神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.147 化石発見の末

2024-04-22 04:06:39 | 弁当食べ
   
    静かな朴

(1)化石発見の前までは夜型生活でした。自分の日々の作業に区切りをつけて、一日の最後に、就寝予定時間にむかってブログを書きあげる、そして日々必ず投稿することを課題としていました。

(2)ところが、No.136以降で紹介した化石を発見しました。
 化石は直径が半径約12㎝、高さ約20㎝、重さ約8㎏という大きなものでした。最初は、ちょっと大き目だけど、変成岩化していて、貫入があって石英化していたり、黄鉄鉱に変質しているところもあるので、置物にいいなとくらいに思っていましたが、周辺に大小の破片が散乱していたましたから、それを拾うと、これがまた約8㎏ほどになりました。
 それだけでも大変でしたが、まだ作業がありました。帰宅後して整理する前に、簡単にでも土やほこりを取らないといけません。何十個もあるものを、痛めないように一つ一つ洗いましたが、座ったり、立ったりと、これが腰痛を引き起こさないようにと神経を使っての作業で、疲労困憊の極に達しました。
 少しは運動しなければと考えて外出したのに、予定外の力仕事になってしまし、自分にとっては過重労働となり、夕食を済ませた途端に居所寝を始める始末でした。

(3)1日だけならばよかったですが、もともと子供のころから、化石・石器・埴輪などを収集するのが好きな方なので、その習癖が頭を持ち上げ、日々の作業をやっていても気になって気になって、結局、ふだんは週に1~2回外出すれば多い方なのに、翌日も出ることにしました。
 着いて、手前の方を見直してから藪の少し奥の方を見ると、前日と同じくらいの大きさ約8㎏ありましたが、木の皮の付いた部分が見つかりました。それで、とにかくその一帯にある石をすべて点検してみることにしました。
 見ると、流れ着いた河原の石は、砕けたものでなければ、通常は丸いものですが、ほとんどが、黒く変成岩化して、しかも木の化石ですから、木っ端のように角張っていて、年輪の曲線が見え、柾目の線が見えましたから、それをことごとく収集しました。すると、それも全部で7~8㎏になりました。
 帰宅後は、1日目と同じです。ずいぶんたくさん収集できたと満足だった半面、もう何日もやってきたかの疲労度で、バタン・キューでした。

   
     
(4)3日目は、ふと「あそこに家庭菜園用か農業用の残土があったが、あの下に残っているということはないだろうか」と思い立ちました。すると、調べたくなって、もう作業が手につきません。ということで、早速出ました。
 蔽いかぶさっている篠を切り除け、土砂を削り除けましたが、見つかりませんでした。
 ところが、大きなシャベルや草刈り鎌を持っていけばよかったですが、石割用のハンマーや小さなスコップででしたから、篠に抵抗され、土の多さに妨げられ、結局親指の付け根を痛くするばかりでした。十分にはできませんでしたが、ともかく見た限りはないという判断になりました。
 それでも、前2日よりも小さめの断片がかれこれ約2㎏見つかりました。ところが、これが、小さい分だけ洗うのに一苦労、ひざ腰の負担がさらに強まりました。
 
(5)4日目、もう行くまいと決めてましたが、ものごとなんでも続けていれば見えているものが違ってきます。目が慣れてくるというか、目が肥えてくるというか、とにかく、現場での要領がうまくなります。そうすると、小さいものでも、土に隠れているものでも、それまでよりはうまく見つけることができるようになります。それで、結局もう一回行って、「おさらい」をしてみることにしました。するとまだありました。その結果、また2㎏ほど見つかりました。木の枝のように細長くかったり、うっすらと木の皮がついていたり、黄鉄鉱の断片がついていたり、それまでの目では気が付かなかったものがいくつも見つかって、これも、帰ってから洗うのにずいぶん神経を使いました。

(6)その後はもう行っていませんが、箱に整理して、大小の、発泡スチロ-ルの箱・お菓子の箱などに分類して10箱ほどになりました。
 この化石は、上流から流れついたにしては丸みがありません。目下は、投棄物の可能性が強いです。しかし、かれこれ20㎏もある化石をポイと投げ捨てるというのも奇妙です。地質資料として価値がないとしても、装飾用の石として売ればなにがしかになるはずだからです。
 目下あちこちに鑑定を問い合わせています。興味がある人にはぜひ申し出ていただけると有り難いですが、なかなか相手をしてもらえるところが見つかりません。それで、先日、ボツを覚悟でテレビ番組で知られた「お宝鑑定団」に鑑定申し込み書をメールで送ってみました。
 結果は、あるかないか???

   

(7)そうそう、(1)の続きです。
 要するに、化石発見で疲労困憊してしまい、夕食後即座に倒れる生活になりました。つまり、朝型生活になりました。
 どのくらい早いかというと、漁師さん、豆腐屋さん、むかし田舎にいた朝飯前に草刈りに行くお爺さん、そのくらい早いです。では。
 
   
    この葉が周辺に飛び散り・・・



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No.140 弁当食べ 5 

2024-04-15 03:06:56 | 弁当食べ
 今回の弁当食べは、予定外の結果となりました。

(1)10・11日の2日にわたって大小約10㎏の化石が見つかり、さらに12・13・14と3日間、小ぶりのものや破片が毎日約1~3㎏も出てきて、その整理と置き場の確保、そして取り扱い、などなどに追われることになりました。
 それだけでなく、5日間、桜を探りながら自転車に往復30分から乗り、毎日3~4時間ハンマーと小さいスコップを下げてウロウロし、草を分け篠を切り取るなどの野良仕事をしましたから、体力の限界を超えてしまい、夕食後はコロッと寝込んでしまいます。

 
  途中で見たモクレン

(2)とはいえ、小学校5年の頃、近くの山へ石器を拾いに行き、古墳をめぐって埴輪を探し、崩落した山で化石を拾った日々などを思いだし、60年以上若返りました。
 さらに4年生の時に、その当時はまだ蛍光灯ではなく裸電球の卓上電灯の時代でしたが、その灯火の下で秀吉の頃の歴史の本を読んで楽しかったこと、その後、5年になって、22時ごろにあった加藤剛・藤由紀子主演のテレビ映画『人間の条件』(原作:五味川純平)を見て、社会派の方に惹かれたことを楽しく思い出しました。
 自分の行動様式の原型はこのころできたのだったようです。

 ちなみに、同じころ、園井啓介・島倉千代子主演の『あの橋のたもとで』も別な曜日にあり、それも見ましたが、これは、佐田啓二・岸恵子『君の名は』(菊田一夫のラジオ・ドラマの映画化)みたいに、すれ違いを繰りかえす気持たせの甘い筋というだけで、なんということもないものでした。
 なお、岸恵子主演の『ここに泉あり』の撮影が、群馬県中里村であり、背負われる赤ちゃん候補の一人になっていたそうです。赤ちゃんはその時の状態で撮影に使えないですから、何人か候補があったのだそうです。ザンネン。岸恵子さんにオンブしてほしかった・・・。

(3)話を戻します。
 化石を探しているとき、鶯が来ました。声はすれども姿が見えずで、なかなか見つからないものです。
 見つけかたは、ヒミツというほどではありませんが、相手に合わせて少し鳴きまねをしてみせて、移動するのを静かに見守ることです。あとは、根気と藪の状態次第です。
 昨日も1枚載せましたが、もう1枚ありますから、紹介しましょう。
 
 
(4)ウグイスは、「ウグイス嬢」などの言葉があるように「よい声」の例として使われます。たしかに、冴え渡る声で「〽ホ~ホケキョ~」と聞こえてくると、きれいだなと思うと思います。
 ではなぜ、ウグイスの声はきれいに聞こえるのでしょうか。
 あれは自分の縄張りを主張して啼いているものです。「ここはオレの縄張りだ。早々に立ち除け」といっているわけです。繰り返し啼いてほかの鳥などの侵入者を追い払いますから、あたりは静かになります。そこへ人が入って行くのですから、キレイに鳴り渡るのが聞こえるわけです。ウグイスからすれば、そうでないと効果がありません。

   
    クリスマス・ローズ

(5)前に書いた、「柳沢峠」〔28回頃:12月23日〕を通過した時のことです。まだ少し寒かったですが、たまに車が通過する程度で、深山の静寂〔じじま〕を満喫しながら登ると、暖かい南側の斜面に出ました。「神足が歩いた旧道はどのあたりか」と景色を探りながら休んでいると、鶯が啼き始めました。長閑〔のどか〕といえば長閑でしたが、その声のネライをわかっているだけに落ち着かず、「急かせるな。ここはたいへんなんだ」と思ったことでした。
 今度の化石探索でも、藪に入って汗だくになっているところへ啼き出したので、「うるさいぞ!」といってやりました。もちろん「ウグイス語」でです。

   

(6)ウグイスといえば、ロシア語で「サラベイ」といい、「ロシア民謡」といってよいか心配ですが、歌があります。コロラチュール・ソプラノで歌いますが、声の調子がよくない時は出ないくらいの高音域を歌います。私は、30年ぶりくらいしばらくぶりに聞き直しました。

 あとは略し、今日はここまでとします。

    
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No.139 弁当食べ 4

2024-04-14 01:41:20 | 弁当食べ
 日本の社会、だいぶ疲弊してきました。
 首相はアメリカであらぬ約束をし、与党の政治家はかつてなく金に汚くなり、憲法違反の軍備が強化され、富裕層や大手企業がどんどん富み、庶民生活の衰退がやまない。嗚呼。

    
     なお思う 舞い上がるべき 風のなか 
  
(1)金の茶釜盗難事件がありました。
 当世、どこにでも監視カメラがあって、一挙手一投足のすべてが見られています。デパートの中、路上、駅中・・・ないのは、山の中とか自分の部屋だけ。それを、公然と展示ケースを開けて商品を盗み取ってリュックに詰め込み、逃走して売却する。
 捕まるに決まっているのにやる、考えれば変な事件ですね。

 あの水原一平氏の件もよくわからないですね。依存症が言われていますけれども、ギャンブルがあれば、その問題はついて回ります。他人のカネを勝手に動かせるということも問題ですが、背景はギャンブルですから、ギャンブルを肯定する社会や社会構造を問題視しないといけないでしょう。
 その意味では、いま日本でカジノを言い出す政治・政治家そのものを問う、それをよしとする風潮を問題としないといけないでしょう。そんな活性化や成長でよいのか。

(2)話が飛びますが、昨日の岸田首相の演説は危険きわまりないものです。
 桜を見る会からキック・バック事件までの政界の横暴・腐敗や、説明のつかない民間の椿事があったりするときは、大きな社会の転機の前触れであることが多いので、目を凝らしてみることが必要です。
 その際に大事なことは、
「正解をよけて考えていないかどうか、これを注意すること」
 です。
 とくに、
「正解を認めると自分が損をするとき」
 です。その時に、我利我利亡者になりやすい。
 「我利我利」というのは「おれがおれが」ということですね。自分のためにを優先する。ウソもつけば、金にもきたない。横柄、エバル。やりたい放題。外顔ばかりよくて中身がない。ウケばかり狙う・・・。そして、あっちにホイ、こっちにホイとウロウロする節操のない人のことです。

(3)今日は、朝、水やりをしていると、久しぶりに珍客がありました。
   
 
 でも、ちょっと機嫌がよくなかったようです。ツーショットを申し入れたところ、あっち向きこっち向きして逃げて、いやそうにしてました。

(4)それから、ふと見ると、側溝〔ドブではありません〕にスミレさんが咲いてました。我が家の二女です。長女はNo.131で紹介しました。 

  

(5)実は、10・11・12・13日と4日、化石発見現場にかけつけました。大きいのはもうなさそうですが、できるだけ一緒に居られるようにしておげようと頑張り、今日も2㎏くらい細かいのを探し出しました。
 細かいことは整理ができてからにします。今日は、周辺の花を一つ。
   

 化石を探して入った藪の中に一面に咲いていました。
 帰りに、藤がきれいに咲いているのを見ました。
  〽うすむ~らさ~きの~ふじだなの~

(6)それから、藪の中にウグイスを見つけました。  
   
    〽ホ~ホケキョ~
 これについては、明日に。

(7)帰りに、八高線が夕日の中にきれいでした。
  

 いっぱい撮れましたから、順に載せます。
 今日はここまでです。

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No.138 弁当食べ 3

2024-04-13 02:36:17 | 弁当食べ
(1)岸田首相の米議会演説、あれはひどかったですね。
 「ひるおび」というテレビ番組を見ていたら、よく出て来る高齢の政治評論家が、「自分は日米関係を強固にすることは賛成だからあの表明はいいと思うが、それでも恐いのは中身がわからないことだ」というような論評をしました。
 あの演説は「日米軍事同盟の賛否に関わらず恐い」わけです。
 そもそも「国民に何も説明せぬままOKを先に言う」などということはあり得べからざることです。
 支持率が20%を切った首相が、日本の主権を損なう約束をして、にこやかに演説をして見せました。あれは「アベ政治の総仕上げのほくそ笑み」、それとも、 密約をしたごまかし笑い?・・・どっちにしても、帰国すれば、20%割れという現実が待っています。

(2)さて、化石拾いの続きです。最初に化石発見の場所を紹介しましょう。
   
    化石発見場所

 右上に八高線の鉄橋が見えます。昨日の写真の八高線が写っている辺りです。
 自転車がある所が駐車場の川側の端です。藪の向こう側が多摩川の河川敷で、昭島クジラが発見された場所になります。
 自転車はカミさんの愛車です。その向こうに2本の杭が見えます。右の杭の所が河川敷の入り口です。左の杭に赤い「不法投棄禁止」の警告看板が付いています。
 その「杭の左に立っている2本の細い木」から「写真の左端にある木」までの間の手前側、縦横2mの区画、そこが発見場所です。

(3)上の付近で八高線到来の音が待って花や虫を追っていたわけです。そして、最初に、前輪のすぐ先2mくらいのところに大きな石があったので見たところ、化石が見つかりました。
 初日は、驚いてとりあえず手前の表面に見えているものを拾い、重さで約15㎏が見つかりました。そこで、2日目は少し奥の藪の中も確かめました。その結果出てきたのが次のものです。
   
 
 メジャーの大きい方は30cm、小さい方は5cm、重さは約8㎏です。
 写真は木の皮の化石が見えています。
 木の内側〔芯〕は次ようになっています。
   

 わかりにくいですね。上から見た図もあげましょう。
    
 
 上面に年輪、手前正面に柾目の縦縞が見えます。

(4)これだけの大きさのものが2つあるだけで、私の部屋はもうかなり様変わりです。ところが、実際には、大小の破片が都合15㎏ありますから、足の踏み場も要注意です。
 まだとりあえず置いてあるという程度ですが、全体は次のような状態です。
   

 大きい2個は紹介したものです。このほかにもう一つ。
   

(5)この写真ではガラクタみたいで、私が見てもあまり感動しませんが、実際に手に取って人一つを観察するとワクワクしてきます。
 化石化した年輪や樹皮が見えるだけでなく、貫入があって黄鉄鉱やら水晶化したところが見られるなど様々あります。なんとか、この化石の意味を正確に知りたいと思っています。

(6)実は、2021年12月に、「「ナウマンから神足勝記への指示書」の発見とその意義」(大澤 覚・山田直利・矢島道子、GSJ地質ニュース 第10巻 第12号)を発表しました。
 これは、神足勝記の残した文書類をご遺族からお借りして調べている中に、上記の「指示書」がノートの中から見つかったので、地質やナウマンについて詳しい研究者と協同して研究して発表したものです。興味のある方は、検索で読めますので、ぜひご覧ください。

(7)なにが言いたいかといいますと、私が今回、『御料局測量課長 神足勝記日記』日本林業調査会(J-FIC)を発表しましたが、神足は、御料局に入る前、農商務省の地質調査所で働いており、その分野の先駆者の側面を持ちます。
 したがって、そういう人を取り扱うものとして、専門外ではありますが、欠を補うべく関連文献をいくらか読み、多摩秩父の地質についての講演を聴きに行ったりと、耳学問を楽しんでいるところです。
 今回の化石発見は、もちろん偶然のことですが、そういう中で起きたことです。自分にとってはたいへん感慨深いものがあります。
 まだ、途中ですが、今日はここまでとします。
 









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No.137 弁当食べ 2

2024-04-11 22:31:59 | 弁当食べ
(1)昨日は、本当は、高月の圓通寺の枝垂れ桜を見たいと思って出たのでした。ところが、思わぬ化石が見つかり、14~5㎏もの荷物ができて一瞬躊躇しましたが、化石は壊れないように草をクッションとしてたくさん詰めましたから万全、それで、やっぱりゴーと決めました。

(2)多摩川沿いの山桜はすでに終わっていました。 
   
    新緑に 急ぐ勿れの山桜

 時刻はすでに1時半を回っていました。
 高月へ急いで、それから昼食にしようと思って化石拾いを中断したのですが、ぴかぴか光る新緑の中にちらほらと咲く山桜に、なんとも言えないあわれを感じたので、今日はここで弁当にしました。
 弁当といっても、カミさんが近くのパン工場直売で出来立てを買ってきた菓子パンとオレンジです。
 なお、オレンジは、外の皮を剥くと、その後は中の皮を剝きません。理由は、一つ一つ剥くのがメンドウだから、というのはかつてのことで、実は中の皮のあの独特の苦さ、これが慣れると美味いんですね。お勧めです。とくに酒飲みはこれをやるべし・・・。まあ、好みですから、リクツはなんとでも付けられるもんです。
 食べていると、自転車・ジョギング・のんびり散歩・河川敷での山菜採りなど10人ほどが行き交いしました。

(3)多摩川をさらに遡って、拝島の睦橋付近の桜は満開でした。
  

 睦橋から見ると、桜並木はさらに北の福生の方まで遡上していき、私もわずかに残る後ろ髪を引かれました。しかし、ここは重い荷物を抱えていることを思い出して自粛しました。

(4)睦橋を越えて、秋川べりを高月に急ぎ、圓通寺に着きました。しかし、ザンネン。やはり、先日(No.129)見たのが見納めでした。   
  
   葉を貯めし 御身に華を もどさばや

(5)仕方なく帰ることにしました。
 秋川べりに出ると、河川敷の菜園の中に、盆栽のような桜がありました。
   

(6) それから、東秋川橋を渡って秋川を下ると、ハナモモが咲いてました。
   

 後ろの柳の新緑に映えて、通る人ごとに見上げては通って行きました。
 右の河川敷には、遠目でも大きめとわかる野蒜があちこちにあり、採っている人がいました。
 それから、この秋川あたりにはかんぞうが群生しています。多摩川べりより格段に多いと思いました。

(7) 昨日は、このあと、帰宅して化石の洗浄、どろなわ式の化石の勉強をしたわけです。今日は、昨日の化石採集が、手前に転がり出ていて見つかった化石を拾っただけのものでしたから、少し土を掘って埋まっているのを探し出すこと、藪に入って奥の方を見ること、これを目的として行きました。
 このあたりの地層は砂岩です。しかし、見つけた化石は火山性の硬い石質でした。ですから、この化石は上流のどこかから流れついたものだったはずです。そうすると一ヶ所にだけ固まって残るのでなく、流れながら砕けて、砕けたものがたどり着いたところで自然崩壊して、それがあちこちに散らばってあるはずです。そう考えて行ったわけですが、そうしたら、ありました。
 でも、そこは明日にしましょう。

 

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