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神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.508 ムシ・シカト・度外視・捨象

2025-06-30 01:00:23 | 雑評
(1)きょうは、息子に運転してもらい、群馬県藤岡市へ墓参に行ってきました。
 東京から群馬までは、直線距離で100㎞ほど、要する時間も1時間半くらいのものです。それでも、行って来るとなれば、結局、一日仕事になりますから、息子に一日あけてもらい、母方の墓所、叔父宅、父方の墓所をまわり、その間に、これまでなかなか話す機会のなかった来歴や、親の考えていることなどなどを話すことができました。

    
    寺で:これハチよ ふんばり足らずば 落ちるぞよ   

(2)きょう、石破茂首相が言ったそうです。
  「消費税は金持ちほど恩恵・・・」と。

 石破さん、あなたはクリスチャン。
 なら、「神の慈悲」をお持ちだろう?

 そもそも、消費税は、負担能力のない人、所得のない人、低年金の人からも取る悪税だ。「金持ちに恩恵」が行ってもいいから下げてみせろ。そして、「金持ちに恩恵」がいくというなら、所得税や法人税の累進化を強化してみろ!
 できるかな? できね~だろ~なあ!

    
    えらくごっついカメムシです。  
 
(3)きょう、自民党の森山裕幹事長が言ったそうです。
 「消費税を守り抜く」 「代替財源を示さずに下げる議論だけをするのはポピュリズムの政治だ」と。

 あなたは税のことをご存じか?
 消費税は、買い物をする人すべてにかかる税だ。その中には負担能力のない人もいる。負担能力のない人から取っているということは、首を絞めて取っている税ということだ。そういう税を「守り抜く」なんてことを選良が言って、許されると思っているのか?

 それから、「代替財源を示さずに」というが、賛否はともかく、共産党のように財源を示している政党がある。なぜこれを無視する?
 確かに、「下げる議論だけ」の政党もあるが、財源を示している政党を意図的に排除しておいて「ポピュリズム」はレッテル張りではないか?

    
     ムカゴにヒメコガネ?がいました。
     写真を撮ってたら、頭を引っ込めました。
    
    目の錯覚ではないようです。

(4)きょうは、つまんないことを書いていますなあ!
 ちょっと疲労気味で・・・。
 しかし、まあ、ムシしないでください。
 ところで、無視・シカト・度外視・捨象の違いって分かりますか?
 これは、『資本論』ゼミで議論になったことがあります。

(5)まず、無視とシカトです。
 これは、まあ、同じです。
 なにかがあって、そのことに意味があるかないか、そういうことを意に介さず、無条件に視野の外に放りだす、まったく相手にしない、存在自体を否定する、ということです。
 A君は嫌い、だから、いても口も利かない、などというのがこれです。

(6)次に、度外視です。
 これは、何かを考えるときに、その存在を知っている(無視しない)が、それを入れると複雑になったり、混乱原因になるので、一度それを除けておくということです。
 たとえば、旅行計画を立てるときに、電車の遅れがあるかもしれないが、とりあえずはないものとして考える、などがそれです。遅れを度外視して考えるというわけです。 
 
(7)最後に、捨象です。
 これは、研究において、一つ一つの要素の意味を十分に把握したうえで、そのうちの全部を入れると複雑になってしまうので、そのうちのいずれかをいったん除外して検討してみるという場合のことです。
 たとえば、経済学で「利子率が一定とすれば」とか、音楽で「打楽器がないとすれば」とか、というのがこれに当たります。

(8)そうそう、「無私」というのもありました。
 これは、今度の参議院選挙で重要です。
 裏金議員だけでなく、石破さんは、この間にすでに6億円も官房機密費を使っているそうです。いったい何に使った? こういう「自民党的体質」、「自公的体質」を改めるために注視が必要です。

(9)政治はよく見ることが肝要です。
 その点、神足勝記はよく見ていましたし、率直でした。私に日記を貸してくださった神足勝浩氏も実にリアルな認識を持っていました。

 あ、もう夜が明けました。ここまでにします。

    
    12あったつぼみのうち7個がもう咲きました。
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No.507 戦前願望の人たち?

2025-06-28 00:09:21 | 時評
(1)きょう(27日付)の『朝日新聞』で佐伯啓思氏が≪戦後80年「ごっこの世界」≫で意見を書いていました。
 佐伯が「保守の立場から様々な事象を論じる」人であることはあらかじめ人物紹介欄に記されていることですが、その「情緒的な物言い」は今回は一層深化したようにみえます。

(2)佐伯は最初の二段落で、大要、次のように言います。
 なぜいつまでも「戦後〇〇年」と言い続けるのか。
 その理由は、「あの大戦の意味づけが確定できないから」だ。
 「戦争の意味づけ」とは歴史観のことだが、これがないと「戦後を見る尺度」も存在せず、それゆえ戦後の歴史的解釈も不確定なままとなるのだ、と。

(3)では、「あの大戦」や「大戦の意味づけ」=「戦争観」について、佐伯はどういっているでしょうか。
 結論から言えば、それは一言もありません。そう思います。
 そこで、私の思いを書いておきます。
 「戦後〇〇年」という言葉は、もちろん様々に使われますが、まず当然の前提になっているのは、「世界にも、隣国にも、日本国民にも苦難・犠牲を強いた戦争」、「その苦難の日々が止まって〇〇年」、「直接の戦闘がなくなって〇〇年」という告発の言葉であるはずだということです。そして、その上に立って〇〇年の過ぎ越し方を「回顧・検証」する・・・。
 
(4)たとえば、「戦後80年」という言い方がまさにそうです。
 これは、あの戦争の終結から80年がたった、そして、たとえば、いま戦争を知る世代が80歳代後半~100歳の高齢になった、あと20年もすると、戦争を知る世代がいなくなってしまう、・・・。そこで、戦争や原爆の被害について語り部を育てることが始まっている、という使い方です。これは、日本の戦争とそれに伴って引き起こされた原爆投下という悲惨という事実を再び起こさせないという告発です。

(5)この一方で、ベトナム戦争以降も、アフガン戦争、イラク戦争など大国も横暴が繰り返されてきましたが、ロシアのウクライナ戦争、その後の、イスラエルのガザ攻撃、そして、イスラエルとアメリカのイラン核施設の爆撃がありました。世界で、国連憲章・国際法・人道を破る「武力による平和」が公然とやられています。
 こうしたなか、アメリカのトランプ大統領は、地中貫通爆弾「バンカーバスター」の投下によって「武力による平和」を勝ち取ったとうそぶいていますが、米情報機関でさえ、「核施設の重要部分を破壊することはできず、イランの核開発計画を数カ月遅らせたに過ぎない」(6・26付「朝日新聞」)と言っています。

(6)また、米シンクタンク「軍備管理協会」会長ダリル・キンボール氏は
「・・・、だが、米国が攻撃に踏み入ったことで、米国とイランの信頼関係は崩れ、イランは核開発計画を決意したのではないか。米軍の軍事行動で、イランの核武装の阻止がこれまで以上に困難になった可能性がある」(同前)と述べています。」
 これは、私もそう思います。
 これは一昨日書きましたが、北朝鮮はアメリカの攻撃を阻止するために核開発を急いだのです。

(7)さて、佐伯はこういうことを一切言っていません。
 どうしているかというと、江藤淳が『諸君!』(1970年1月)に書いた「嘆き」を紹介して見せているだけです。
 詳しくは直接お読みいただくのがよいと思われますが、かいつまんで言うと次のようなことです。
 (70年までの)日本は対米従属下で繁栄した。(従属下=主権のない)国家では本当の政治課題は存在せず、「公的なもの」は存在せず〔多分、「国体」がないということ。〕、「わたくしごと」が政治空間を支配した。
 しかし、日本の経済成長で、米軍は日本から撤収し、「自主独立」に近づくだろう。その時、「日本はようやくあの敗戦の意味を論じ、その敗戦からの回復という現実に直面するだろう」。

(8)江藤は、この後に、「日本人は改めて死者に手を合わせ、自らの共通の価値観や運命を思い起こすだろう」と言っているようですが、佐伯はこれには「本当にそうだろうか」と疑問を呈し、代わりに三島由紀夫が「サンケイ新聞(1970年7月7日)に書いた「果たしていない約束」を引き出して、次のように語らせています。
 「このままでは、「日本」はなくなって、その代わりに、無機的で、からっぽで、中間色の、抜け目のない、経済大国が極東の一角に残るのであろう」と。

(9)いったい三島は何を言っていたのか? これについて、佐伯は次のように紹介しています。
 「三島の戦後日本への憎悪にも似た嫌悪感は、何よりもまず、天皇の「人間宣言」に向けられた。それは、神という宗教的観念から天皇を切り離すものであった。そのことによって、戦後の日本文化は歴史から切断され、全体的な統一性を失い、人間の営みを超えた「聖なるもの」への結びつきを失った。」
 そしてまた、
 「欧米の自由や民主主義の背後にも宗教意識がある。日本は、それを断ち切った。それを象徴的にいえば、天皇の人権宣言による歴史断絶だ、と三島はいうのであろう。」

(10)欧米のキリスト教と戦前の神権的天皇制を同列にいうところに三島の思考の短絡さがありますが、これは実は佐伯の思考(嗜好?)でもあります。
 というのは、上の三島の言葉を無批判に繰り返しているからです。
 「戦後80年、・・・その背後に広がるものが、無機的で、からっぽで、抜け目のない精神状態とすればどうだろう」と。

(11)この江藤・三島、そして佐伯の論調は「戦後」というより「戦前」、そこに引き戻したいということになるのでしょうから、要注意です。
 私の高校生の頃からずっと、「愛国心」とか「排外主義や極右的潮流」は、批判すべきものでした。最近、これがまた強くなってきて、先の都議選でも見られました。また、今度の参議院選挙でも注意すべきこととみています。
 
(12)戦後を語って戦前をいう。なんともね。ちっとも勤労者の気分がわかっていない・・・。怒るべきことです。
 
    
     ベニシジミチョウ

 【コレクション 255 前線全駅 鉄道の旅」
 このパンフはA3の要旨を二つ折りしたA4判4ページのものです。
 下には、1・4ページを載せました。4ページに観光案内、編集委員紹介などがあります。また、2・3ページは内容見本ですが、割愛します。
 
      1ページ


      4ページ
 
 
  長くなりました。今日はここで。

  
 
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No.506 戦犯にノーベル賞?

2025-06-26 00:12:37 | 時評
(1)都議選の結果が少し見えました。
 コスコミは都民ファーストが自民党を抜いて第1党になった云々を言って、あたかも小池都知事の政策が支持されたかのように言い、一方の自民党は裏金問題が響いたというような論評をしていましたが、私の見方はこれとは違います。

(2)結論から言います。
 改選の前と後の勢力を比較すると、小池都政は都民から批判されている姿が浮かんできます。
 まず、小池与党を「都民ファースト・自民・公明・維新」とします。
 この順に各党の議席は、
        改選前 26 30 23 1 計80
        改選後 31 21 19 0  71
 この見方が正しいとすれば、計9議席減です。維新を除いても8減です。
 さらに、無所属で当選してすぐに自民党会派入りで問題の3人を加えても5減です。また、「都ファ+自民党」で「56→52」と4減です。

(3)一方の野党は、改選前の議席順に「共産党・立民党・ネット」で、
        改選前 19 12 1 計32
        改選後 14 17 1  32
  変化がありません。

(4)このほか、改選前は議席がなかった「国民民主党の9議席」と「参政党の3議席」がありますが、「れいわ」と「社民党」が議席をとれなかったことからして、自民党離れした層は、野党に回ったというよりも、「ゆ党的な曖昧層」が「国民」に、保守層が「参政党」に回ったように見えます。
 この辺はもっと詳しく見る方がよいでしょう。

(5)ところで、きょうの『しんぶん赤旗』に、「比較可能な選挙区での今回の都議選と2024年衆院選比例区との得票数・率の比較」という興味深いデータが出ていました。下に簡略化して載せました。
(得票数は百位で、率は少数第2位で、四捨五入)

     25年都議選    24年衆院選    増     減
    得票数   率    得票数 率   得票数  率
        千   %    千 %       千   %
共 産    489   12.2           375    8.0            +114   +4.2   
自 民       831   17.6         1338  23.6            - 507   - 6.0     
立 民      477    14.0           835  20.7            - 358   - 6.7
公 明      530    14.0           425    9.6            +105   +4.4
国 民      367    12.9           509  15.1            - 142   - 2.2
維 新        81      5.6           143    8.6              - 62   - 3.0
れいわ        47      5.1             77    7.1              - 30   - 2.0

(6)今回の都議選では共産党は5議席減、公明党は4議席減でした。しかし、データで見る限りでは、この1年間の国民の動向は、都議選の結果とは違っているように見えます。
 都議選で議席を減らした共産党と公明党が得票数も率も伸ばしていて、一方、自民党は50万票減、立民は35.8万票減、国民は14.2万票減、維新は6.2万票、れいわは3万票減、率もそれぞれ減となっています。

(7)このことは何を意味しているでしょうか?
 共産党と公明党は、目指すものも、組織の内容も異なる政党です。しかし、組織政党という点では共通しています。
 私は、いつも気分(フィーリングやモード)で政治をやってはならないといっていますが、この両党が、党の政策や課題実現のために活動していることは知られています。その両党(だけ)が支持を得票と率を伸ばしているというのです。
 1つの票だけで結論は言えませんが、興味深いことは確かです。
 
    
     木の枝に、何かの種でしょうか・・・

(8)もう一言。
 トランプのイラン爆撃に「ノーベル平和賞」を推薦した人がいます。
 ・・・・・
 アメリカの国家機密が明らかになったね。
 ・・・・・
 トップも取り巻きもwantedだってこと。 
 これほどの「ブラック・ユーモア」もないね。
 うん!
 
(9)さらにもう一言。
 トランプのイラン爆撃はどんな教訓を残したか。これについては、トランプ氏が「ロケットマン」と呼んだ人に代弁してもらいましょう。

 「ほらみろ!祖国を守るには核兵器が必要なんだ。持ってなければ、いまごろは祖国はなかったぞ。」

(10)この点、きょうの大谷翔平は立派でした。
 「死球」を受けたあと、自チームのベンチに怒りを制するように手を振っているのをニュースで見ました。
 「死球」が故意であったか、失投であったか、それは投手本人にしかわからないかもしれません。失投と思いますが、仮に「故意」であったとしても、大谷の態度を見れば、反省のほかないでしょう。これこそ「平和」の要点です。

   
    黄色いユリも咲きました。:12もつぼみがついています。
 
 今日はここで。

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No.505 キチントさばこう!

2025-06-23 23:10:14 | 雑評
(1)きょうは沖縄の慰霊の日、追悼式で朗読された「おばあちゃんの歌」のことを夕刊でを知りました。
 戦後80年間、日本の復興、国際社会復帰、経済成長を言ってきたこの間、この「おばあちゃん」は「艦砲の食べ残し」と歌って、自分が生き残ったうしろめたさ、米軍が投じた手りゅう弾のために負った傷跡にたえてきたのだそうです。
 なんとも痛ましいことです。

(2)きょうも、あれこれと考えてしまいました。
 一つは、いったいなぜこういうことが戦後80年もたたないとはっきりしないのか、ということです。
 もう一つは、なぜ戦争の悲劇が続くのかということです。

(3)戦争はひとたび起こると(ドンパチという直接の戦闘は当事国間の終戦協定で終りにすることができますが)、たいがい終わりがありません。
 「終わった」と見えるのは、戦争の指導者やその残党が戦後も枢要な地位に潜伏していて、戦争責任を曖昧にし、終わったことにしようと画策し、忘れている(忘れたい)からでしょう・・・ね。

(3)「終わりがない」というのは、たとえば沖縄の不発弾処理、これにはまだあと70~100年かかるという見通しですから、戦後処置はずっと続いているわけです。
 ほかにも、たとえば、硫黄島だけでも何万もいるという遺骨収集、その賠償や記録作業・・・、もっといえば、戦争犯罪(人)の追求あります。
 財政学的にも、戦争に費やした諸経費(戦争遂行費や戦後処理費)が確定しなければ、決算となりませんから、終わりになりません。

(4)では、あんなひどい状態に落とし込んだ戦争指導者・戦犯はなぜ生き残れたのでしょうか?
 たとえば、東条首相は東京裁判で死刑に処されましたが、商工大臣を務めた岸信介氏は戦後は釈放になって首相にまでなりました。この岸氏のような国家レベルの要人でなくとも、県市町村レベルで直接に戦争協力をした人がいたはずです。そういう人たちはどのくらい責任を取ったのでしょうか・・・?

(5)前の戦争の総括が終わりもしないうちに、このおばあちゃんのような悲劇は、ウクライナ(そしてロシア)でも、ガザ(そしてイスラエル・イラン)でも、毎日起こされて増幅しています。

(6)これも「きょうのニュース」でのことですが、アメリカで、トランプのイラン空爆に対するデモが報じられていて、その中に「remember Iraq」というのがありました。
 そうです。あの時は、イラクが大量破壊兵器、つまり核兵器を保有しているとウソを言って攻め込んだのでした。日本の小泉首相もこれに追随して自衛隊の派兵をしました。

(7)長くなりそうですから、端折りますが、戦争処理がきちっとなされて戦争終結に至らない理由は、戦争が始まる理由とほぼイコール。
 戦争が始まる理由は、戦争批判勢力の力が弱いからです。
 これには、批判勢力が育っていない場合とか、あるいは、むしろナチスの反共法、日本の治安警察法・治安維持法、アメリカのマッカーシズム(赤狩り)、ロシアの「外国の代理人」などように、前もって弾圧や弾圧法でもって批判勢力をいじめて力を殺いでおくということがあります。
 
(8)いま、トランプの空爆は、国際法にも、国内の手続きでも、違法であることがはっきりしています。
 ですから、民主党だけでなく共和党でも異論が出ています。上にあげたでものプラカード「remember iraq」のように過去を忘れていない世論も現にあります。しかし、その世論は、ことトランプの戦争に反対という意思表示ではあっても、政治勢力として一つの力(政党)にまとまろうとする方向には至っていません。どんな運動も自然発生というだけではまだ弱いものですが、それが国際連帯や、広く勤労者の立場に立った運動と結び付いたときに不屈な勢力となってきます。
 周知のように、サンダース議員のような人もいますが、彼はすでに高齢ですし、何よりも居候のような状態です。アメリカには、彼のような人が政治の舞台に登場できるような道が歴史的に閉ざされているうえ、まだ突破する力がありません。

(9)プーチン大統領・ネタニヤフ首相・トランプ大統領・・・は、すでに戦争犯罪人です。彼らのいう平和は「武力による平和」です。
 いま、その人たちが、自分の戦争を続けながら、隣りの戦争の調停人をかって出るなどというおよそ場違いなことをやり始めています。
 
(10)つまり、自分の都合で攻撃・仲介・攻撃・・・。
 結局、理性的な戦争の終わりがないのですから、戦争の抑止にはならず、「おばあちゃんの歌」は止まない。

(11)ウクライナでも、ガザでも、イランでも、終結したら、戦犯として裁判にかけましょう。
 そうだ、イラクへ行って来たといって名を知られ、その後、国会議員になった髭の人もいました。 
 その前の、ベトナム戦争でアメリカが使用した枯葉剤の被害者も忘れないようにしましょう。

 今日はここで。

1.はなのいろはうつりにけりな~

   
    来年も待ってるよ。

2.秋川で見たゴマダラカミキリムシ

   
    踏まれて、もう虫の息でした。

3.21日の西の空

   
    魅力的に明るい西の空でした。
    
    西方浄土だね?
    そんなのないよ!
    そうかい?
    だって、あのトランプが「神」って言ってた。
    きっと「無慈悲な神」だよ。
    「God is love !」だろ?
    その人次第だよ!
    ・・・。



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No.504 まず都議選だよ・・・

2025-06-21 23:20:13 | 寄り道
(1)きょう、ふと「社会経済学」のことを思い出しました。

(2)「社会経済学」というのは、私の学生のころにはたんに「経済学」ともいってましたが、そのころは、「社会経済学」ではなく、「政治経済学」と言うのが正式でした。というのは、日本では経済学も輸入の学問で、それが英語表現ではpolitical economyだったからです。

(3)なぜ、politicalの訳語が「政治(的)」から「社会(的)」に変わったかというと、「直訳から言葉の意味をとった表現に改められた」といえばよいでしょう。
 たしかに、politicalで政治表現をするありますが、政治現象だけでなく、広く社会の中のやり取りなどを表現する場合に使われるのです。
 そして、そういう認識が80年代には理解されるようになってきて、大学の授業名でも「経済原論」が「社会経済学」と変えられ、定着するようになりました。

(4)しかし、70~80年代から、経済のグローバル化に伴って、「近代経済学」さらに新自由主義の経済学が世界に広がるようになりました。
 これは、大学もそうですが、当時のソ連などでも経済計算や景気調整・浮揚策との関係でその傾向がはっきりしていました。
 ちなみに、私は大学院博士課程の入学試験で、第2外国語としてロシア語を選択しました。その時にケインズの「一般理論」のロシア語訳はヤマだと予想しましたが、その通りでした。

(5)ほとんどの大学の経済学部の主流が、社会経済学から「近代経済学」へ移っていくと、学部名の英語表記が、従来の「faculty〔学部〕 of political economy」から「faculty of economics」に変わっていきました。

(6)その主張をかいつまんで言いますと、従来の経済学(political economy)が、「ある政治現象や社会現象が起きてくるのはなぜか」いうことを考え・分析解明することを学問的課題としていたのに対して、その後に起こってきた経済学(economics)は、「従来の経済学は経済学の研究に経済外の政治問題・社会問題を入れている」、それは「学問として不純」である、経済学はそういう不純物を除いて、純粋に経済現象を研究する学問である、というのが根幹にあります。

(7)「経済数学」という本がありますが、経済学を数理現象、数学的に研究する、それが科学的な経済研究の方法であるというものです。
 politicalを取り去ってeconomicsとしたのには、純粋に経済現象を研究するのが経済学の課題であるという主張があるわけです。

(8)しかし、これはおかしいわけです。
 たとえば、ネタニヤフがガザを爆撃し続け、イランを爆撃し続ける、これはネタニヤフの戦争(政治)です。
 これを爆弾1発で何人殺傷できるかなどという効率の問題として研究するのが経済学の課題だとしたら、それによって殺傷される多くの市民・子供などにとってこれほど無力でひどい学問はないことになります。
 プーチンのウクライナ侵略も、北朝鮮の派兵も、直接的な政治関係や思惑の背後に横たわる事情を経済的に突き止めてこそ、真の批判ができるわけです。

(9)日本の自衛隊が、防衛予算〔もう完全に軍事費〕を増やす理由は、日米の政治関係なしでは解明できません。
 「消費税を1%上げると、どのくらい法人税を下げられるか」、な~んていうこと自体がもう政治がらみでしょう?

(10)しばしば言ってきたことですが、数学では、
  10÷2×2=10×2÷2
 は成り立ちます。
 でも、人間は違います。
 「食べてから死んだ」はありますが、「死んでから食べた」はありません。順序が違えば成り立ちません。

(11)社会を総量でとらえて政策を立てるのでなく、生きた人間を具体的にどう救っていくか、それにはきめ細やかな対応が必要です。それができるのが社会経済学です。 
 健常者もいろいろですが、弱者はもっと様々です。
 
 おっと、脱線かな?
 都議選、いい人が当選するといいなあ!
 私、あの人がいい、
 でも、違う選挙区なんだよ・・・
 なんだい、そりゃセクハラかい?
 違うよ、うちのばあさんに似て・・・
 なんだい?
 まあね・・・。
 もういいよ!アハハ!

     

 皆さん、
 大事な選挙です。嘘つき、ホラ吹き、大声、横柄、自分本位・・・でない人にしてください。
 
 今日はここで。

1.大塚山で見たキノコ

  

2.もう一つ。
 
   

 歩けば、いろいろあります。
 あの日の君に会いたい。うふふ!


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