸数字は下の写真の番号です。

1.丹三郎の地名になった「丹三郎屋敷」。今は「お食事処」です。

   

2.8:35 登山開始
 入口近くに道標板がありました。
 登ってわかったことですが、この登山道はずいぶん整備されていて、30年前に私が上った時とは、入り口も、途中のコースも変わっています。途中のところどころに、木々や落葉に覆われた旧道が見え隠れしていました。
   

3.10:50 飯盛杉〔めしもりすぎ〕
 写真を撮り、休み休み上がって行きました。すると、尾根に出る少し前、大きな杉の木の脇に説明板が出ていました。


  

4.10:55 尾根の道標
 途中、林道を横切った時に、30分ほど木いちごを探して食べたり、虫の写真を撮ったりして遊んだために、尾根に出るまでに3時間を費やしていました。

   

5.小紫陽花
 終日、途中の登山道のあちこちに紫陽花によく似た花が咲いていました。
 大塚山の下に着いたときに、写真を撮っていたご夫婦が教えてくれた話では、これが固有種で、これを改良して現在の紫陽花ができた?ようです。
 そういわれて、思い出しましたが、だいぶ前に日ノ出山北尾根登ったときにも見ました。それだけでなく、冬には黄葉した葉がみごとで、押し葉にしたこともあります。

    

6.尾根を歩いていくと、霧が出始め、だんだん濃くなりました。

   

7.12:00少し前 
 大塚山の頂上へ向かう整備された階段を少し上がると、カボチャみたいなみごとなコブのある木がありました。

   

8.大塚山に着きました。(暗いだけでなく、少しボケています)。

  

9.12:00 大塚山で昼食。
  13:00 ビジターセンターで休憩。
  そのあと、武蔵御嶽神社に参拝に行きました。参拝してガラガラと鈴を鳴らそうとしたところ、ひも?が見当たらないので見上げると、取り除かれていました。

   

10.14:00に神社の階段を降り始めて、14:45頃に日ノ出山に着きました。
  景色を見ると、奥多摩の方は曇りでしたが、都心の方は割合に明るく、スカイツリーは見えないものの新宿副都心のあたりまで確認できました。肝要の伐採地後は、冬場は黄土色でしたが、すでに緑がかったきていました。
 「自分が最後かな、15:00には降りようか」と思っていると、男性が一人上がってきました。10分延ばして話していると、そこへ3人の女性(老若)が到着しました。
 写真撮影を頼まれ、ついでにもう一回と、虫や蝶を撮っているうちにドンドン遅くなり、15:25に先に降りることにしました。
 曇っていたとはいうものの、いろいろな写真が撮れました。一つだけ載せておきましょう。
 おもしろいですね。ラッキョウ見たいです! あるいは、木の実に似せた擬態かもしれません。おもしろい、おもしろい。
 私は、最初、小さくて触覚や足などが見ないので、木の実かなと思いました。念のためにと撮影してから触ったところ、ゆっくりと動きました。
 図鑑を見ましたが、出ていなくて、まだ名前がわかりません。

   
 
11.日ノ出山を下り始めましたが、曇りで時間も遅いので、旧道でなく、比較的明るい新道の林道を降りました。
 降りて、林道から武蔵五日市へ向かう道に出るところのすぐ脇に碑が見えました。『開通記念』とありました。
 No.370で三ツ沢のあたりのものを載せましたが、また別なものがあったわけです。これについては、できるだけ早く解読して、No.500の後に番外として載せます。

    

 こうして往還に出ましたが、今回もバスには乗らず、前に見たあちこちの石碑を見ながら下り、梅ケ谷トンネルをくぐって吉野街道にでて、18:10、稲荷神社下からバスで帰途に着きました。
 
 きょうは、疲労でボーッとした頭で作業しているうちに時間がなくなってしまいました。
 コレクションはお休みにして、きょうはここで。
 このブログはNo.500で終了です。もう1回です。
 
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No.496 もういくつ寝ると・・・

2025-06-08 23:58:59 | 
(1)今日のニュースで、鳥取県の大山の山開きを報じていました。
 「いいなあ」と思って見ていると、登山口では、大勢の登山者が列を作って入って行くところが映し出され、続いて、案の定、所狭しと並ぶ山頂の様子が映されました。
 有名な山の開山日や、休日の登山となると、だいたいこういう光景を目にするので、ゲンナリとします。

(2)それだけでなく、登山口に取り付くまでの電車やバスがなどの公共交通が込み合います。人と荷物がどっと狭いところに入り、足の踏み場もないということがあります。
 それでも、行きはまだこれからのことに期待を抱いていて、皆さん余裕があります。しかし、帰りは少し違います。疲労(困憊)もあるし、ひと汗もふた汗もかいていたりしますから、服装も必ずしも清潔ではありません。

(3)もちろん、私も同様です。ですから、電車でもバスでも座れると安堵します。そうすると、芥川龍之介の『クモの糸』ではありませんが、自分の居場所が確保できたことで安心して(つまり、無意識のうちに自分の利益を優先して)、「早く動かないかな」などと、身勝手な思いに捕らわれ、まわりに対する意識・配慮が希薄になります。
 乗り物が動き出します。すると、揺れを感じて、ハッと我に返り、顔を上げて外の景色を確かめようとしたりしますが、その時に、多くの乗客が荷物を持って吊革につかまりながら立っているのに遮られ、満員状態にまで込み合っていること、揺れに耐えていることなどに気づくことになります。

(4)時には、睡気に襲われて気が付かないこともありますが、こういう場面を見ると、「しまった」と思わされます。というのは、そういう事態になってしまうと、もう座席を譲ろうにも、すでに身動きすること自体が申しわけなく、結局、下を向いて終点を待つしかないという状態だからです。
 こういう時は、体はつらくても、立っている方が気分的にラクなものです。
 
(5)と、いうこうことで、何が言いたいかというと、有名だからといって、わけもなく登りにはいかないということ、行くなら混みそうなところや時には行かない。休日は避ける、これを基本にしています。 
 私は、元々、いわゆる「山男」ではありませんし、御料地を見るために始めた山行や登山ですから、もちろん、深田久弥が選定した「百名山」巡りや踏破などということもまったく視野にありません。
 もちろん人の趣味に水を差す気はありません。しかし、「人が決めた名山」巡りなど、ほどほどにした方がいいと思います。

(6)それはともかく、私の山行にも一つ難点があります。それは、ふだんあまり人が上がらないところを選んで歩こうとすることです。
 そのため、ケータイもスマホも持たない私は、万が一の時には「行方不明」ということになりかねません。おまけに、今度は、秋田県の方の鳥海山に挑戦します。

(7)このブログがNo.500を迎えた後に、梅雨の様子を見て、実行する予定ですが・・・どうなりますかねぇ。
 目下、対策を講じているところですが、スマホをもっていたために、転んで頭から出血したといって救助依頼をした例も知っているので、悩ましいことです。

   
     前にも似たのを載せましたが、カワイイですねぇ!
 
【コレクション 252 毛詩抄】
 このパンフはB5判4㌻です。B4判の横長の用紙を二つ折りしてできています。
 下に、1㌻、2・3㌻の一部、4㌻の一部を載せました。
 「毛詩」は『詩経』の講義ノートになるわけですが、その抄である「毛詩抄」の刊行を宣伝するパンフです。前にこのブログのNo.222で『詩経』についてちょっと触れました。しかし、その程度で、私にはこれを解説する力がありませんから、下の載せた2・3㌻をお読みください。
 なお、本の体裁:四六判、平均460㌻、セット定価:28,000円、刊行:1996年6月です。

        1㌻

    
    2・3㌻〔部分〕


            4㌻〔部分〕


 以上です。
 きょうはここで。このブログはNo.500で終了です。あと4回です。

1.先日、馬引沢林道で見た花。
 曇っていて、おまけに樹林帯だったので、色彩が冴えませんが、華やかでした。

    

2.道脇の枯れ草の間に出たキノコ。

    

3.もう一つ、キノコです。

   

4.きょうは、自衛隊が、東富士演習場で何億円もの弾薬の在庫一掃をしました。
 そもそも軍事では国民を守ることはできません。かつて日本軍は日本人を守りませんでした。
 「できる」という人が考えていることは、「一定数〔かなり〕の犠牲の範囲内で抑えることができる」と考えているだけで、ゼロではありません。
 巨額の財政資金を使ってもゼロにはできない??? 
 それなら、貿易や援助を振興して、友好・外交で平和的にやる方が人間的なのでは?

    
     「白い虫・ふわふわ」で検索したところ、青葉羽衣〔あおばはごろも〕と出てきました。
       生態はまだわかりません。
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No.491 馬引沢ー天狗岩-梅ケ谷峠

2025-06-01 23:50:42 | 
(1)きょうの天気予報は、午前は雲が多く、午後は晴れる、ということでしたから、運がよければ・・・でいいや、と出ました。

(2)行ったところは、No.479で載せた地図の東側に当る一帯です。
 北から、JR青梅線(左に日向和田駅、右に宮ノ平駅)、多摩川(左が川上)、吉野街道(バス路線、左に稲荷神社バス停、右に明治橋バス停)があります。
 歩いたのは、点々が付けられたあたりで、赤く矢印をつけておきました。
 青梅からバスに乗り、明治橋下車ー馬引沢(林道)ー馬引沢峠ー赤ぼっこー天狗岩ー要害山-ススキ原(その下に太陽光発電ができていたので下る)ー梅ヶ谷峠南ー肝要下登山口ー稲荷神社バス停(青梅行バスにのり帰宅)。


     「長淵山ハイキングコースMAP」(青梅市観光協会、22年3月発行の一部)

(2)馬引沢林道ー赤ぼっこ・天狗岩にはもう何回も弁当食べに行っていますが、ここに入るのは3~4年ぶりです。
 そのころは、明治橋からの入り口付近は伐採されて明るく、あたりでは野イチゴが小さなビニール袋で一袋も採れたことがあります。しかし、今日行ったところ、案の定、苗木が生い茂って雰囲気はすっかり変わってしまっていました。
 様変わりした周囲を懐かしんでいると、小さなお地蔵さんに気が付きました。前もあったかどうかの記憶がありません。

    

(3)馬引沢の林道です。晴れていれば光が入って気持ち良いところです。
    

(4)しばらく行くと伐採地が現われました。
 きょう歩いたコースから4ヶ所の伐採地が見えました。
 ここは樹齢30年?くらいと見えましたが、70~80年まで待たずに小径木のうちに切る事情を聴ければよかったですが、今日は日曜で、誰も作業していませんでした。
    
   

(5)赤ぼっこに着きました。ここは、南は林ですが、東・北・西の景色が得られます。西の見晴らしは天狗岩の方がよいので、東と北の眺望を載せましょう。
 まず、東(都心方向)です。少し拡大してあります。中央にスカイツリーが見えます。
 その手前の背の高い木々は朴です。残念ながら、すでに花は終わっていました。

   
 
(6)北やや東の青梅市街の眺望です。中央の高い建物が、駅前再開発で建設中の建物と思われます。
   
    
(7)天狗岩型の眺望です。
 向かいの中にせり出すように見える山がありますが、その右が宮ノ平駅付近、手前が日向和田駅付近、左の奥が二俣尾駅付近です。
 私は、雪が降った直後のここからの景色を見たいと思っていますが、まだ実現に至っていません。

   

(8)天狗岩から要害山までは起伏があり、低山とはいえ、きついコースです。この一帯、とくに武蔵五日市の山は、低くてもアップ・ダウンの繰り返しが続くことがあるので要注意です。
 そのきついところが終ったあたりの木の間の南の方に開けた所が見えてきます。少し上がると一面の原っぱのようになっています。そこは、前は南の山が見えるだけのところだったように思いますが、きょう見ると、下に太陽光発電のパネルが設置されていました。そして、お寺か神社の門のような建物が見えました。それで、コースのこの先は前に何度か下っているので、急遽思い立って、ここを下ってみることにしました。

(9)パネル設置のために重機が上げた跡のように開けているので安心して下りました。ここは写真を撮り忘れてしまいましたが、いくらもしないで門のような建物の近くに来ました。そして、これはお寺の門だな、新興宗教の施設でもあるのかな、などと思っていると、突然、防犯カメラのようなものが、青紫の電気を点滅させながらビービーと鳴りだしました。しかし、すぐに止みましたから、そのまま門の前に行くと、そこでも同じようにまた作動しました。
 2度も作動しましたから、「誰か出てくるな」と思いつつそのまま門をくぐりながら先を見ると、驚きました。先には、お寺の本堂でもあるかと思ったのに、それはなく、工事現場にあるアコーデオン式が開閉扉が見え、その先を梅ヶ谷峠のある道を通行する車が見えたのです。つまり、太陽光発電設備のある所の出口でした。

(10)いったいあのお寺の門のようなものはなんのためなのだろうかと思いつつ、アコーデオン式の開閉扉の脇の藪を潜り抜けて往還に出ました。少し歩くと、下の写真の梅ヶ峠に着きました。 

   
   喘ぎながら上がって行ったツーリングの人が休憩しています。

(11)峠を下って「肝要峠登山道」に入り、野🍓を摘んで、稲荷神社バス停14:39発で帰途に着きました。
 野イチゴ付近のケモノ道に猪の爪跡を見ました。
 ・・・残りはまた。

   


【コレクション 247 ふるさとへの恋文募集】
 きょうのパンフは、本の宣伝パンフではなく、「募集要項」です。
 私にはふるさとがいくつもあって、そのどれについてもとても400字程度では書けませんから、こういうものに応募することはまずありませんが、集めたものの中には、本のパンフのほかにもこういうものがたくさんあります。
 その中で、これは飛騨に関わるものですから、この地方を巡回した神足勝記や「ああ野麦峠」などとの関係で注目したものと思われます。長野の方から歩きに出たいと思いつつ、まだ実現していません。
 
 このパンフは、A4の用紙を二つ折りしてA5判4㌻の仕立てです。
 下には、外側・内側の2枚をそのまま載せました。

  外側:4㌻                1㌻㌻  

   内側:2㌻               3㌻


 以上です。
 きょうはここで。このブログはNo.500で終了します。このあと9回です。

 きょうの成果をお見せしましょう。

    
     一瓶のジャムになりました!

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No.468 体調万全

2025-04-30 00:28:58 | 
 きょう29日、下の地図の「赤線のコース」を歩いてきました。
 稲荷神社バス停→肝要峠→三室山→金比羅神社→吉野郵便局バス停の順です。
 
 最初に、地図の記載事項の確認をしておきます。
 上段に青梅線奥多摩行きがあり、左に「御嶽駅」、右に「二俣尾〔ふたまたお〕駅」。
 中央に「三室山」、その右に「アタゴ〔愛宕〕山」、「琴平神社」
 下段 左隅に「麻生山」、右に「肝要峠」。なお、日ノ出山は三室山の西方にあります。
 
 緑の線は「予定していたコース」です。
 青の線は「林道」です。
 丸数字は、下に載せた「写真の番号」です。 


① 肝要峠から麻生山・日ノ出山
   
    右から、日ノ出山・麻生山・タルクボの峰
② 肝要峠付近
 奥に「く」の字に見えるところの、手前が山道を来て肝要峠に出たところ、その上が頂上、奥は南方向への山道の入り口。肝要へは頂上のところから下るのが本道。 
 私は、この写真を撮ったところの少し先から尾根道の山道に入り三室山に向かいました。
 山道からは、ところどころで林道が見えてました。
   

③ ところどころに急登のある山道でしたが、ゆっくり1時間ほどで三室山下の分岐点に着きました。
    

④ 私が来た方向です。この後ろ側が三室山です。
 ここは、日ノ出山から来た道と十字路になっています。
   

⑤ 三室山に上がりました。すると、北側の一帯が一面刈り払われて明るくなっていました。
 写真を取り忘れましたが、頂上左方向に「立入禁止」の看板が出ていました。
 しばらく眺めていると、下の方から重機の音がきこえ、正面の空中をワイヤーで吊り下ろす作業が見えだし、右の林でチェーンソーで伐採が始まりました。
 正面の大きな岩は前にも見えていたという記憶があります。
 きょうは、この右の尾根を愛宕山の方に下り二俣尾に出る予定でしたが、あきらめて日向和田方向に道を切り替えました。
   

⑥ しばらく降ると、タンスほどの大きさの「琴平(コンピラ)神社」に着きました。
 この神社は小さな崖の上にあります。「ピラ」というのは、アイヌ語(pira)でも韓国語(pyoran) 
でも「崖」・「土地が崩れて地肌が現われた崖」を指します。私の出身地に「平井」がありますが、ここも川岸に「崖」があります。それはともかく、ここから都心がよく見えます。
   

⑦ 琴平神社に来る前に、送電線の鉄塔が見えたので行くと、ワラビが陽を求めて枯れたススキの間からニョキニョキと頭を見せていました。わずか10分ほどで2握りほども採れました。
 諸物価高騰の折、我が家の重要な食材になります。
 諸物価高騰といえば、街中のインタビューで「消費税減税」を求める人と、「現金給付」という人がいますね。どっちかというと「消費税減税」がトク、というよりも、これが税制上の本筋です。ではどうして「現金」賛成の人がいるかというと、どうも「何か我慢しているものがあって、給付金〔臨時収入〕でそれで買おうと考えているから」ではないかと思います。もらった金だから生活に響かないという考え・・・?
 オット、⑥の前後で二俣尾方面が見えました。雲もすがすがしい。
   

⑧ できるだけ辿ったことがない道を選んで、梅の公園に着きました。
 公園のベンチで休んでから、天沢院の野草園上がってみました。ツツジが真っ赤に鮮やかでしたが、「梅郷」方面と「二俣尾」方面がきれいに見えました。
 1.梅郷方面
   

 2.二俣尾方面
   

 途中のことは、またあらためて。

 
【コレクション 225 日本プロレタリア全集】
 きのうの『伊豆の踊子』は感傷的・情緒的・趣味的な、そういう意味で日本的なところのある作品でしたが、それに対して、きょうの「プロレタリア文学」は、声なき声・殉難者・各種運動の記録・形象化、広く社会的な作品が多く含まれています。
 私が若い頃に読んだ作品も、いわゆる「うまい作品」ばかりではありませんでしたが、それでも、読んでいて身につまされる作品が多かったように思います。
 
 下のパンフは、A4判8㌻仕立てで、A2判の用紙を4つ折りした体裁になっています。しかし、実際のは、新聞のように上下で1㌻を構成する4㌻ものと見るのが適当ですから、その見方で、1・4㌻を下に載せました。ここに刊行案内などもあります。
 2・3㌻は【全41巻の構成と内容】を網羅する一覧表になっています。
  1㌻の上下段



  4㌻の上下段



 以上です。
 今日はここで。明日はお休みです。
 
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No.386 大岳山からの下り

2025-01-21 00:40:37 | 
(1)山岳小説家で知られた新田次郎の作品『山が見ていた』(1961年、文春文庫)に大岳山が出て来ることをご存じの方もあるでしょう。詳しくは読んでいただくとして、およその話の筋は次のようなことです。
 主人公は仕事の途中で子供をはねてしまいます。当然、救助すべきところですが、怖さのあまりにその場から逃げ去ってしまいます。しかし、それを負い目に感じ、自責の念から死のうとして大岳山に来ます。ところが、山中で道に迷った5人の子どもを助けたことから、死に場所を失うという話です。
 
(2)新田作品は60年以上前のものです。大岳山の雰囲気も今とだいぶ違うでしょう。
 今の大岳山のコースからはここを死に場所に選ぶなどということは想像もできません。ちょっと途中を紹介しましょう。
 1.日当たりがよく、平坦な所
   
 
 2.やや日陰で、石ころがある所
   
 
 3.少し険しいところ。もっと険しいところもあります
   

(3)しかし、18日に登ったサルギ尾根のように人通りの少ない「通常のコース外のコース」や、整備されたコースを外れたところで具合が悪くなったり、ケガで動けなくなったときは、誰にも見つけてもらえないということがあり得ます。スマホなどを持っていても、電池が切れてしまっていたり、電波が届かない範囲に入ってしまうと、不幸なことになり得ます。

(4)とはいえ、天気の良い日なら、特別な装備などなくてもチョイと登れます。
 実際、1月4日には、御嶽神社で受けたお札だけを持って登って来た人を見ました。ケーブルに乗って参拝に来たところ、天気も良いから行ってみるかと思い立ったのでしょうけれど、散歩がてらではやはり危険です。遭難も多いのです。
 また、18日には、外国人10人くらいの集団が、街歩きの服装(ジャンバーに運動靴ばき、リュックを背負っていないどころか水も持たない)で、手ぶらで登って来ました。
 驚いたのはそれだけではありません。この時、時刻はすでに午後1時半を回っていて、まだ頂上まで1時間ほどかかるところでした。この調子だと、おそらく、頂上に着くのは早くて2時過ぎです。少し景色を見て2時半に降り始めたとすると、ケーブル駅に戻った頃はもう4時近くでしょう。そうすると、途中の杉林の近くでは真っ暗ということもあったでしょう。
 山は、陽が落ちると視界が悪くなり、急に寒くなります。夏なら雷雨もあります。それを考えると、彼らは本当に無防備な山知らずの人たちといわなければなりません。

(5)それだけではありません。新田次郎の作品の主人公のように死にに来たわけではないと思いますが、上の外国人グループだけでなく、山登りの装備をしているとはいえ頂上に着いたら2時を過ぎるだろうと心配される人をずいぶん見ました。高齢の夫婦?3組、中年の日本人と外国人のペア?、それから単独行の20代前半の女性です。

(6)私は、上の外国人に「It takes one hour.」と言い、それぞれに「これからですか?」と声をかけました。上の小屋に宿泊するならともかく、明らかに危険と思われたからです。
 とくに、単独行の若い女性には「帰りは暗くなりますよ」とも言いました。すると、「ライトを持っています」と答えました。もちろん私も持っていますが、それは非常用です。何か目的があるというならともかく、暗くなることを承知で出てきていることがわかり、驚きました。仕方ないので、「ちょっと先にご夫婦が上がっていきましたから、追いかけて一緒に行動するように」といって別れました。
 山の怖さを知らない「都会人」には驚かされます。

(7)長くなりました。
 私は14:20にビジターセンター前に着きました。コースタイムでは下までは40分ですから、15時頃にはバス停に着けると読んで歩くことにしました。
 1.少し歩くと、ケーブル・カーの線路をくぐります。実際はもっと明るくて、雰囲気の良いところです。この付近で、若い二人連れの青年が追い越していきました。
    

 2. 道がつづら折れになっていて、しばらく降るとケーブル・カーの線路脇に出ました。その時ちょうどケーブルが上がって来ました。
    

 3.ケーブル・カーはここの少し上で登りと下りが交換します。待っていると、下りが来ました。
    
 
 4.さらに降ると、思い出の場所にきました。
 もうかれこれ40年前のことになりますが、娘と息子がまだ小学生の頃、家族4人でここを上がったことがあります。その時に二人がこの中に入って雨宿りの真似をしたのです。たぶん子供は皆そんなことをするでしょうね。
    

 5.バス停につきました。少し遠くの山を眺めていると、なんと、日ノ出山北尾根が夕陽に照らし出されているではありませんか。少し拡大して撮りました。
 木が伐採されていて尾根筋がよく見えます。まだ取っ付きのところですが、ここをぐいぐいと上がっていく登りは、高度感もあり格別です。
   

 6.バスで青梅線の御岳駅前に着きました。駅前はT字路になっていて、信号脇に東峯園というラーメン店があります。メニューの一番上には「みそラーメン」などがありますが、ここの昔からのお勧めは、メニューの一番下に小さく書いてある「みたけラーメン」です。「通」を気取るわけではありませんが、シンプルな味でオススメです。でも、昨今の野菜価格高騰のためでしょうか、野菜がやや少なくなったように思いました。昔は、野菜をかなり食べてからでないと麺にたどり着けなかったのではないかと思います。そういう記憶を書いている本もあります。

 今日はここで。
 【コレクション】はタイムオーバーにつき、明日に。
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