心騒ぐ夕空
元旦・2日と連続して不幸な出来事がありました。関係者の苦労・苦難を思うと、3度目がないことを祈るばかりです。
我が家は、じつは、昨年の前半・中盤にいろいろと不祝儀が重なりました。それで、もう何もないことを願っていましたが、期せずして、後半になって『神足勝記日記』を日本林業調査会(J-FIC)のご理解によって刊行でき、救われた気分でした。
そこで、年末は静かに「年越しそば」を食べて終りとしました。
元旦は、「年明けうどん」(というのが最近はあるそうで、それ)を食べ、まだ行ったことがない熊野神社へ散歩に出て終わりとしました。
我が家はとくに信仰心が篤いわけではありませんが、どこかの神社仏閣に行くことがあれば、拝観料・入場料として100円を納めます。(いつだったかは、10円玉1個しかなくてお負けしてもらったことがありますが・・・)。そして、孫の名前を唱えてから「よろしくお願いします」といって頭だけ下げてきます。鐘があると突かせてもらいます。
きのうの元旦はそうして帰ってきてテレビをつけたところ、石川県の震災のニュースが始まりました。
東北の震災の被害を自分で回って見てきたものとして、毎年のようにおきる災害に、またまた心が痛みました。
すでに、偽情報が出回っているそうです。気を付けてください。
前置きが長くなりました。
財政学の授業の時などでずっと言ってきた私の持論ですが、「防災省」を作りませんか。
日本は、阪神・淡路、東北の地震のほか、もう毎年全国のどこでも地震・台風・洪水・氾濫・火災・土砂崩れなどに見舞われてます。最近は竜巻などもあり、都市の化学薬品が絡んだ犯罪などもあります。
政府や自治体は、なにかあると警察・自衛隊の協力援助を言いますが、失礼ながら、彼らは防災のプロではありません。
たとえば、消防は蛍光色の制服を着用しています。互いにどこで作業をしているか居場所をはっきりさせて、連携して作業します。これに対して、自衛隊は同じく連携しているにしても、敵から身を隠すための迷彩服を着ての作業です。これでは危険です。もっと実態に即した組織作り(改変)に努めるべきと思います。
戦争は「言葉の力で」防げます。しかし、防災は言葉では防げません。
あるかもしれない戦争準備ではなく(それは外交や協力関係で防げますから)、ほぼ毎年どこかで起こっていて、起こることがもう経験的にわかっているる災害に対処できるプロ集団を作って、被害を小さくしていく工夫をすることが必要だと思います。
1923(大正12)年9月1日に起こった関東大震災では神足勝記も被災しました。そして、この日1日だけで「222回の有感震あり」と日記に書いていますし、これ以降毎年、この日は「握り飯」を食べるなど、苦難を忘れないように努力しています。
ぜひとも「プロの防災組織」が必要です。
明日はわが身、皆さんもぜひ主張してください。
今年こそ「防災元年」になるようにしましょう。
花・影