娘の散歩道

東京町田市より、普段の出来事や散歩に行った時に感じた事を
記録しています。

母の闘病生活5

2009年12月01日 08時49分38秒 | 
本当に数日の命しかないのか?。
昨日、病院に運ばれてきてから1日も経っていないのに、これから残された
時間も数十時間なの?。

半信半疑でしたが、母の様子は確かに1時間毎に変化していて、話すのも辛く
体の自由も利かなくなってきていました。

しきりにのどが渇いていると訴えていましたが、気管支に間違って入ることが
あるとのことで飲み物は一切とることが出来ずとても可愛そうで
見ていられませんでした。

苦しい状態でしたが金曜日、土曜日は問いかけにはしっかり答え、上体を
起こして欲しいことや体の向きを変えて欲しいなど伝えることは出来ました。

土曜日には叔父さんや叔母さん、従兄弟なども見舞いに来てくれ喜んでいましたが、
土曜日の夕方から病状は更に悪くなり、意識は朦朧とし体には全く力が入らず
苦しい息使いと酸素吸入器の音が室内に寂しく響いていました。

とても見ていられません、不謹慎にも、このまま静かに、
目が閉じたままになって欲しいとさえ思いました。

日曜日。

朝、母はもう虫の息です。
酸素吸入器の量は最大となっており、既に自己呼吸は出来ない状態でした。

この日も叔父さん叔母さん、従兄弟が駆けつけてくれて虫の息の母を見ると
皆暗黙の覚悟が出来ており、それぞれが母にお礼や昔の楽しかった思い出を話していました。

母はうっすらと目を開けたりしていましたが、聞いていたかは解りません。
たぶん、意識はなかったと思います。
そして夕方4時45分、すーっと息を吐き、2度と吸うことはありませんでした。

私は悲しさよりも、楽になれたこと、苦しまなくて済む安心感の方が強く、
本当にすーっと深い眠りに入った、そんな感じの顔でした。

母の体にはいろいろな心電図が付けられていて、別室でモニターしていた
主治医がすぐ来て死亡診断をされました。

可愛そうな母、食べ物も飲み物も一切口に出来ず、息苦しさにひたすら耐えて
逝ってしまいました。

24年前、癌で父を亡くした時、残された母は大事にしてあげようと
思っていたのに結局何も出来ず、その生涯を閉じてしまいました。

唯一、孫が2人できその成長を楽しみにしていたことが、母にとって幸せな時間
だったと思います。


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