稜線の南は富士河口湖町 北左は甲府市 北右は笛吹市
(富士山富士五湖Map)
『御料局測量課長 神足勝記日記 ―林野地籍の礎を築く―』日本林業調査会(J-FIC)を刊行して10日になろうとしています。
みなさんが、この本によって、神足勝記や御料局測量員の業績を知っていただけますよう期待しております。
日本の林野地籍は100年以上前の成果が今も現役で使われているのです。
さて、上の地図の地域を神足勝記は2回通過しています。(この東方にある御坂峠を越えて河口湖付近も通過しましたから、それを入れると3回です。もちろんすべて徒歩です。)
私はその足跡を3回に分けてたどってみました。今日からからこれについてちょっと書きましょう。
神足の1回目は、明治14年9月25日の所です(解題の13ページ下にもあます)。元の日記には、西の市川大門の方から芦川を遡ってきて、10月2日に古関(ふるせき)の田中与平方に泊まり、3日「・・・古関を発し、溪河を左右し・・・里許、漸{く}顱丘{ろきゅう:円頂状の山}の麓に出て鶯宿(おうしゅく)に至」るとあります。
私はここにある「田中与平方」と「顱丘」を探してみることにしました。
この地域へ到達するには、JR石和駅から右上の鳥坂峠を越えて鶯宿までのバスか、西の方から古関までのバスのいずれかとなります。東京から行くには石和からが便利です。そこで、私は、鶯宿着10:26、同発12:55と決め、2時間半で鶯宿・古関間を往復することにしました。なお、バスの本数は1日3本です。
バスの終点で運転手に、帰りもかならず乗るから、バス停でなくても拾ってくれるように頼み、近くで道を聞き、時たま車が通るだけの山間を行くと、下りだったせいか予想外に早く11:05頃に古関に着きました。
神足たちが泊まるのはお寺とか大きな旧家と決まっていますから、急ぎ2~3軒当たると、すぐに見つかりました。間違いないことがわかったので、手短かに話しを伺い、後日の訪問をお願いして30分ほどで辞去しました。
水ノ沢山の突端(正面方向が鶯宿、右はロッジ・スポーツ場)
帰りの鶯宿までの所要時間を80分みておきました。
神足は昔の道を歩いたのですから、今の舗装路とは違うはずだ・・・と、沢の方を見下ろし、山の形を確かめながら行くと、突然、沢の正面に山が現われました。すぐにこれだと納得しました。
神足が見たものを今見ていると思うと、沸き立つ感動を抑えられず佇立。
思いのほか簡単に見つかり、30分以上も時間を余らせて帰ることができました。余った時間で辺りをうろうろしていると、バスが来て無事拾ってもらえました。もちろん、このほかには顱丘{ろきゅう:円頂状の山}は見当たりませんでした。
つづきは明日にしましょう。
帰り道で見た花